森襲撃
あれから何度か赤ん坊の様子を見に行った。
彼はアスターと名付けられ、他の子供と分け隔てなく育てられた。
成長していくなかで、やはり周囲との衝突は発生する。
痣が原因でいじめを受け、ときには石を投げられることもあったが、祝福の効果により怪我には至らなかった。
このように彼を疎んじる子供はいたが、決してそれだけではない。友達と呼べる存在もきちんといた。
彼らと共に遊んでいるときの彼はとても楽しそうだ。
決して順風満帆という訳ではないが、大きなトラブルは起きなかったため、ルナリアは干渉することなく見守るだけに徹していた。
しかしアスターが十歳になった年、大きな転機が訪れる。
その日、孤児院の前には一台の馬車が停まっていた。
何事だろうかといつものように物陰から様子を窺っていると、院のドアが開き中から複数の人間が出てきた。
職員達とアスター、そして見知らぬ痩せ型の身なりの良い男性。格好からして貴族だろう。
男性とアスターは職員達と対面して言葉を交わしていた。
「今までお世話になりました」
「元気でね……」
「身体に気をつけて」
微かに聞き取れるやり取りから、どうやらアスターはこの男性に引き取られるようだとルナリアは理解する。
——これで本当にお別れか……。
いつか必ず訪れることだと覚悟していたため、寂しさはそこまでない。
自身の目の届かない所に行ってしまう不安は多少あるけれども。
きっと彼なら大丈夫だと自分に言い聞かせる。
二人を乗せた馬車がゆっくりと動き出す。
「——どうか、幸せに……」
段々と小さくなっていく馬車に手を振りながら、彼の新たな人生に幸あれと祝詞を述べたのだった。
そこからまた10年が経過した。
相も変わらず、ルナリアは森の小さな家で一人で暮らしている。
家事、雑用、魔法の鍛錬に読書を繰り返す、平和だけど変わり映えのない日々。
部屋は元の埃と物にまみれた状態に戻っていた。
やはり周りに誰もいないとどうしても自堕落になってしまう。
あの貴族に引き取られてからの彼の消息は分からない。
ただ祝福が消えた様子はない。
祝福が消える条件としては、与えた側、与えられた側のどちらかの死。
仮にアスターが死ねば、祝福を作った際に使用した魔力がルナリアに戻ってくる。
それがないということは生きてはいるのだろう。
願わくば幸せであってほしい、完全に離れ離れとなった今でも切に祈っていた。
読書の時間になったので今日読む本を選ぶ。
選定の末、本の塔の一つ、下から数えて五番目の物に決めた。
魔法で引っ張る。案の定、上部に積まれた本が崩れだした。
「あー……」
崩れちゃう、と思いながらもただ間の抜けた声を出して成り行きを静観するのみ。
どうせ一人なのだから、部屋が散らかっても大きな音を出しても問題ない。
宙を舞う本が、物理法則に従って床に着こうとする。
異変が起きたのはそのときだった。
本の落下音を掻き消すかの如く、外からドォンッと大きな衝撃音が聞こえたのだ。
地面が揺れる。ビリビリと痛む鼓膜を庇うように咄嗟に耳を塞ぐ。
何事かと外に出ると、遠くの方で煙が上がっていた。上を見ると結界に穴が空いている。
ルナリアの頭に疑問符が浮かび上がる。
——なんで……大妖精様の結界はそう簡単に壊れないはずなのに……!
それこそ邪竜ほどの力の持ち主でなければ不可能なはず。
そうこうしているうちに無数の火の球が雨のように降ってくる。
結界はバリバリと音を立て完全に壊されてしまった。
これではまるで100年前と同じ——。
物思いに耽っている余地は与えられない。
恐怖で石のように強張る身体に活を入れ、全力で羽ばたく。
木々の合間を縫い、深い霧を抜け森を出てもなお攻撃は止まない。
間近を通過した火球が空気を熱し喉を灼く。
ルナリアはただがむしゃらに飛んでいたため自分がどこに向かっているのか分からなかったが、川が見えたことでローゼングラスの方角に進んでいることが判明した。
このまま行けば村にまで被害が出てしまう。慌てて方向転換をしたそのとき——。
曲がるタイミングとその地点に降下する火の球の速度が重なり、攻撃をもろに食らってしまった。
全身が熱い、意識が遠のく。
小さな身体はみるみるうちに川へと落ちていった。
水中へ沈んでいった身体は、気が付くと何故か花畑の中で立っていた。
森も川も見えず、辺り一面色とりどりの花。
このような事現実ではあり得ない。
もしや自分は死んでしまったのではとルナリアは推察する。
攻撃を受ける直前、弱体化の魔法を発動したが間に合わなかったのか、それとも攻撃の威力が強過ぎて弱体化をもってしても死を防げなかったのか。
どちらかにせよ頭に浮かぶのはアスターの顔。
自分が死ねば祝福は消えてしまう。彼のために、せめてあと80年ほどは生きていたかったというのが本音。
現状を嘆いてもどうしようもない。
天国じみたこの場所に、花以外の物はないかと辺りを見渡す。
すると遠くの方に六人の人間の姿が見えた。
否、厳密にはその内の三名は人間ではない。よく目を凝らすと耳が尖っていて、羽も確認出来た。
妖精だと気付くと、ルナリアは彼らの髪に注目した。
背丈がほぼ同じ二人は茶色の短髪で、彼らよりも背が高い残りの一人は腰まで伸びた真っ直ぐな金髪である。
双子と大妖精の姿に酷似していた。
ここが天国であるならば、もしや本人達かもしれない。
そうなれば一緒にいる他三名は勇者達かも——。
その可能性が浮上した瞬間、ルナリアは六人のもとへと飛び立った。
「大妖精様ー! みんなー!」
しかしどれだけ羽を動かしても一向に彼女らとの距離は縮まらない。
「大妖精様ー!」
こちらの呼びかけにも気付いていないようだった。
それでも懸命に羽ばたいていると、突如眼前に眩い光が現れて、ルナリアは目を瞑ることを余儀なくされたのだった。
次に目を開けると、今度はベッドの上にいた。
自分の家ではない。ここはどこだろうかと確認するために上体を起こそうとするも、全身に激痛が走り叶わなかった。
見ると身体のあちこちに包帯が巻かれている。
何故こんな事になったのか、寝起きで頭がぼんやりとしていて思い出せない。
呆然としているとガチャリと音がした。視線を向けると、開かれた部屋のドアの前に老人が立っている。
老人は驚きと安堵が交じった表情をルナリアに向けた。
「おお……気が付かれましたか」
「——誰……?」
「私はここローゼングラスの村長をしている者です。少々お待ちを……——公爵様ー!」
そう告げると老人は部屋を離れていく。
一分も経たずに戻ってきたときには、身なりの良い痩せ型の中年男性を連れてきていた。おそらく彼が〝公爵様〟なのだろう。
「良かった、三日も起きないから心配していたんだ」
言いながら男性はベッドの脇にある椅子に腰を下ろした。
彼もまた村長と同じように安堵を浮かべて接してくる。
ルナリアはこの男性をどこかで見た事あるような気がした。
「私はリチャード・マルグリン公爵だ。ここ一帯の領主をしている。良ければ君の名前を教えてくれないか?」
「わたし……私は……ルナリアです」
「ルナリア殿か。何があったか覚えているかい?」
「何が……」
朧げな頭で一つ一つ記憶を辿っていく。
「たしか……逃げてて、火が迫ってたから。森を出てそれで……——」
彼女の銀の瞳が大きく見開かれる。
ここまで話してようやく全てを思い出した。
「あ、あの、森は……? 森はどうなりましたか……⁉︎」
頭が完全に目覚めて、訥々としていた口調がはっきりとし始める。
マルグリン公はルナリアの問いかけに対し、僅かに顔を俯かせて躊躇いがちに答えた。
「消火は済んだが酷い有様だ。……全焼といっていいだろう」
——ああやっぱり……。
予想はしていた。あの火の球の数だ、被害は甚大なものだろうと。
しかしいざ事実を突きつけられると心臓がズキズキと痛む。
思わず目を伏せるルナリア。そんな彼女を案ずるように落ち着いた声音で公爵は言葉を続ける。
「今他にも負傷した妖精がいないか探しているところなんだ。ルナリア殿、君の仲間はどれくらいいる?」
「仲間……いません。100年前から私一人です」
「——ッ⁉︎ じゃあ君が——……いや、なんでもない」
瞼を薄く開けて答えると、今度は公爵が大きく目を開いた。
邪竜討伐以来妖精と人間との間に交流はないから、人間側がこちらの数を把握していないのは理解出来る。おそらく予想よりもかなり少ないという感想を抱いたのだろう。
けれどそれだけでここまで驚きを露わにするだろうか、先の口ぶりからして他にも何か理由があるように思えたが、真意を察するには情報が少な過ぎる。
「……っとそうだ、これも聞いておかなければ。先程誰かに襲われたと言っていたな? どんな奴だった?」
「それが……逃げるのに夢中で見ていないのです。お役に立てず申し訳ありません」
「そうか……いやいいんだ、謝る必要はない」
こちらの落ち込む気持ちを拭うように言葉を述べると、マルグリン公は椅子から立ち上がった。
「色々と思うところはあるだろうが、今は療養に専念してくれ。君が生活に困らないよう手を貸してくれと、村の者達には言っておいた」
公爵に視線を送られた村長は、彼の言葉を肯定するように頷く。
「一先ずはここで失礼するが、私もしばらくこの村に滞在する予定だ。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「分かりました、ありがとうございます」
優しい人達のようで良かったと、ルナリアは内心でほっとしながら礼を言う。
ドアへと向かうマルグリン公の背中を見送る。
だが何かを言い忘れたようで、ドアに手をかける前に公爵は再度ルナリアの方を見た。
「おそらく近い内に殿下方がいらっしゃるだろう、君に会いたいと言っていた。——ではまた後ほど」
そう言って、今度こそ部屋を去っていった。
「何かお食事をお持ちしましょうか?」
「いえ、今は食欲がなくて……。少し寝ることにします」
「承知しました。私は隣の部屋におりますので、何かあればお声がけください」
村長とこのようなやり取りをし、完全に一人になったところでルナリアは目を閉じて、先程公爵が言っていた内容を反芻する。
——殿下って、王子様ってことだよね? たしか……。
人間社会には疎い。100年前、森を焼かれた後に王城で暮らしていた僅かな期間で身に付けた知識は遥か彼方だ。
——偉い人と会うのは緊張するなぁ……。
そんなことを考えている内に次第に瞼が重くなっていった。