夢遊病
「陛下、殿下方が戻られました」
夜、エルダリス城、国王の寝室にて。
ベッドに寝たきりの状態のエルダリスの王、バルタザールのもとに執事のフレディがやってきた。
「……妖精は一緒か?」
首だけをフレディに向け、掠れた声で問いかける。
「はい、お越しくださりました」
「そうか……」
「お呼びいたしましょうか?」
「いや、今日はもう遅い。向こうも疲れているだろう。会うのは明日の朝食後に」
「かしこまりました」
要点だけを伝えると、執事を下がらせる。
再び一人きりになった空間、首を元に戻し、天井をぼうと見つめる。
不治の病にかかり早数ヶ月、自責の念に駆られ続けて早20年。
ついにこの時が来たのだ。
待ち侘びていた反面、恐怖も並走している。
生物なら誰もが抱く死への恐れ。
しかしそれよりも、この生き地獄から抜け出したいという気持ちの方が大きい。
それはさながら、死刑執行を待つ罪人の気分であった。
◇
「もうすぐ城だ」
王都に着いた頃には外は暗くなっていた。
夜空には穴が空いたように浮かぶ満月、その下には120年前と変わらない風貌のエルダリス城。
正門が開き、馬車はその中に吸い込まれていく。
「おかえりなさいませ、アスター殿下、シラー殿下」
馬車から降りると、老齢の男性が出迎えてくれた。
「そしてようこそお越しくださいました、ルナリア様。私は執事のフレディと申します」
相手が深く頭を下げて挨拶をしたので、こちらもお辞儀で返す。
「長時間の馬車の移動でお疲れでしょう。ささどうぞ中へ、晩餐の準備は整っております」
——ごはん!
すっかり腹を空かしていたルナリアはその言葉に内心で食いついた。
フレディに連れられて来たのは長い机が設置された食堂。そこに控えていたメイドに案内され腰を下ろす。
向かいの席にはシラーが同様に、使用人に椅子を引いてもらっていた。
「それじゃあ食事を楽しんで。俺は一旦ここで失礼する」
「あれ、アスター一緒に食べないの?」
三人の中で唯一、アスターだけが案内されずにいる事を疑問に思っていた矢先、彼が退出しようとしたので呼び止める。
「兄上はいつも自室で食事を摂っているのですよ」
答えてくれたのはシラーだった。
なんで、と聞くまでもなく顔を見られたくないからだろう。
ここには自分達以外にも給仕のために使用人が複数いる。
「そっか……なら仕方ないね」
無理強いをさせるわけにもいかない。
だがやはり一緒に食べたかったという本音を隠しきれずシュンとしてしまう。
「……」
その姿に見かねたのか、アスターの動きが止まる。
「そうだな……食事は無理だが同席するだけなら」
暫し顎に手を当てて考え込んでいたその後、このような提案を持ちかけてきた。
「えっ、でもそれだとアスターの食べる時間が遅くなっちゃう」
「構わない、そんなに腹は減っていないからな」
言いながらシラーの隣に着席する。
気を遣わせてしまったと罪悪感が募るも、せっかくの厚意を無下にする理由はないので素直にありがとうと礼を言った。
食事はいわゆるコース形式で、一品目ずつ提供された。
120年前の火災後、邪竜が討伐されるまでの間、大妖精達と勇者メンバーと共に城に滞在していたのでこの手の料理は経験済みではあるが、言っても幼い頃の話。
普段果物や木の実くらいしか食べていないルナリアにとってはどれも目新しいものであった。
「——ふう、お腹いっぱい」
デザートまで平らげた後、満足げに腹をさする。
テーブルマナーに関しては目を瞑ってもらった。
だが長期滞在が決まった今、いつまでもこのままというわけにはいかないので後でテーブルマナーに関する本がないが尋ねる予定である。
「満足してくれたようで何より。さて、これからのことは明日詳しく話すとして、今日はもう休め」
「うん。おやすみアスター、シラー様」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
アスターに目配せされたメイドに「お部屋までご案内いたします」と言われたので着いて行く。
通された部屋はルナリアの家よりも遥かに広い。王族の住居に相応しい気品溢れる調度品で彩られていた。
天蓋付きのベッドもふかふかだ。これからぐっすり眠れそうだと早速用意された寝巻きに着替える。こちらもローゼングラスでいただいた服同様、背中に羽を通すための穴が空いていた。
細かな気遣いに感謝しながらベッドに潜る。
——明日から忙しくなりそうだから、しっかり身体を休めないと。
一日でも早く、皆が安心して暮らせるように力を尽くそうと決意を胸に眠りについた。
……つきたかったのだが。
——眠れない……。
もう深夜だというのに目はまったくと言っていいほど冴えていた。
原因は言うまでもなく馬車で寝ていたからである。
——どうしよう、早く寝なきゃいけないのに……。
焦れば焦るほど睡魔は遠ざかっていく。
仕方がないので少し身体を動かそうとベッドから降りて部屋を出た。
廊下は広大な城内部と見合ってとても長い。近場を何往復かするだけでもいい運動になるだろう。
「あれ? ルナリアさん、どうされました?」
外の景色を眺めながら歩くこと数分後、曲がり角からやってきたシラーと遭遇してしまった。
「ええっと、眠れなくて……」
廊下を行ったり来たりしている奇行を見られた事に顔を赤くしつつ答える。
「ああそれなら、一緒に図書室に行きませんか?」
「図書室?」
「はい。実は私も寝付けなかったので、本を借りてこようと向かっていたのですよ」
——たしかに読書をしていればその内眠くなるかもしれない。
行きますと答えれば、こちらですと案内をしてくれた。
「着きました。ここが図書室です」
しばらく歩いた後、先頭のシラーが扉の前で止まる。
彼がギィと開いた扉の先はまさに絶景。
天井まで伸びた幾つもの本棚、その中には本が行儀良く敷き詰められていた。
全て読み切るには人の子の寿命では足りないだろう。
「すごい数ですね」
素直な感想を述べるとシラーは誇らしげな笑みを浮かべる。
「量だけでなく今では手に入らない希少な品も寄贈されているのですよ。——さて、あちらにある政治の本とかいかがでしょう? 秒で眠くなりま——」
シラーがおすすめを紹介している途中、ギィと音が鳴った。
「あ、アス——……ター?」
扉の前にいたのはアスター。だが少し様子がおかしい。
ゆらりゆらりと身体が左右に揺れている。
「アスター? どうしたの?」
「兄上も眠れないのですか? それとも——」
シラーが近寄っていった直後、突如としてアスターの膝ががくんと崩れ、後ろに倒れだした。
あわや後頭部を強打するところだったが、シラーが咄嗟に支えてくれたことで事なきを得る。
「あー、やっぱり」
「アスター⁉︎」
何事かとルナリアも慌てて駆け寄るが、シラーからは大丈夫ですよと緊張感のない声で返ってきた。
「眠っているだけです、ほら」
言いながらアスターの腰に回している腕とは反対の手で仮面を外す。
露わになったアスターの顔はたしかに瞳は閉じていた。苦しんでいる様子もなく、よく耳をすませるとすーすーと穏やかな呼吸が聞こえてくる。
本当に眠っているだけのようだ。
「良かった……。でもなんで?」
「夢遊病ですよ」
夢遊病? と聞き返すとシラーはええと答え、詳細を話してくれた。
「孤児院にいたときからそうだったみたいで、時折寝ながら城内をうろついているのです」
「そうだったんですね……」
孤児院時代からと聞いて一瞬驚いたが、よくよく考えれば就寝する時間帯まで様子を見ていたわけではないので、自分が知らなかったのは当然だと飲み込んだ。
「ん……んん」
「あ、起きた」
アスターの口から小さな呻き声が聞こえ、瞼がゆっくりと開く。
「おはようございます兄上、まだ夜ですけど」
虚ろな瞳でシラーを見つめた後、緩慢な動作で辺りを見渡し始めた。
段々と意識が覚醒してきたのか、ぼんやりしていた表情がしゃんとなり、どこか自分に呆れるようにため息を零す。
「またやってしまった……」
「いいじゃないですか、誰にも迷惑かけてないんですし」
「現在進行形でお前に迷惑かけてるだろ。というか、二人はこんなところで何をしているんだ?」
シラーに支えられていた身体を自立させ、仮面を受け取りながら尋ねてきたのでざっくりと説明する。
「眠れないから本を借りに来たの」
「ああ、なるほど。それならあそこにある政治の本とかおすすめだぞ。秒で眠くなる」
そう言って指した先は先程シラーが話していた場所。
兄弟揃っておんなじ事を言うものだから、思わずクスリと笑ってしまう。
本が仕舞われている場所まで移動しようとするが、シラーが魔法で引き寄せてくれたおかげでその必要はなくなった。
「それでは私は戻りますが……兄上、一人で大丈夫ですか?」
同じ本棚からもう一冊取り寄せたシラーがアスターに問いかける。
「子供扱いを——いや、言えた立場ではないか。大丈夫だ、面倒かけたな」
「いえいえ。それではお二人とも、おやすみなさい」
退出したシラーを見送り、二人きりとなったルナリアとアスターはお互いに顔を見合わせた。
「ルナリアも心配かけたな、驚いただろう?」
「ううん、気にしないで」
たしかに突然倒れたときは焦ったが、具合が悪いわけではないと判明したため安心している。
「それじゃあ俺達も部屋に戻るか」
「うん……あ、ちょっと待って」
「どうした?」
「あのね、少しアスターに聞きたい事があって」
前々から気になっていたがデリケートな話題だったので、人目がなくなる頃合いを窺っていた。
今が絶好のチャンスだろう。
「その……君が森にいた理由を知りたくて。誰かから聞いたりしてない?」