身体強化(3章 了)
「おはようございますルナリア様、朝ですよー」
カーテンを開ける音とこちらを呼びかける声で目を覚ます。
ぼんやりとした視線を彷徨わせれば、にこりと笑みを浮かべるマリーと目が合った。
「おはようございます、マリーさん」
寝ぼけ眼をこすりながら挨拶を返す。
騒動が収束して数日、マリーはこうして今まで通り接してくれる。
あの日自分の軽率な行動で怖がらせてしまったことを謝罪して、彼女はそれを受け入れてくれた。
大変ありがたいことだ。
「いよいよ本日ですねっ!」
「そうですね、いよいよ……」
窓の外、良く晴れた空に視線を移す。
当初の予定よりだいぶ遅くなってしまったけれど、ようやく彼に身体強化を行える。
「それでは、よろしく頼む」
着替えと朝食を済ませてアスターの部屋に向かうと、彼はベッドに腰を下ろした状態で待っていた。
脱がしやすい服装でと事前に伝えておいたので、今の彼はワイシャツとスラックスといったいつもよりラフな格好である。
「どこか具合悪いところとかない?」
「問題ない」
体調確認をしつつ施術に必要な道具が入った籠を床に置くと、仮面で分かりづらいがアスターが籠の中をじっーと見ていることに気付いた。
こころなしか手足をそわそわとさせている。
「緊張してる?」
「えっ……い、いやそんなことは——」
言いかけた言葉を止め、こちらに視線を移すと小声で「少し」と答えた。
「心配しないで、すぐに終わらせるから」
フフと笑みを零しながら安心させるように言葉をかける。
「それじゃあ早速準備に取り掛かっていいかな?」
「ああ」
手始めに仮面を取りベッドに仰向けになるよう指示を出す。
次に籠から縄を取り出し、ベッドの脚に繋いだ後に彼の手足を拘束した。
「どう? 痛いところとかない?」
「大丈夫だ」
言いながらアスターは四肢を動かし縛り具合を確認している。
力強く引っ張っても外れる様子はない。
拘束は問題なさそうなので続いて口に噛ませる布を取り出す。
「……ルナリア」
するとここでアスターがおずおずとした口調で話しかけてきた。
「物は相談なんだが……仮面を付けた状態での施術は可能だろうか?」
口元に手を当ててうーんと数秒考える。
その末に出た結論はNOだ。
「お顔が見えないままだと異常が起きたときに気付けないから……」
「そうか……」
今まで聞いたことないほどに弱々しい声。心底残念に思っているのが伝わってくる。
気持ちは分かる。誰だって痛がっているところや泣いているところを人に見られるのは嫌だろう。
「大丈夫だよ、ここには私しかいないから」
「いや貴女がいるから——。……ぐだぐだ言っていても仕方ないか」
ぼそりと呟いた後に覚悟を決めたように表情を引き締めて、彼は口を開けた。
そこに布を挟み後頭部に回し縛る。
きつくないかと尋ねれば、こくりと一つ頷きが返ってきた。
「では失礼して……」
準備が整ったので彼に跨り、ワイシャツのボタンを外しにかかる。
露わになった胸に手を置くとバクバクと通常よりも早い鼓動を感じ取れた。
「それじゃあ、始めていくね」
施術開始を口にし、両手に魔力を込める。
手が触れている胸部は段々と液体のようになっていき、軽く指先で叩くと波紋を生み出した。
ゆっくりと手を胸の中に入れる。
うっ、と微かな呻き声を耳で拾いながら更に深く沈めていく。
中はぐちゃりと泥のような感覚。
前腕が半分くらい浸かったところで彼の肉体に元からある魔力を体内に溜める器官——魔力器を探すべく大きくまさぐった。
その途端、不意に腕が押し返される。
あれ、と思うよりも先に気付いた。
身体に力が入らない。
「わっ——」
脱力した身体は前のめりに倒れ、頭はアスターの胸の辺りにぽすりと落ちる。
「んぐっ⁉︎」
予想だにしていない事態にアスターも最初は困惑を見せていたが、くぐもった驚声を上げた直後に「あっ……」と何かをやらかしたような反応を見せた。
どうやらこうなった原因に心当たりがあるようだ。
ルナリアもこの脱力感に覚えがある。
「アスター、もしかして弱体化使った……?」
僅かに動く顔で見てみれば、こちらと目が合った彼はばつが悪そうに顔を逸らし、もごもごと口を動かして猿轡を外した。
「…………すまない」
ひどく消え入りそうな声だった。
身体に入ってきた異物を本能的に危険と感じとったのか、無意識のうちに使ってしまったようだ。
「だ、大丈夫だよ、こういうのを想定してなかった私にも非はあるし。効果が解けたら、今度は君に弱体化をかけて使えなくすればいいだけだから」
「ああ……、是非そうしてくれ」
そういうわけでこちらが動けるようになるまで待つ必要が出てきたわけだが……。
非常に気まずい。
密着していることもさることながら、全体重をアスターに預けているこの状況。
こころなしか彼の心拍数が先程よりも早くなっており、顔も上気しているような気がした。
明らかに身体に負担をかけてしまっている。
「……そういえば」
申し訳ないなと思いつつもどうすることも出来ずにもどかしさを抱いていると、アスターが話を切り出してきた。
「少し前に興味深い話を聞いてな。あの日——俺自身は覚えていないが俺がカースインバリッドの肝を持ってきたあの日、棲竜の谷にいたカースインバリッドが何者かの手によって倒されたらしい。……しかも驚くべきことにその挑んだ相手は一人だったそうだ」
「えっ⁉︎」
衝撃的な内容に思わず声を上げる。
ルナリアの知る限りではカースインバリッドは人間が一人でどうにか出来る相手ではないはずだ。
「近くにいた冒険者の話によると、そいつは高度な魔法を次々と放ち、怪我の一つも負うことなく勝利したとか」
「わぁ……世の中にはそんなすごい人がいるんだねぇ」
素直な感想を述べると、アスターはそうだなと相槌を打って話を続ける。
「おそらくはそいつが倒した後に死骸を漁って肝を入手したんだと思う。さすがに寝ている上に魔法も使えない状態で大型の魔物を討伐するのは無理があるからな」
「そっか、それなら納得——は出来ないけど……」
馬車で五日かかる場所をどうやって一日もかけずに行って戻ってきたのかなど、疑問は山積みである。
「でもそんなに強い人がいるのなら、なんとか仲間に出来ないかな?」
「俺もそう思って今探させているんだが、なにぶん手がかりが少なくてな……。黒いローブのフードを目深に被って、顔は包帯で覆い隠していたらしいから性別すら分かっていない」
「そっか……」
襲撃者討伐の戦力になりそうと考えたのだが、捜索は難航しそうだ。あまり当てにせず見つかったらラッキーくらいに思ったほうがいいかもしれない。
「見つかるといいねぇ」
「そうだなぁ」
「……」
「……」
「……どのくらい経った?」
「五分くらい?」
「そうか……」
再び生じ始めた気まずさ。
時計の音が耳に響く。
何か話題になるものはないかと僅かに動く顔で室内を見渡すと、ある物が目に留まった。
ベッドの脇の棚の上、仮面の隣に置いてある熊のぬいぐるみ。
まごうことなきルナリアが作った物だ。
「ぬいぐるみ、とっておいてくれたんだね」
見舞いに行った際に気付いていたが、あのときは話せる状況ではなかった。
「あ、ああ……。いい歳した大人が持っているのもどうかと思ったが、貴女からの貰い物だから大事にしたくてな」
照れ臭そうに笑うと、アスターは何かを思い返すように瞳を閉じる。
「本当に、こうして貴女と会えるだなんて思ってもみなかったな」
「——私も、大人になった君と再会出来るなんて想像つかなかったよ。しかも王子様だったなんて」
再会したときの衝撃は今でも記憶に新しい。
金の瞳がゆっくりと開く。アスターの顔は天井を向いたまま、けれどその眼差しはここではないどこか遠くを見ているようだった。
「本当は自信がなかったんだ。城に戻ったことが正しかったのか。……でも、最近は少しだけど間違ってはなかったと思えるようになってきたよ」
上を向いていた顔がこちらへ。
にこりと細まる瞳はとても柔らかい。
「これから先もたくさんの辛いことがあるかもしれないけれど、エルダリスの王子として歩んできた人生に後悔はないから——ないように生きるから。だから、どうか、安心してくれ」
その言葉を受けて、自然と顔が綻ぶ。
ルナリアも本当は幾度も思っていた、彼を人間社会に戻した選択は正しかったのだろうかと。
けれど彼はこちらが想像するよりも強い人間に育った。
彼ならきっと大丈夫。
「——うんっ!」
自分に出来ることは少しの手助けと、静かに見守ること。
それで充分だ。
「ようやく動けるようになった」
それからしばらくして、無事に弱体化の魔法が解けた。
上体を起こし、アスターに再度布を咥えさせ、加えて彼に弱体化をかけることも忘れずに。
「それじゃあ改めて、施術を開始するよ」
こちらの呼びかけに「んー」と発して了解を示す彼。
そんな彼の体内に、ルナリアは再び腕を侵入させる。
グチャリと中を掻き回し見つけ出した魔力器。見失わないようにギューと掴む。
「う……」
不快感を露わにした声が彼の口から漏れる。
眉間には若干皺が寄っていた。
無理もない、内臓を他人に掴まれているのだから。
「今から魔力管を魔力器に繋いで、身体の隅々まで通していくよ。少し痛いのが続くけど、すぐ終わるからね」
次に行うことを伝えて早速作業に取り掛かる。
こちらの魔力で作った管を彼の器にくっつけて、少しずつ伸ばしていく。
この工程が激痛を伴うらしい。
針金を身体の中に差し込まれるような痛みだった、と勇者は語っていた。
ルナリア自身は体験したことないが、どれほど辛いものなのかは想像に難くない。
それを実感させるように、アスターの声が一際大きくなった。
「い……っ、んんんんんんんん——っ‼︎」
今まで聞いたことのない、獣のような唸り声。
痛覚がもたらす刺激によって全身がビクンと跳ねる。
拘束された四肢は弱体化の影響を受けているにもかかわらず勢いよく暴れ、そのたびに縄がビンと張った
「待っ……ルナ、止め……っ‼︎」
「もう少しだから我慢して」
中途半端に止まるよりも一気にやった方が負担は軽減されるだろうと、待ったをかける彼を無視して頭から手足の先まで魔力の管を通していく。
「あ……っ、がぁ‼︎ はぁ——っ!」
額から汗が噴き出し、目に溜まった涙が頬を伝う。
カッと見開かれていた両目を固く閉じ、布をつけられた歯をギリィと食いしばるその様子は必死に痛みに耐えているようだった。
「——はい、終わったよ」
実際は数分程度の施術だったが、彼の体感的には数時間に及ぶ拷問だっただろう。
「お疲れ様。今縄と布取るからね」
彼の腹から降り、猿轡を外して四肢を縛る縄を解く。
上に向けられていた両腕は、こちらの方が楽だろうと胴体の脇へと動かした。
拘束を解いた後に汗を拭こうとタオルを近付けたのだが「いい」と言われ拒否されてしまう。
「……あまり見るな、今は」
疲弊しきった顔から涙がとめどなく落ちるが、今の彼には自ら拭うことすら出来ない。
「そんなに恥ずかしがらなくても、君の泣き顔なら昔よく見てたし」
「赤ん坊の頃の話だろうそれは……」
荒い呼吸の合間に反論する声は全然力がこもっていない。
タオルで涙と汗を拭き取り、乱れた服と髪を整える。
「よく頑張ったね」
髪を撫でた際、露出した額に近付いて——。
そっと口付けを落とした。
「な……っ⁉︎」
途端に元々火照っていたアスターの顔が更に赤くなる。
「あ……ごめんね、つい昔の癖で」
赤ん坊の頃のようにキスしてしまったが、彼はもう大人。いきなり家族でもない存在からキスされたら驚くのも当然だ。
真っ赤な顔で口をはくはくとさせた後、溢れ出る感情を抑えるようにアスターは目を閉じてそっぽを向く。
「お腹空いているでしょ? ご飯持ってこようか?」
「……いや、結構だ。疲れたから少し休みたい、皆にもそう伝えてくれ」
顔を背けたまま、少し拗ねた態度で彼は言った。
「うん、分かったよ。じゃあ私は行くね」
彼の意思を尊重して荷物を持って部屋を出ようとしたところ、ルナリアと呼び止められる。
「——頑張ったというのなら、褒美を一つくれないか」
瞳を閉じたまま、躊躇いがちに頼む声。
「いいよ、私に用意出来るものなら。何が欲しいの?」
「……子守唄を、歌ってほしい。俺が眠るまで」
予想だにしていなかった要求に驚いたのはほんの一瞬。微笑ましさと嬉しさに自然と口が弧を描く。
「お安い御用」
彼のそばまで戻り大きく息を吸う。
柔らかく優しい声音を室内に響かせる。
歌声に合わせて段々とアスターの顔から力が抜け、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
「おやすみなさい、ぼうや」
穏やかな顔で眠る彼の頬を、愛おしげに優しくそっと撫でた。
——どうか安らかに、ひとときの安息を。
3章 了