仮面王子
時間は森が何者かに襲撃された日の翌日まで巻き戻る。
この日は邪竜討伐に貢献した勇者一行と妖精達を讃える英雄祭が開かれており、城下町はいつも以上に活気付いていた。
周辺の国からも人が集まり、立ち並ぶ様々な出店、陽気な音楽に合わせた歌と踊り——。
平和そのものだ。
そんな中、正午を告げる鐘が鳴る。
それまで歌ったり踊ったり、食べたりしていた民衆は一斉に城を目指して歩き始めた。
本日に限り一般開放されている王城の広場には溢れんばかりの人。
彼らの目的はただ一つ。
王族が披露する〝英雄讃歌の儀〟だ。
先人達の功績を忘れぬよう、歌に遺し後世に語り継ぐことを目的とした英雄祭の恒例行事である。
多くの人が集まる広場、その奥の舞台の上に二人の人物が現れ歓声が上がる。
一人は髪も瞳も快晴の空のように青い色をした十五歳の青年。エルダリスの第二王子、シラー。
ヴァイオリンを携えて、観衆に向けてにこやかにお辞儀をする。
その姿は非常に好印象で、人当たりの良い人物と思えるだろう。
そしてもう一人は——。
——あれが仮面王子……。
——あの方が妖精の愛し子と名高い……。
——何故顔を隠している?
国外から来た者達が歓声に紛れて言うように、その人物は顔のほとんどをベルトできっちりと固定された仮面で覆い隠していた。
唯一露わになっているのは右の目元のみ。
その状態で得られる容貌の情報は髪の色が紫である事と、右の目元にある妖精から祝福を授かった証の花の印——それだけだ。
第一王子、アスターの素顔を知る者はごく限られている。
故に国内外問わず様々な憶測が飛び交っていた。
——噂では目も当てられないほど醜い容姿をしているとか。
——いいえ、私が聞いた話では絶世の美貌の持ち主で、様々なご令嬢に言い寄られるのに嫌気が差して顔を隠していると……。
——顔の美醜などどうでもいい、なんたって殿下は……。
噂話に花を咲かせていた人々も、アスターが一歩前に出れば歓声と共に口を閉じ、辺りは静寂に包まれる。
斜め後ろにいるシラーがヴァイオリンを構え、演奏を始める。
優美な音色が流れること数秒、前奏が終わる直前、肺いっぱいに空気を取り込んだことが目で見て分かるほどに、アスターの胸が大きく膨らんだ。
取り込んだ空気は、勇ましさと気品を併せ持つ歌声となって吐き出されていく。
テノールの美声が英雄達を讃える詩を紡いでいく。
観客は皆その歌声に聴き惚れていた。
エルダリスの第一王子、アスターは容姿や祝福持ちである事以外にももう一つ注目される部分がある。
それがこの歌唱力であった。
彼がひとたび歌えば、どんな人間でも釘付けになる。
そう言われるほどの実力の持ち主。
彼の容姿に言及する者も、そうでない者も、ここに関しての評価は一致している。
曲が終わり二人の王子が一礼すると、広場全体に拍手と喝采が巻き起こった。
◇
「兄上の歌声はいつ聴いても心地良いです」
弟の言葉に反応し、アスターは仮面を付けたままの顔を彼の方へと向ける。
英雄讃歌の儀を無事に終え、城の執務室へ移動中の事であった。
「ありがとう。お前の演奏も、いつも以上に素晴らしいものだったよ」
褒めて返せば、ありがとうございますと嬉しそうに礼を言うシラー。その後はそれにしてもと言葉を続けて別の話題を振ってきた。
「せっかくの祝いの日だというのにいつも通り仕事だなんて、いやになってしまいますよ。今からでも二人で抜け出して城下に行きません? 色んな屋台が出てますし、きっと楽しいですよ」
「やめておけ、後で父上にお叱りを受けるぞ」
苦笑気味に制すれば、むう、と不貞腐れる。
「では仕事の前に父上のところに行くのは?」
「それなら」
「やったっ! ——そうだ、兄上も一緒にどうですか?」
「……いや、今は遠慮しておく。後で用事が出来たときにでも顔を見せるさ」
言葉だけでなく顔を正面に向けることで拒否を強める。
シラーからはそうですかとだけ返ってきた。口元は笑ったままだが、眉は少しだけ下がっていることに気付く。
その様子に、アスターの良心が僅かに傷んだのだった。
「これはこれは殿下」
そんなやり取りの後、前方から訪れた男性が声をかけてきた。
「シベリカ公……」
アスターが小さく反応を示す。
彼はダリアス・シベリカ公爵。この国の防衛大臣を務めている人物だ。
「シラー殿下。本日の演奏、大変お見事でした。さすがはプロからも絶賛される腕前ですな」
大袈裟に両手を広げ、シラーに向けて賞賛と笑顔を贈るシベリカ公。
「ふふ、お褒めいただき光栄です」
シラーが素直に賛辞を受け取ると、ところでと話題を変えてきた。
「陛下のご容態はいかがでしょうか? お気の毒に不治の病だなんて……」
今度は先程の笑顔とは真逆の、眉をぐっと下げた悲痛な表情をこちら側に見せる。
公爵の言う通りエルダリスの国王——アスターとシラーの父親は数ヶ月ほど前から臥せている。現在の医療技術では治療法が確立されていない病気によって。
「国外からも医師や高名な魔法使いを募りましたが回復の兆しはなく……」
日に日にやつれていく一方だ。シラーほどではないにしてもアスターも定期的に足を運んでいるので、現状は理解していた。
それはそれはと相槌を打ちつつ、公爵は弟と会話を続けている。
こちらには一切視線を向けてこない。
——透明人間になった気分だ。
今に始まったことではないので、もうすっかり慣れてしまったけれど。
「アスター殿下ー‼︎」
彼らの会話を遮るように、一人の兵士が大きな声を上げてこちらに向かってきた。
焦燥しきった表情、声、走り方——。明らかに只事ではない。
「何があった?」
「マ、マルグリン公より、妖精の森にて大規模な火災が発生したと通達が入りました!」
「なんだとっ⁉︎」
思わず声を荒らげる。一緒に話を聞いていたシラーとシベリカ公も、目を白黒させてお互い顔を見合わせていた。
兵士が報告を続ける。
「火は既に鎮火されたとの事ですが出火原因は不明。周辺の村に被害はないとのことですっ。それともう一点、ローゼングラスで深手を負った妖精を一人保護したと——」
仮面の下の金目が大きく見開かれる。
「今すぐ兵を派遣し原因究明にあたれ! 他にも負傷者がいた場合は保護をっ! マルグリン公には妖精が目を覚まし次第連絡せよと伝えろ!」
指示を受けて去っていく兵士を尻目に、シラーとシベリカ公に顔を向けた。
「シラー、お前は今の話をを父上に伝えてきてくれ」
「分かりました」
「シベリカ公、臨時の会議を開く。他の大臣達に通達を」
「しょ、承知いたしました」
各々が動き出した後、アスターは一人窓に目を向ける。
当然ここからでは森は見えない。
外は快晴、柔らかな陽が差し込む。森で起きた惨状が嘘かのように。
窓に映る自身の姿、右目の下をそっと撫でた。
そこには祝福の証がはっきりと存在している。
妖精が死ねば、この証も消える。
祝福が健在ということは生きてはいるのだろう。——今のところは。
「——どうか、無事で……」
切実に祈る。
顔も名前も分からない、恩人の安否を——。
妖精が目覚めたと知らせを受けたのは数日後。そこから更に日を置いて本日、ローゼングラスまで出向くことにした。
カタカタと揺れる馬車、時折外からヒューヒューと音が鳴る。
今日は朝から風が強い。
「いやぁ、まさか生きてる内に妖精と会えるなんて、思いもしませんでした」
向かいに座るシラーがウキウキとした声音でそう口にする。
「随分と嬉しそうだな」
「だって妖精ですよ? 滅多に姿を見せない希少な存在です。だからこそ妖精の祝福にも価値が生まれるわけですし。それに兄上だって嬉しいでしょ? なにせ命の恩人に会えるのですから」
あの後、マルグリン公からの手紙で保護された妖精の詳細が判明した。
名前はルナリア。100年前から森で一人で住んでいるという。
つまりこれから会いに行くのは、森に捨てられていた自分を助け、祝福を授けてくれた張本人。
「……そうだな」
弟の言葉に口では肯定したが、内心では後ろ向きな気持ちが渦巻いていた。
もちろん会いたい、会って礼を言いたいという想いもある。
だがもしも——。
「兄上?」
窺うように呼びかけるシラー。顔が見えずとも声の色で仄暗い感情を感じ取ったのだろう。
「——もしも、俺を手放した理由が……」
仮面に触れる、丁度左頬の部分に。
己の予想が当たっているのなら、恩人は自分に会いたくないのでは。そんなふうに考えていた。
話を聞いたシラーは、その不安を払拭するようにはははと上品に笑う。
「杞憂ですよ、だって妖精は気に入った相手にしか祝福を贈らないと言いますし。だから何も心配する事はありません。妖精さんも、貴方との再会をきっと喜んでくれますよ」
ね? と笑いかれられれば、心が少しだけ軽くなった気がした。
「……そうだな」
今度は先程よりも幾分か明るい声。
弟に励まされたところで、ローゼングラスが見えてきた。
馬車は孤児院から一番近い家の前に停車した。
村長の家だ。
「ようこそおいでくださいました、アスター殿下、シラー殿下」
馬車から降りると村長とマルグリン公が出迎えてくれた。
風で乱れる髪を押さえてながら言葉を交わす。
「出迎えご苦労。して、妖精殿はどこに?」
「ルナリア殿でしたらあちらに——」
そこで、一際強い風が吹いた。
ザァァという風音の中に、耳がそれとは異なる別のものを拾う。
「歌……?」
本当に微かにだが歌が聴こえてくる、位置からして孤児院の方から。
「ああほんとだ、確かに聴こえてきますね」
周囲にいる人間の中で同様に気付いたのはシラーのみ。
「子守唄でしょうか? このあたりでは耳にしない曲ですが……」
弟が少ない情報ながら分析していくが、その内容はあまり耳に入ってこなかった。
今はただ歌に夢中で——。
ふらりと身体がひとりでに動く。
周りの制止の声がひどく遠い。吸い寄せられるように歌のする方へ歩いていく。
孤児院の門をくぐり、中庭を目指す。
段々と鮮明になっていく歌声。それにつれてアスターの心臓の鼓動が早くなっていった。
ついに中庭に到着し、歌声の主と対面する。
その人物は、十代後半の少女の見た目をしていた。複数の子供達に囲まれて草花が咲く柔らかい地面の上に座っている。
自分達とは異なる形状の尖った耳。ふわりと腰まで伸びた髪は自身のものと似た紫色。背中が大きく開かれたワンピース、その露出部分から生えている虫のような羽は火災の影響なのだろう、ボロボロだった。
腕の中には赤ん坊の姿が。
赤ん坊を愛おしげに見つめる銀の瞳に、本来はあり得ないことだがとても懐かしく感じ、胸が締め付けられる。
——ああ、彼女が……——。