決意の初収録。②
あれから柏木さんと東雲は、連れ立って本日の収録現場であるスタジオに入っていった。僕は腰を低くして二人の後を追う。
数々の音響機材に囲まれたブースに、監督、ミキサー、演出等、アニメ制作会社の方々が所狭しと集まっていた。
早速、柏木さんはあちらこちらとスタッフたちに挨拶をして回っている。僕もこうしちゃいられないと思い、座っていた長椅子から立ち上がろうとすると、隣にいた東雲が無言でそれを押し留めた。
「ええと……東雲さん、僕も皆に挨拶に行きたいんだけど……出来ればそんな怖い顔をしてスカートを掴むのは、やめて欲しいかも?」
「…………」
そう促しても、東雲は僕が履くスカートを頑なに離そうとしない。もう何なのコイツ。
ま、どうせ直ぐに全体ミーティングが始まるのだから、その時しっかりと自己紹介をすればいいだけの話だ。
決して僕は東雲の無言の圧力に屈した訳でない……ウソです。
それにさっきから東雲が、心底ご機嫌斜めで怖い。これならまだいつもみたいに毒舌を吐かれていた方が余程マシだ。
その後、収録の時間が近づくにつれ、主役を演じる人気男性声優の妻夫木渡さんを筆頭に他の声優の方々が続々と集まってきた。それと同時に僕の緊張がどんどんと高まっていく。
東雲に至っては相も変わらず無言のままだ。
こうなると彼女なりに緊張してるのか、それともこの僕に対して、未だに逆ギレ状態なのかが判断しかねる。
しきりに台本をチェックし直している僕に対し、隣で大層余裕ぶっ放しておみ足を組んでいる様子から、大方緊張してるように見えないけどな。
「全員、集まりました」
女性スタッフさんが声を上げると、初老の男性がブースの中心に周りを集めた。
「えー、本日は、『ヴァルキリーレコード』の記念すべき第一話のアフレコになります。どうぞ皆さんよろしくお願いします」
初老の男性、青木音響監督の挨拶のもと、各配役の声優紹介が始まる。
「アフターマイン所属、片瀬慎也役の妻夫木渡です。本日はよろしくお願いします」
「ノエルプロ所属、水口穂香役の東雲綾乃です。よろしくお願いします」
爽やかに笑顔を浮かべるベテラン妻夫木さんに対し、淡々とした態度の東雲。もう何も言うまい。そして周りが次々と挨拶をしているうちに、いよいよ僕の番が回ってきた。
「の、ノエルプロ所属、や、八城雛月役のかみさ……いえ、橙華です! ほ、本日はどうぞよろしくお願いします」
緊張の余りにしどろもどろとなってしまったが、どうにか無難に挨拶をし終えた。
……けど。
「「「「…………」」」」
何故か周りが一斉にシーンとなってしまった。せめて拍手の一つでもして欲しい。
「で、ではこれよりオープニングパートの、て、テスト行きます」
そうこうするうちに、青木音響監督の一声で各々が台本片手にマイクの前に立ち、並べられた三本のマイクのうち、真ん中に妻夫木さん、左が東雲、右が僕という配置でそれぞれスタンバイする。
うー、今更ながら心臓がバクバクだ。
これまで僕が演じてたキャラは、ネーム無しのモブな役柄ばかりだったので、声優三年目にして実質これが本当のアフレコデビューともいえる。それも最初で最後のチャンスかも知れないのだ。
『──もう、慎也なんて知らない!』
東雲が熱演する。冒頭シーンは唐突に現れた謎の美少女に翻弄する主人公を幼馴染である穂香が嫉妬する場面だ。流石に上手い。何の迷いもなく役をこなしている。
『おい、待てよ! 穂香……くそっ、一体誰なんだよお前は……』
妻夫木さんが主人公の慎也を演じ、いよいよ僕の演じる雛月の出番だ。大丈夫……この日のために自分は血反吐の如く練習した。後は己を信じるのみ。そして音響監督の指導のもと、あえて声色は変えずいく。そう、地声のままで。
『……私、私は貴方の恋人』
『こ、恋人? な、何を言ってる、』
『貴方は私から逃げられない……これからずっと、一緒だから……』
画面に一杯に映し出された雛月の魅惑な口元に台詞を合わせる。
か細く。
儚く。
それでいて、静寂したスタジオ全体に響き渡るような声を意識して、
『──っ!?』
『慎也……』
その時、モニター越しに映る未完成な白塗りの背景をバックに、その場から逃げるように立ち去ろうとする慎也の腕を掴み、そのまま彼の背中に顔を埋める雛月。この場面は原作の挿絵にもなっている名シーンの一つだ。「このときの雛月はこうであって欲しい」と自分なりの妄想を取り入れた演技をする。
『……私は、貴方を離さない、永遠に──』
そして、ここから二人の歪な物語が始まる、ってところでオープニングパートが終了する。
「お、OK、です……。では、これより本番行きます」
え? これで良かったんだ。何度も繰り返し練習したかいがあった。
ところで東雲さんが、すごい目つきで僕を睨みつけてる。……怖い。それに僕らに挟まれた妻夫木さんなんて、何だか拍子悪そうにソッポ向いてるし……。
……まぁ、何にしても僕は、これから一人の声優として、橙華として、この役に魂を売ったのだから、後は成るように祈るのみ。
この際、周りの目なんか気にしてる場合じゃない……とはいうものの、周りからしてみれば、やっぱり僕は異端な存在なんだろな、と思わなくもないけど。
ああ、スカートの中がスウスウして気持ちいいかも──