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妖精の祝福

 赤ん坊を拾ってから半年が経過した。

 日に日に寒くなっていき、森の木々は赤黄に色付かせた葉をはらはらと落としていく。

 そんな季節の移り変わりのように、ルナリアの周りでも変化が生じた。


 まず部屋の綺麗さが保たれるようになった。

 今までなら掃除をしてもすぐに物と埃まみれの状態に戻るのだが、赤ん坊が来てからはこまめに片付けをするようになったので、結果的にそうなったのだ。

 物がなくなったことで全体的に室内は広くなり、また床に積んだ本に足をぶつけて倒すなんてこともなくなったため、ルナリアにとっても良い変化だった。

 もう一つは赤ん坊がハイハイ出来るようになったことだ。こちらはつい最近の出来事である。

 数日前になんの前触れもなくいきなり這いだしたときはかなり驚かされた。

 だが同時に、彼が着実に成長していっているのだと実感して嬉しくもなったのだった。

 

 秋真っ只中の本日、ルナリアは赤ん坊の服を作っていた。

 型紙に合わせて布に線を引き、断ち切りバサミで布を切り終え、今はミシンで縫製を行なっている。

 時折顔を上げて、赤ん坊の様子を確認することを忘れずに。

 彼は裁縫道具が置かれた机よりも奥の方、床の上で熊のぬいぐるみと遊んでいた。

 ぬいぐるみはルナリア手製のものである。

 その他にも周囲には積み木が転がっていたが、これも彼女が森の木で作ったものだった。

 異常はない事を確かめた(のち)、再びミシンに視線を戻しカタカタと操作していく。


 ——これが終わったらまた買い物に行かないと。ミルクと……あれあと何が要るんだっけ……。

 考え事をしながら裁縫に集中していること数秒。ミシンの駆動音に交じってガタガタという物音が微かに聞こえてきた。

 気になって再度顔を上げる。

 音の正体は机の脚。いつの間にか赤ん坊がそこまで移動して揺らしていたのだ。

 それだけなら特に問題なかったのだが、振動である物が落ちそうになっている事に気付きルナリアは慌てて立ち上がった。


 キラリと銀に光る物体が、ぐらりと机から離れていく。

 鋭利なハサミが赤ん坊の顔目掛けて降ってくる。

「危ないっ!」

 咄嗟にハサミに向けて魔法を放つ。

 するとハサミの刃の部分がみるみるうちに錆びていき、赤ん坊にぶつかったと同時にボロボロと崩れていった。

「ぼうや大丈夫⁉︎」

 急いで駆け寄る。怪我はない事を確かめて漏らす安堵の息。

 ところが赤ん坊の方は最初状況が飲み込めずきょとんとしていたものの、いきなりの大きな声に驚いたのか泣き出してしまった。

「あーよしよし」


 ごめんねと謝罪を口にしながらあやす。

 それでも泣き止まないので、また子守唄を歌った。

 この赤ん坊と妖精の子守唄の相性は良いようで、大体の確率で泣き止んで寝てくれる。

 今回も歌の序盤あたりで徐々に声が小さくなっていった。


 ただその直後、いつもと異なる反応を見せる。

 なんと歌い出したのだ。

 まだ喋れる年齢に達していないので、口にするのは「あー」「うー」といった単音のみだったか、それでも歌のメロディに合わせて発しているのは明確だった。

「ぼうやはお歌が上手だねぇ」

 くるくると周りながら歌い続けると、彼の声により一層楽しさが増したような気がした。

 歌い終わる頃には、赤ん坊はいつものように夢の中へ。

 額に口付けた後、寝室に行きベビーベッドに寝かせ、すうすうと寝息を立てる姿を眺める。

 

 人間の成長は妖精よりもずっと早い。

 きっとあっという間に歩けるようになって、言葉も覚えていくのだろう。

 ——喋れるようになったら読み書きを教えないと。あ、あと魔力持ちだったら魔法も……。

 彼との未来を想像していく。

 これからの事を思うと楽しみで仕方がなかった。

 だが同時に、心の奥底では別の考えが(よぎ)っていく。


 本当にこのままでいいのだろうか。

 人間が住む場所に戻してやるべきでへないか、と。


 この森にはルナリアと赤ん坊以外誰もいない。だから自分に何かあったときの事を考えると不安になるのだ。

 妖精は人間よりも長く生きる。ルナリアは妖精基準だとまだ若い方なので、老衰の心配はない。

 加えて身体も頑丈なため、多少の怪我で命を落とすこともない。

 だが決して不死身というわけではないのだ。

 もし取り返しのつかない怪我や病気をしてしまったら、それで死んでしまったら——。

 彼を独りにしてしまう。

 だから彼の事を想えば、人が暮らす地に帰した方が得策なのだろう。

 

 しかし人間社会に戻すにあたり、一つだけ懸念点があった。

 彼の顔の人面瘡だ。

 今でこそルナリアは特に気に留めていないが、出会った当初はやはり不気味に思った。おそらくは大多数が彼女と同じ反応をするだろう。

 そしてその中で、悪意を持って接する者が必ず現れる。

 この痣が周囲との関係を築く妨げとなるのは目に見えていた。

 けれどルナリアにはどうすることも出来ない。

 知っている限りの治癒魔法を使っても、様々な薬を用いても、痣を消すには叶わなかったのだ。

 ——大妖精様達がいてくれたら……。

 何か知恵を貸してくれるかもしれないのにと、今は亡き仲間達に想いを馳せる。


 かつて、この森には多くの妖精が住んでいた。

 彼女らの長である大妖精が生み出した霧と結界により、侵入者に脅えることなく平和に過ごしていた。

 しかしある日、その平和を壊す存在が現れる。

 いつしかそれはこう呼ばれるようになった。

〝邪竜〟と。


 森の大木よりも遥かに巨大で、体は闇のように黒く、瞳は血のように赤い——。そんな竜だった。

 今でも鮮明に蘇る、無数に降り注ぐ火の雨。

 邪竜が吐く炎は結界を軽々と破き、森は一瞬にして炎に包まれた。

 その過程で多くの仲間の命が奪われた。生き残ったのはルナリアと近所に住む双子の姉弟、そして大妖精の四人のみ。

 四人は復讐を誓い、同じく邪竜の被害を受けていた人間と協力して邪竜討伐に動いた。


 人間側からは三名が主要メンバーとして選出された。

 戦士と魔法使い、そして彼らのリーダー的存在である勇者。

 大妖精達はその三人に力を与え、共に鍛錬に励んでいた。

 当時ルナリアはまだ幼く、大した魔法も使えなかったため戦闘には参加出来なかったが、自分の出来る範囲で雑用をこなしていた。

 そうして、六名の活躍により見事邪竜は打ち倒されたのだ。

 しかし邪竜の力は強大で、生き残ったのは大妖精と勇者のみ。

 数ヶ月後には、戦いの傷が原因で大妖精も星となった。

 

 その後ルナリアは大妖精が死ぬ前に再生させた森の中、霧と結界によって閉ざされた箱の中に引きこもっている。

 ——遠くの地へ行けば、仲間に会えるかもしれないよ。

 月日が少し経ち、国の復興があらかた進んだ頃、勇者にそう言われた。

 近いうちに旅に出るから一緒にどうかと誘われたが断った。

 臆病な自分にはとてもじゃないがそんな冒険は出来ない。未熟者の自分が同行して、勇者の足手纏いになるのも避けたかった。


 以上がルナリアが独りとなった経緯である。

 そういうわけで頼れる人がいないため、現状の打開策は自分で考えなければならない。

 どうしたものかと頭を悩ます。

「…………あっ、そうだ」

 考え抜いた末、一つの結論に至った。

 ——何も痣の消去にこだわる必要はないんだ、発想を変えてみよう。マイナス要素を取り除くんじゃなくて、それを気にさせない程のプラス要素を付け加えてあげればいい。それなら……今の私になら出来る。

 両手を力強く握って、己を鼓舞する。


 妖精には、気に入った人間に力を与える〝妖精の祝福〟という能力がある。

 与える力は歌や芸術の才能だったり、もっと分かり易い魔法などの能力であったりと様々だ。

 大妖精達が勇者一行に施したのもそれである。

 祝福を授かった者の特徴として、身体のどこかに印が付けられる。

 人間の間ではその希少性から、祝福の証を持つ者は重宝されていた。

 彼にそれを付ければ、ある程度良い待遇は受けられるだろう。

 

 無論、これだけで全ての悪意から退けられるとは思っていない。

 ——だから対抗策として……。

 組んだ手に力を込める。

「愛しいぼうや、貴方に魔法を一つ授けましょう。——(つるぎ)(なまくら)に、劇物を香辛料に、大病(たいびょう)感冒(かんぼう)に変える力を」


 それはルナリアが最も得意とする魔法。先程ハサミに使用した〝弱体化の魔法〟——。

 効果としては、物の性質を少しばかり劣化させるといったものだ。

 対象が刃物であるなら、錆つかせて軽く触れただけで粉々に崩れるといった具合に。

 あくまで弱体であるため、致死量の毒を盛られた場合は多少身体に影響は出るが、少なくとも死ぬことは防げるだろう。

 集中した魔力によりキラキラと光り輝く両手を赤ん坊に近付ける。

 光は彼の周囲に移動し、やがて一点の——右側の目元の部分へと集合して、小さな花の印となった。

 

 無事に印は付いたが、授けた魔法はきちんと発動するだろうか。

 裁縫箱から針を持ってくる。

 気乗りはしないがやるしかない。

 おそるおそる、針を赤ん坊の腕に近付ける。震える手の中の小さな凶器は、彼の皮膚に到達する前に茶色に変色してパラパラと朽ちていった。

 

「良かった、成功だ」

 ほっとしつつ印を優しく撫でる。赤ん坊は依然すやすやと眠っている。

 その寝顔を見ているだけで温かな心地になった。

 ずっと見つめていたい。

 ずっとここに居てほしい。

 帰すのはもう少し大きくなってからにしようかと考えていたが、それでは駄目だと悟った。

 長く一緒にいればいるほど手放し難くなってしまう。

 彼をこんな寂しい場所に縛りつけておくわけにはいかない。

 ——今日だ。今日にしよう。

 自身の決心が揺らがぬうちに、計画を実行しようと決めたのだった。




 赤ん坊が入った籠とおもちゃと衣服が入った袋を携え、星が瞬く夜空の下を飛行する。

 川を通過し数キロ先、物資の調達に利用している村、ローゼングラスにやって来た。

 この村の外れには孤児院がある。

 遠くからいつも楽しげに遊ぶ子供達の姿を見かけていたので、問題ないだろう。そこに彼を任せることにした。

 周辺に人がいないことを確認し、玄関前に降り立つ。

 ——一応念の為……。

 その場でくるりと一回転するとどこからともなくローブが出現し、彼女の耳と羽を覆い隠した。


「さあぼうや、ここが新しいお家だよ」

 袋と籠を下ろす。しゃがんで籠を覗き込み、赤ん坊と目を合わせた。

「元気でね……」

 両頬を撫でる。くすぐったいのか、キャッキャッと彼は声を上げた。

「きっとこの先、たくさんの辛いことがあると思うけど……」

 それは生きていく上で誰もが経験する事も、彼自身の特性上起こりうる事も含めて。

 どちらも避けては通れないものだろうけれど。


「でもそれと同じくらい、楽しいことや嬉しいこともきっと訪れるから」

 明けない夜はないように、止まない雨はないように。

 木漏れ日に包まれるような日々も待っている。

 そういう人生であってほしいと祈りを込めて——。

「離れていても、いつでも君の幸せを願っているよ」

 最後にいつもやっているように額にキスを落として、呼び鈴を鳴らした。


 建物の陰に隠れたて様子を窺う。

 扉が開き、中からここの職員と思しき一人の中年女性が出てきた。

 籠を見るなり面食らった顔をする職員。

 中身が赤ん坊だったからか、その赤ん坊の顔に醜い痣があったからか、はたまた祝福の証を宿していたからか。おそらくは全部だろう。

 職員はしばらくその場で固まっていたが、やがて籠と袋を抱えて中へと戻っていった。

 バレないように窓から中を覗き込む。


 室内には女性の他に数名の職員。その全員が女性と同じリアクションをとったが、次第に温かな表情に変わっていった。

 職員の一人が赤ん坊を抱き上げて、高い高いをする。

 赤ん坊は嬉しそうに笑い、職員もまた釣られて笑顔を見せる。

 その光景を見届けて、ルナリアはくるりと一回転してローブを外すと羽ばたいていった。

 

 暗い夜空の下を飛行して家路に着く。

 がらんとした部屋、しんとした空気が耳に痛い。

「寒いな……」

 ぽつりと呟いた言葉は、静寂に吸い込まれて消えていった。

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