剣崎翔、再び。①
────もう、それこそが無謀ともいえる、東雲綾乃──そして、僕こと橙華の……ある意味、突貫工事的な声優ユニットの音楽デビューに向けたレッスン……の前のレッスンは、ああだこうだと一悶着ありつつも、いちおう夜にはある程度形になった、と思う。
「──はあ、本気で疲れた……」
で、アパートの部屋に戻るなり、真っ先に長ったらしい黒髪ウィッグを外し、鏡に向かって変顔……というか、女装メイクを落とす、これが結構大変な作業で、適当に洗面所のフェイスタオルでゴシゴシ──と言う訳にはいかず、クレンジングオイル──専用の液体オイル(クレンジングシートでも可)を使用するのが世間一般的らしい。だから僕もその流儀に沿って、Tゾーンの皮脂が多い順から優しく、それでいて余り時間を掛けず(長い時間ほど肌に負担が掛かるらしい)目元や口元になじませてから、32度前後のぬるま湯で洗顔──、
「──ねぇ、夕食はウー◯ーでいいかしら? 早速注文するわね、そうね、今夜はお寿司がいいわ」
「お、うまそ……って、勝手に身分不相応な高級飯を注文してんじゃねえよ! その辺にカップ麺が転がってるだろ、それで我慢しろ……してください」
「ち、相変わらず貧乏臭いオ、ン、ナね、貴方には本当にがっかりだわ」
「お、女ってとこ、わざわざ強調する? つうか、今はメイクも落としたし、完全に男、」
「ぷ」
「あ、こら! 今そこ笑うとこじゃ──」
例によって、帰り際に、しれっとアパートまでついてきた東雲とか東雲とか東雲とかのことは、もういちいち構うのも面倒くさいので、それでもいそいそと浴室でブラウスやらスカートを脱ぎ、あと黒スパッツも脱ぎ捨て、上下ジャージに着替え、ここでやっと一息。かれこれ数時間ぶりの男に戻れた──という、ごくごく当たり前のことに感慨ぶる。
「──仕方ないからピザにしてあげたわ、私の温情に感謝なさい」
っておい、結局コイツ、勝手に注文しやがったよ……とはいえ、さっきまでの自分(橙華)ならともかく、今はいちおう男(神坂登輝)として、寛大な気持ちで東雲と接する。ま、チェーン店の宅配ピザだったらそんなに高くな、
「──もちろん本場の高級イタリアン特注よ、トッピングは二倍盛りにしたわ」
「てか、お前いい加減にしろよな!?」
ああ……なけなしの生活費が──
というような感じで、もう頼んじゃったものは仕方ないので、「絶対に割り勘な!」と東雲に釘を差しつつ、電気ケトルでお湯を沸かしてると、
ドンドンドンドンドンドン──!
そのとき激しく玄関のドアを叩く音が。
え? 来るの早くね……と東雲を見やると、ちゃぶ台で肩肘をつき女性ファッション雑誌(あれ? 確か隠しておいたわけだが……)のページをパラパラめくる悪役令嬢もどきは、知らぬ存ぜぬ……。
「ああもう!」
もうしょうが無いので、なけなしの一万円を財布から取り出し「はーい、ただいま──」とドアを開け、
「よっ、神坂、久しぶり!」
──しばしフリーズ……した後、バタンと閉め、絶対開けないようにと、全力でドアを背中で押さえた。
(ななななな、何で奴がアパートに来る!?)
「ドンドンドン──おい、いきなりドア閉めんなって、取りあえずさ〜、中に入れてくんない?」
ドンドンドンドンドンドン──!
(うっ、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい──奴には僕の秘密が、女性アイドル声優、橙華の正体が実は男だって──)
バレてるし!
「…………」
「へ、東雲?」
流石に異変を感じてたのか、いつになくスゥっと僕の前に立った東雲が、キッと一文字結んだ唇をゆっくりと開き、
「……まったく、あの男は……いいわ、神坂君、ドアを開けなさい。私が直接話をつけるわ、ふふふっ、いい度胸してるじゃない、ふフフふふ──」
嗜虐的な笑みを浮かべ、玄関のドアを睨みつけた──。




