B13
「あっ、アスター背中に……」
ルナリアの手が背中に触れる。
顔を上げると彼女の腕の中には一匹の魔物がいた。
それは今自分達が置かれた状況を作った元凶。
「お前もいたのか、どうりで少し背中が冷たいと……」
こちらの悪態など全く意に介していない様子で、恩人に抱き上げられているスライムはプルンと揺れていた。
それからまた数分経ち。
「——よし、だいぶ落ち着いてきた。そろそろ動こうと思う」
氷嚢代わりにスライムを乗せていたことで身体の熱も治まってきた。
「ほんとに大丈夫? 無理してない?」
「してない」
「ほんと?」
「ほんと……本当だから……」
近付きこちらを見上げるルナリアに一歩距離をとる。
大変心苦しいがこのままではまた熱がぶり返してしまいそうだ。
「とりあえずここが何階か確認しよう。どこかに表記されているはずだ」
「うん」
こうして頭にスライムを乗せたまま前へと歩き出した。
注意深く辺りを見回すが、目当てのものが見つからないまま突き当たりへと到達。
道は左右に分かれている。
「どっちへ進もう」
「うーん……右!」
「分かった」
おそらくは確信めいたものはなく直感で決めたものなのだろう。だが運良く彼女が指し示した道に階層の表記があった。
「良かった早めに見つかって——あれ……?」
安堵したのも束の間、ある違和感に気付き口から疑問符が漏れる。
そこには遠くからでも視認出来る大きさでこう記されていた。
〝B13〟と。
「地下十三階……? いやそんなはずは……だってここには十二階までしかないと……」
聞いていた話よりも更に下の階層の存在に——そこに自分達がいるという事実に困惑を隠せない。
思わず近付いて確認した。かえって見辛くなった文字は変わらずここが地下十三階であると知らしめている。
「もしかしたら隠し部屋なのかも」
後ろから聞こえる恩人の言葉に反応し振り返る。
「この階層全体が特別な手段でないと行けない場所なんだよ、きっと」
「なるほど、簡単に行ける場所でないから認知もされていないと……。それだとますますセレン達がここに来るのは難しいだろうな」
「うん……。私達で脱出方法を見つけるしかなさそうだね。上に続く階段とか転移陣とか、探せばどこかにあるはずだよ」
「ああ、そうだな」
探索することで意見が一致した二人は再び足を動かした。
歩き、曲がり、部屋があれば中を隅々まで確認し、時折ずり落ちそうになるスライムを頭のてっぺんに戻し……これらの行為を何回も、何十回も繰り返す。
「こうも同じような場所を歩き続けていると気が狂いそうになるな……」
建物の造りはどこも似通っており、変わり映えのしない空間を延々と彷徨うのは予想以上に神経がすり減る。
「中々見つからないね……。魔物と遭遇しないのが唯一の救いかな」
ルナリアの言う通り、ここに来てから一度も魔物と出会っていない。
これも滅多に来ることが出来ない場所という特性が由縁しているのだろう。
「次の角を調べて何もなかったら一旦休憩にするか」
「うん」
彼女がこちらの提案を受け入れてくれたところで、今度は左に曲がった。
「ん? 何か奥で光って……。——あっ、あれは!」
曲がった先の通路は分かれ道がなく行き止まり。
手前には右側に部屋が一つだけ存在しており、そこから更に奥には青い魔法陣。
探し求めていた転移陣をようやく見つけることが出来た。
「やった! これでここから出られ——」
ルナリアが喜びの言葉を言い終わる前に、アスターの頭が軽くなる。
今まで大人しくしていたスライムが、転移陣を見るなり飛び出していったのだ。
「こら待てっ、勝手に動くな!」
また罠を発動されては堪ったものではない。先行くスライムを追いかけるが、すばしこく中々捕まえることが出来ない。
こちらの追跡から逃れながらスライムは部屋の前まで移動した。
そのときだった。
スライムの身体が何かに貫かれる。
それは扉のない出入り口から突如として現れた長い木の枝。
ドスッと反対側の壁に枝が突き刺さったと同時に、アスターは数歩後ろに下がった。
驚きのあまり声が出なかったのは幸いか。スライムを攻撃した何者かはまだこちらの存在に気付いていないようだ。
壁から引き抜かれた枝がゆっくりと部屋へ戻っていく。
その際に串刺しとなったスライムはずるりと枝から離れ、べしゃりと床に落ちていった。
既に事切れており、今はもうただの粘着質な液体と化している。
一連の出来事を見届けたアスターはルナリアと目を合わせた後、彼女と一緒に出入り口に近付いて中をそろりと覗き見た。
室内には大量の生き物の骨と黄色の木の実が転がっている。
骨はほとんどが魔物のものだと思われるが、その中で人間の頭蓋骨らしきものも確認出来てしまった。
脈拍が先程までとは違う意味で早くなる。
そして最も注目すべきは部屋の最奥。
そこには3メールほどの大きさの一本の低木。
無論ただの木ではない。
枝には例の黄色の木の実が成っており、幹の部分には目と口が存在し、根を足のように這わせ蠢いていた。
「なんだあれは……あんな魔物見たことがない——」
「アスター、あれ……」
木の姿をした魔物に目を見張っていると、何かに気付いたらしいルナリアが声をかけてきた。
「バーサトルウッドだ」
「え……? ——あっ!」
どこかで聞いたことあると朧げだった記憶が瞬時に甦る。
——バーサトルウッドっていう植物型の魔物から採れる木の実がどんな病気にも効くって言われているんだけど。
彼女を城に招いた日の夜、父が病に冒されていると話した際のやりとりを思い出す。
「あれが……」
再び視線を前に戻すと、件の魔物は付着したスライムの体液を煩わしげに払っていた。