自分に出来ることを(1章 了)
「現場に着くまでの間、少しお聞きしても?」
馬車内、森に赴く道中、向かいに座るアスターに尋ねられたのでどうぞと返す。
「事件当時やその前日に何か変わった事はありませんでしたか? 森の木に大きな傷があったり、今までは見かけなかった生物がいたりとか」
「そういうのは私が覚えてる限りではありませんでした。そもそも森は危険な存在を寄せ付けないようになってますし」
「大妖精の魔法、ですか?」
会話に加わってきたシラーにはいと答えると、彼は発言を続けた。
「過去に大妖精の結界を破いたのは邪竜のみとお聞きしています。そういう歴史もあってか今回の事件をきっかけに邪竜が蘇ったのではないかという噂も流れていて……」
「それはないでしょう」
マルグリン公も話に交ざる。
「竜のような巨大な生物、ある程度離れていても視認出来るはずなのに目撃情報が一切ありませんでしたから」
たしかにとルナリアはやり取りを聞きながら頷く。
いくらあの時攻撃から逃れるのに必死だったとはいえ、竜の仕業なら容易く分かったはずだ。
——あの時襲撃者の姿を確認出来なかったってことは、竜よりももっと小さい……。
「——見えてきました」
公爵の言葉で思考の波から引き戻される。
妖精の森は以前とは様変わりしていた。
年中発生していた霧は消え失せており、全貌が丸裸になっている。
青々と茂っていた葉は全て燃やし尽くされ、残った木々も黒焦げになっていた。
「これは……ひどいな」
馬車を降りたアスターが開口一番そう述べる。
一同はルナリアを先頭に森の奥へと進んでいく。
「生き物の気配が全然しない」
「私が調査に赴いたときも、虫一匹すら見かけませんでした」
「私達が森の奥に来れるって事は、大妖精の魔法は完全に消滅したようですね」
アスター達が言葉を交わすなか、足取りが段々と速くなっていく。
いつしか三人と兵士達を引き離し、タッタッタッと走っていた。
目指すは森の中心部。
目的地に辿り着き、目を見張る。
家は骨組みが僅かに残っているだけで、あとは瓦礫と化していた。
コツコツと集めていた本も、お気に入りの食器も、全て。
家の残骸に駆け寄りしゃがむ。
近くにあった黒ずんだ本を手に取り呆然としていると、複数の足音が聞こえてきた。彼らが来たようだ。
「貴女の家ですか?」
「うん……」
アスターの問いかけに短く返す。
そこから先は誰も喋らなかった。
気を遣わせてしまったのかもしれない。自分は大丈夫だと言うために立ち上がると、その前にアスターがルナリア殿、とこちらを呼びかけた。
「私達と城に来ませんか?」
突然の申し出に無言のまま、少し驚いた顔をして振り返る。
「相手が邪竜にしろそうでないにしろ、これだけの惨事を引き起こした存在、いずれ国の脅威になりかねない。ですので……」
真剣な声音、仮面の奥の金色の瞳も、真摯な輝きを放っている。
「どうか我々に力を貸していただきたいのです。120年前の妖精達のように」
「…………」
無言のまま彼を見つめ返す。
あのときのようにという事は、人間と協力して邪竜に匹敵する存在を倒してほしいという意味。
——そんなの……。
脳裏に蘇る。双子と戦士と魔法使いの亡骸、そしてひどい怪我を負った勇者と大妖精——。
「……やはり——」
「やります」
予想外の返答だったのか、俯き気味だったアスターの顔がゆっくりと上がった。
「大妖精様達のようにはいかないかもしれないけど……それでも今の私なら出来る事があるはずだから」
もう何も出来ない幼い頃とは違う。今のルナリアならある程度戦える。
誰かを守れる力がある。
「それにここで逃げたら、天国に行ったときにみんなに顔向け出来ませんし」
もちろん恐怖はある。生物なら誰もが抱く死への恐れ。
しかしそれよりも、あの世で仲間達に会ったときに誇れる自分でいたい。
だから目の前で困っている人を見捨てるような選択ははなから持ち合わせていなかった。
「だからその願い、謹んでお受けいたします」
スカートの裾を持ち片膝を軽く曲げて快諾の意を示す。
アスターの後ろにいたシラーとマルグリン公は、その態度に嬉しそうに顔を見合わせた。
「——貴女の勇気に心から感謝を」
こちらに敬意を払うようにアスターが恭しくお辞儀をする。
顔は見えずとも声で分かる。
きっと、彼らと同じ表情をしているのだろう。
◇
「——王都までかなりの距離があります。到着するまでの間、どうぞ楽にしていてください」
「はい、ありがとうございます」
城に行くことが決まった後、一旦ローゼングラスに戻り身支度を整えた。
と言っても私物は全て火災で失ったため着の身着のまま。やるべき事は世話になった村長や村人達に挨拶をすることぐらいだ。
見送りには孤児院の子供達も来てくれた。
名残惜しさが一段と募る。しかしながら親切にしてくれた彼らのためにも脅威を取り除かなければならないという気持ちも強まり、より一層問題解決への意欲が高まったのだった。
こうして村を後にした。
馬車にはルナリアとアスター、シラーの三人。マルグリン公は自身の馬車で後ほど向かうとのことなので一旦お別れである。
「兄上も仮面を外しては? ここには私達以外いませんし」
「……そうだな」
シラーに言われるがままアスターはパチンと留め具を外し、仮面を膝の上に置いた。
10年振りの彼の素顔。再会した直後はすぐに人が来たこともあってあまり拝めなかったので、今この機会にまじまじと見つめる。
人間の成長は本当に早いと実感させられる。孤児院にいた頃はあどけない可愛らしい顔だったのに、今ではもうすっかり大人の顔つきだ。
「そんなに見られては気恥ずかしいです」
困ったように笑う彼にごめんねと謝る。
「10年前よりだいぶ大きくなったね……いや、なりましたね」
気が抜けてタメ口になってしまった。慌てて取り繕うと今度はフッとなごやかな笑みを見せる。
「本当に、無理して敬語使わなくても良いのですよ?」
「だって私だけが砕けた口調というもの……」
「あ、なら兄上もタメ口で接すればよろしいのでは?」
「俺も?」
シラーの提案に面食らった表情をするが、ルナリアが「それなら」と呑んだことで仕方ないと咳払いをした。
「それじゃあ、普段の調子で喋らせてもらう。これでいいか? ルナリア」
「うんっ、ありがとうアスター」
やはり多少砕けた言葉遣いの方が距離が縮まった気がしていいなと、内心で嬉しく思うルナリア。
「そういえばさっき10年前と言っていたが」
アスターが先程の話題を振ってきたので、ああと反応を示し答える。
「君が孤児院を出るまでちょくちょく様子を見に行ってたんだ」
「そうだったのか……。声をかけてくれれば良かったのに」
「顔を合わせるとそのまま連れて帰っちゃいそうだったから」
半分冗談で返せば、シラーが口に手を当てふふと笑みを零した。
「ルナリアさんが思慮深い方で良かったです。そんな事をされたら一生兄上とお会いすることも出来なかったでしょうから」
言葉の端々からアスターをとても慕っているという感情が伝わってくる。
——良かった、兄弟仲良さそうで。
その後も三人で雑談を楽しんでいたが、馬車の小気味良い揺れに睡魔が刺激されて船を漕ぎ始めていた。
「眠いのか?」
「うん……そうみたい」
「寝て構わないぞ。まだ当分時間がかかるからな」
「でも……まだアスターとお話ししてたい」
目をゴシゴシこすってなんとか眠気に抗おうとする。
「別に今でなくても、城に着けばいくらでも話せる」
「——そっか……これからは一緒に……」
それならいいかと安心したことで、一気に意識がぼやけだした。
「私も少し寝ることにします。おやすみなさい兄上、ルナリアさん」
「ああ、おやすみ」
「おや……すみ……」
あくびをするシラーに反応を返した後、とうとう限界を迎えた身体が背もたれへと深く寄りかかる。
「——おやすみ、ルナリア」
慈愛に満ちた声で言われれば、なんだこちらが子供になった気分になる。
どこかくすぐったく思いながらも、そのまま眠りへと落ちていった。
◇
すーすーと穏やかな寝息を立てる弟と恩人を微笑ましく思いながら、アスターは窓に目を向ける。
うっすらと映る自身の姿と人面瘡。
外はまだ明るいが、城に着く頃には夜になっているだろう。
『今日は実に良い日だなぁ』
唐突に聞こえてきた第三者の声。
自分に似た、自分じゃない声。
その発生源は左頬から。
『恩人との再会を果たし、その上こうして城に連れ帰ることも叶った。何もかも手筈通りだ』
人面瘡の口にあたる部分が開閉して言葉を紡いでいく。傍から見たら不可解な現象。
「……今はやめろ、人がいる」
しかしアスターは驚くことも臆することもなく、痣に苦言を呈する。
『いいじゃないか、小声で話せば起きやしない』
両目にあたる部分をぐにゃりと歪ませ一笑する痣。
明確な時期は覚えていないが、少なくとも孤児院にいた頃からだ。人目につかない場所で痣が話しかけてくるようになった。
もちろん最初は驚いた。しかし相談しても誰も信じてくれず、特に周囲に危害を加えるわけでもないので今はそのまま放置している。
『一つ不安要素があるとすればお前の父親のことだろうか。この妖精が真実を知ればきっと無事では済まされないぞ』
「ルナリアはそんなこと——」
『妖精が自分の愛し子を捨てた相手を許すと思うか?』
「俺を森に捨てたのは父じゃない」
『殺そうとしたのは事実だぞ? お前は覚えてないだろうが俺はこの目で見たし、何より本人もそこは認めているからな』
「…………」
『いやむしろお前にとってはそちらの方が好都合か? 病を患っているとはいえあの様子だと当分はくたばらんだろうし、妖精に殺してもらった方がその分早く王位に就ける」
「縁起でもないことを……」
害はないとは言ったが、時折こうして神経を逆撫でするようなことを口にするのが玉に瑕である。
「だいいち、まだ俺が王位を継ぐと決まったわけじゃない」
『ああそうだったな。まったく人生とはほとほと上手くいかないものだ。せっかく城に戻れても今度は弟という存在が邪魔をしてくる』
「黙れ」
『だってそうだろう? 本来ならば王位継承権も、王子としての権力もお前だけのものだったんだ。それをお前が死んだと思い込んだ愚者共が王に後妻をあてがって作らせたのが弟なわけで——』
ここまで聞いてとうとう限界がきた。苛立たしげに息を吐き、乱暴に仮面を着ける。
「俺も寝る。静かにしていろ」
腕を組み、窓に寄りかかって寝る姿勢に入る。
視界が急に暗くなったことに驚いて一時的に口を閉じた痣は、微塵も苛立ちを隠そうとしないアスターをおかしげにくくくと笑ったのだった。
『おやすみアスター、良い夢を』
1章 了