経緯と懺悔
仮面を着け直そうとしていたアスターの動きが一瞬止まる。
本当にほんの一秒にも満たない時間だったが、彼が戸惑っていると理解するのには充分だった。
「——俺が生まれて間もない頃、城に賊が侵入したんだ」
しかし意外な事に、経緯を話すアスターの口調はこれまでの日常会話のときと同じような軽さ。
やはり聞くべきではなかったかと後悔していたことも相まって、今度はこちらが困惑することとなった。
アスターはそんなルナリアの様子を気にも留めず話を続ける。
「相手は反政府側の集団で、俺を餌に何かしら要求しようとしていたみたいだが、その前にあえなく御用。その後森に隠したと供述したので捜索したが見つからず。10年経ってようやくマルグリン公が見つけてくれたというわけだ」
大まかな流れを簡潔に説明してくれた後も困惑は止まず。
——思っていた内容と違う……。
それが最初に出た感想だった。
「その反応から察するに、痣が原因でーとか思ってたんだろ?」
「あっいやそんな事……」
どこか揶揄うような態度で図星を突かれ慌てて否定するが、彼はさして気にしていないのかははと笑い飛ばす。
「いいんだ。俺だって最初はそう思ってたし、それが自然な思考だろう」
彼の言動に安堵して、そう言ってくれると助かると素直に自分の気持ちを伝えた。
「でも悪いことしちゃったな、私が連れて行かなきゃもっと早くお城に戻れたかもしれないのに」
人間が妖精の森に踏み入れるのはせいぜい端の部分くらいで、それ以上進もうとすると霧の効果で森の外に戻されてしまう。森に住む妖精に許しを得ることが出来れば話は別だが。
だから城の兵士達も、森の奥に王子がいる可能性に考え着いても実行出来なかったのだろう。
「気にする必要はない。あのまま森に放置されてたら兵士が見つける前に衰弱死していた可能性だってあるし、それに——」
言葉を切ってアスターは仮面に覆われていない右目の下、祝福の証を優しく撫でる。
「貴女とこうして縁が出来たから、結果オーライだ」
その声があまりにも甘く嬉しそうなものだったから、ルナリアとしては少々照れが生じてしまう。
「そっか……。それなら良かった」
頬を掻きながらの返答は少しぶっきらぼうになってしまったが、向こうにはこちらの気持ちが伝わったのだろう。ふふ、と小さな笑い声が彼から漏れた。
「いい機会だったな。父上と会わせる前に話せて良かった」
話は変わり、アスターの父——つまりこの国の王の話題に。
「王様? そういえば夕食のときにはいなかったけど」
「ああ、原因不明の病にかかっていてな、動ける状態にないんだ」
「それはお気の毒に……」
何か出来る事はないかと考えてみるが、現状手元に万病に効く薬などはなく、やれる事といえは万能薬についての知識を教えることくらい。
「バーサトルウッドっていう植物型の魔物から採れる木の実がどんな病気にも効くって言われているんだけど」
「バーサトルウッド……聞いたことない名だな」
「滅多に見かけない魔物だからね。私も実物は見たことないよ。昔大妖精様が飼ってたらしいけど」
「なるほど……。一応父にも話してみよう、教えてくれて感謝する。——さて、今度こそ部屋に戻るか」
さすがにそろそろ寝ないと明日に響きそうだ。アスターの言葉に素直に頷き、互いにおやすみと交わした後、各自の部屋へと戻っていった。
部屋に戻る道中、ルナリアの胸の内は安心感で満たされていた。
誰も恨む必要がなくて良かったと。
アスターを攫った賊とやらは既に制裁済みで、その誘拐の理由も彼の容姿に関する事ではないのが大きい。
これがもし城の関係者が人面瘡を気味悪がって森に捨てたとなったら、それに関与した者を八つ裂きにしたい衝動が芽生えただろう。実際やるかどうかは別として。
これからこの城で世話になっていくなかでこのような事実が存在した場合は今後の信頼関係に響く。
ルナリア自身も誰かを憎悪するなんて事望んでいない。
だから痣が原因じゃなくて本当に良かったと、心の底から思ったのだった。
部屋に着き、ベッドに入り、早速アスターとシラーに勧められた本を読む。
効果は彼らの言っていた通りで、読み始めてから三秒も経たずに眠りに落ちた。
チュンチュンと外から聞こえる小鳥の囀りに意識が僅かに覚醒する。
朝になったのだと理解しても、ルナリアの身体はまだ睡眠を求めていた。
そのまま目を開くことなくベッドに身を預けていると、シャッとカーテンを開く音が。
陽光を瞼越しに感じて眩しい。この部屋には自分しかいないはずではと薄目を開けてみると、そこには一人の少女がいた。
格好からしてメイドだろう。歳は10代後半、背はルナリアよりも数センチ高い、150前半といったところか。茶色の長髪をツインテールにしている。
「あ、お目覚めですね。おはようございます」
「おはよう、ございます……。……誰?」
にこやかに挨拶する少女に、むくりと起き上がり誰かと問うルナリアだったが実のところ見覚えはあった。
昨夜部屋まで案内してくれたメイドだ。
ただ名前は分からないので、やはりこの状況では誰かと聞くのが最適解だろう。
「私はマリーと申します。アスター殿下よりルナリア様の身の回りのお世話をするようにと任を受けたので、こうして参りました」
「おお……それはありがたい」
人間社会での生活に疎いルナリアにとっては、それを補助してくれるという存在は大変嬉しいものであった。
ベッドから降りて深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします! それでは早速……」
そう言うとマリーはルナリアの寝巻きに手をかけ、なんと脱がしにかかった。
「お着替えを手伝わせていただきますね!」
「じ、自分で出来ますっ‼︎」
突然のことでひどく狼狽したが、おかげで寝起きの頭は完全に目を覚ましたのだった。
朝食は昨日の夕食のときと同様に食堂で行われた。
シラーは同席していたが、アスターの姿はない。
普段食事は自室でしていると聞いているので、今回は来ないのだろうと特に気にしなかった。
さすがに毎回同席してもらっては、彼の時間をかなり浪費させてしまう。
「おはよう」
アスターが来たのは朝食を終え、食後の紅茶を飲んでいるときだった。フレディも一緒だ。
「おはようございます兄上。随分と遅かったですね」
「ああ、父上との話が長引いてしまった。それでルナリア、朝食後父と会っていただきたい。貴女と話がしたいそうだ。案内はフレディがしてくれる」
分かったと返し紅茶を飲み干すと、席を立ちフレディに着いて行く。
「陛下、ルナリア様をお連れしました」
しばらく歩いた後、ドアの前で立ち止まったフレディが部屋の主に声をかけた。
「——入れ」
やや間を置いて返ってきた声はひどく掠れていた。
「失礼します」
フレディの後に続き、ルナリアも失礼しますと言って入室する。
中にいた人物はベッドの上で横になっていた。
彼が何歳なのか、パッと見ただけでは分からない。
白髪交じりの黒髪、痩せこけた頬、骨が浮き出た手。これらだけを見ればかなり高齢だと感じるが、肌の質感はせいぜい四十代といったところだ。
老けて見えるのはおそらく病のせいなのだろう。
「よくぞ来てくれた。どうぞこちらへ」
ベッドの側にある椅子に腰掛けるよう促されたので、近付いて着席する。
その際に、王の瞳はアスターと同じ金色であることに気付いた。
「私はエルダリスの王、バルタザールだ。このような格好で申し訳ない」
「い、いえ。事情は窺っておりますので……」
病気とは聞いていたが、予想以上に症状が重い。
「今日来ていただいたのは他でもない。礼を言いたかったのだ……二つほどな」
何と何に対してかはほぼ察しがつく。
「まず一つ、森の襲撃者討伐の協力、大変感謝する。大妖精の結界をも打ち砕く存在……野放しにはしておけないからな。そのためならばこちらも力を惜しまないつもりだ。必要な物があれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます。ご期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」
プレッシャーが重くのしかかるが、やると決めた以上はこちらも全力で取り掛かるつもりだ。
「次に、アスターについてだ。森にいたあいつを保護したのは貴殿だと聞いている。こちらにも深謝申し上げる。おかげで息子と再会出来た」
金の瞳が柔らかく細まる。
王の笑みを見てルナリアも自然と笑顔になった。
「……ときにルナリア殿、貴殿は何故アスターが森にいたのかご存知か?」
今度は目を伏せて、王はこちらに問いかけてくる。
「はい、昨日の夜彼から聞きました。賊に誘拐されたって」
「……やはりか」
「え?」
一段と低い声。薄く開けられた金目には先程までの温かみは消え失せていた。
「実はな——」
「陛下いけません。アスター殿下からも止められているではありませんか」
何かを言いかけたバルタザールをフレディが慌てて止める。
「しかしフレディよ、黙ったままというのも彼女に不誠実だ。……それにこのままでは私の気が済まん」
その主張に折れたのか、フレディからの反論はなかった。
いまいち話が掴めないが、何か嫌な予感がする。
「中断してすまない。それでその話には続きがあるのだ。……いや、続きというより過程か。今からそれを話そう」
そう切り出して、王は語り始めた。
「今から22年前、私はマルグリン公爵家の令嬢と結婚した。現在の公爵の姉にあたる人物だ。政略結婚ではあったが、私も妻も互いに愛し合っていた。——しかしその2年後……妻は死んだ、出産中に。そして生まれた赤ん坊には……顔に醜い……人面瘡があったのだ」
声を出すのが辛いのか、当時を思い出すのが辛いのか。おそらく両方だろう。段々と言葉が途切れ途切れになっていき、声も表情も険しくなっている。
それでも王は時折咳を挟みながら話を続けた。
「私は思った……妻が死んだのは……この悪魔のような痣を持つ赤ん坊のせいではないかと。だから私は……近くにいた兵士の剣を奪ってその赤ん坊を……殺そうとした」
未だボロボロの羽が僅かに震える。突発的な感情を悟られないようにと、ルナリアは膝の上に置いた拳に力を込めた。
「マルグリン公が……止めてくれたおかげで未遂に終わったが……、当時の私はだいぶ錯乱していた。赤ん坊を地下牢に閉じ込めよと……兵に命じたのだ。——それからしばらくして、冷静さを取り戻した私は……医師から話を聞いた。曰く妻の死因は、分娩時の大量出血だと……誰にでも起こりうる不幸だったと……。だから私は……我が子を地下牢まで迎えに行った。しかしそこにあったのは……倒れている見張りの兵士と……もぬけの殻の牢屋だけだった。——あの日……アスターを連れ去ったのは誰なのかは……未だに分かっていない」
以上が事のいきさつだと言って王は話を締めた。
しんとした空気が耳に痛い。
何か言うべきだとは思うが、色々な感情が綯《な》い交ぜになってすぐに言葉が出てこなかった。
「……ルナリア殿」
黙ったままでいるとバルタザールが再び口を開く。
「今貴殿が抱いている感情、そのまま私にぶつけてしまって構わない」
「それは……」
つまりはそういう事だと瞬時に理解したが、ルナリアははっきりと首を横に振った。
「何故……?」
「——少しの同情と……あと王様、充分罰は受けてると思うので」
暫し考えた後、簡潔に自身の気持ちを率直に伝える。
その返答が余程意外だったのか、アスターに似た金目が大きく見開かれた。
嘘偽りない本心だ。彼のしたことを擁護するわけではないが、愛する人を失ったショックから短絡的な行動に出てしまったのは理解出来る。加えて長い間自身の行いを責め続けた挙句の果てに不治の病に冒されたとなっては、ルナリアが手を下すまでもないだろう。
「それにアスターは私が王様に何かするのを望んでいないみたいですし」
「そう……だろうか?」
「だってそうでなければ私に嘘つく必要もないでしょう?」
「そう、だな……。そうだと嬉しいが……。如何せん私にはあいつの真意が分からない……。昔から会話はほぼ仕事に関する事ばかりだからな……」
言われてみると、アスター本人から王のことをどう思っているのかという話は聞いていない。
ただ先にも話題に出した生い立ちの虚言と、万能薬の話をしたときの食い付き具合からおおよそ父の死を望んでいるようには見えなかった。
「……長々と話してすまなかった。寛大な心により一層の感謝を。……この病気が自分への罰と受け入れよう」
絶望と安堵が交じった顔で王は言う。
おそらくは死んで楽になりたかったという気持ちも幾分かあったのだろう。
「そういえば木の実の話は……?」
「ああ、聞いた……。兵に探させようかと聞かれたが……あるかも分からない木の実を探すよりも、襲撃者との戦闘に備えて鍛錬をさせた方が良いと断ったよ。……改めて、エルダリスの平和のために……よろしくお願いする」
その言葉にはいと頷いて部屋を去る。
廊下にはマリーが待ち構えていた。
「陛下とのお話が終わったら庭園にお連れするよう殿下方に言われたので、ご案内いたしますね!」
正直真実を知って気持ちが沈んでいる今、出来ればアスターと顔を合わせたくないのだが、断るわけにもいかない。
彼らの元に着く頃には暗い感情が少しでも薄まってくれることを願って、マリーの後に続いた。