東雲綾乃、正統派ヒロインになる。②【vsミックスフライ丼】
(──私とデートしませんか、だと?)
まるで状況が飲み込めない。
かくして、僕は今、あの悪名高い東雲綾乃と連れ立って街を歩いていた。そう、偽りの自分、華やかなアイドル声優の橙華(♀?)としてではなく、あくまでも素の自分、神坂登輝(♂)としてだ。
「ラララ〜、ラン、ララ〜♪」
隣では、高圧的な赤と黒のコントラスト──ではなく、眩いほどの無垢な純白、歩くたびにさらりと揺れるモスグリーン。純粋無垢な口元からは、まるで現代社会を浄化する鼻歌……じゃなくて讃美歌、女神の調べが奏でられていた。
(……てか、マジでどうしちゃったんだ。まさか今までの悪役令嬢ムーブは全部演技で、これが本来の東雲──いやいや、そんなアホな)
そんな中、数歩先を歩いていた彼女(東雲)が、突然くるりとこちらを振り向き、ふわっと長い黒髪からシトラスミントの香りが弾ける。
「──ねえ、登輝くん、私、お腹空いちゃった」
「へ……? あ、ああ、そうだな、今丁度夕飯時だし、ちょ、ちょっと待ってて、どこか空いてる店を調べるから」
デニムのポケットを弄り、あたふたスマホを取り出す。その瞬間、細い指先が僕の手にそっと触れる。
「……ううん、行ってみたかったお店があるの、付き合ってくれる?」
ヤバっ、破壊力抜群のヒロインムーブに、一瞬、意識が飛びそうになった。
──で、たとえ様子がちょっと変でも、いや大幅におかしくなっていようと東雲は東雲だ。どんな怪しい店に連れ込まれるかと身構えていたが、あれから十五分ほど(体感的には一瞬)歩いて着いたのは意外にもレンガ造りの外観がSNS映えしそうな洋食レストランだった。
……とはいえ、それも席に着くまでの話。
「──あ、あの、これは一体……」
心ここにあらず、といった感じで、注文を終始ご機嫌な東雲に任せた結果、とんでもない物が男性店員によって運ばれていた。
ミックスフライ丼。洋食店で丼ものというミスマッチ感は、この際どうでもいい。揚げたてホヤホヤなエビフライやカニクリームコロッケ、とってもジューシーなメンチカツ──といったラインナップもごく普通だ。問題はその圧倒的な威圧感。テーブルにドンと鎮座したのは、一般にイメージする丼のサイズではない。もはやバケツである。中に猫(ボス猫サイズ)を放り込んでも余裕でくつろげる空間がそこにはあった。いや、訂正する。今はその空間が米と揚げ物でぎゅうぎゅうに埋め尽くされている。それらをすべて胃袋にできたなら、という仮定の話だ。
「──登輝くん、痩せっぽっちでしょ? ここでしっかり栄養つけてもらおうと思って」
という慈愛に満ちた聖女の微笑みを浮かべる東雲の前には、標準サイズのミートソースパスタと可愛らしいチョコレートケーキの皿……ってことは、この難攻不落な要塞をたった一人の名もなきモブ雑兵で攻略しろと? んな無茶な。
「……」
「ねえ、食べないの?」
小首をあざとく……いや、完璧な角度で傾げ、不安げにこちらの様子を伺う正統派ヒロイン東雲。
「へ? ……あ、いや、う、美味そうだな、ははは……」
いつもだったら、「東雲てめえふざけんな、フードファイターのファイナルバトルかよ!」と、文句の一つも言いたいところだが、今の東雲の前では、何だか調子が狂ってしまう。
「ねえ、このエビフライ、ちょっとおいしそう。私も一口もらっていい?」
「え? ああ、もちろん! 好きなだけ食べちゃって!」
「本当、嬉しい……。じゃあ、いただくね、パクリ、おいしい! ほら、登輝くんも、あーん」
(あ、あ、あーん、だとっ!?)
脳内のあらゆる機関が警報を鳴らす。
これはいわゆる、ラブコメのあらゆる苦行を乗り越えた覇者のみが体現する不可侵領域。
脊髄反射で、僕の意思と関係なく口が大きく開口された。目の前で東雲が、少し照れたように頬を染め、その美しく清らかな指先で、エビフライ(の尻尾だけ)をこちらに捧げてくる。直後、口の中で広がる香ばしいカリカリ感、カルシウムの栄養素が身体全体に広がる感覚に浸っていた、
「じゃあ今度は〜、カニクリームコロッケをもらうね」
プスッ。
次の瞬間、僕のほっぺに蟹のハサミが突き刺さっていた。




