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毒花回想録

「部屋まで運ぼう」

「あ、ありがとう……」

 長い長い階段を上り、地上に戻ってきた。

 地下にいたときには分からなかったが、外は未だに雨模様。


 現在ルナリアは(もも)の裏側に回されたアスターの左腕に座るような——いわゆる片腕抱きの状態で抱えられている。

 もう片方の腕は倒れるのを防ぐためか背中を支えられ、完全に全体重を彼に預けている体勢だ。

 重くないだろうかと心配するよりも先に、懸念すべきは先程の自身の行動。


 すっかり我を忘れていた。感情の歯止めがきかなくなり、本気でシベリカ公を殺めようと——。

 たしかに以前、アスターが森に捨てられた事象に関与した者を八つ裂きにしたいと考えたことはあったが、あれは半ば冗談で、まさか本当に実行してしまうとは。ルナリア自身も驚いている。


 怖がらせてしまった。周りにいた人々、そして目の前にいる彼を。

 彼は怒っているのだろうか。

 彼に嫌われてしまったらどうしよう。

 自室が近付くにつれ不安が大きくなっていく。


「殿下っ、お目覚めになられたのですね!」

「ああ、心配かけたな」

 道中何回もあった使用人達と彼のやりとりが遠く感じる。


「妖精様も、ようございましたね」

 なかにはこちらに話しかけてくる者もいたが、今のルナリアに受け答える余裕はない。

 その度にアスターがルナリアは体調を崩しているから、急いでいるから、等フォローを入れてくれたおかげで事なきを得るが、同時に自己嫌悪が膨らんでいった。


 そういった過程を挟んで部屋に辿り着く。

 中に入ると備え付けの椅子にそっと優しく下ろされた。

 未だ身体が脱力したままなので、くたりと背もたれに寄りかかる。


「腕、痛くないか?」

 さっき強く掴んでしまったからと言いながらアスターはしゃがみ、壊れ物を扱う仕草で腕に触れてくる。

「大丈夫」

「そうか……。良かった」

 仮面奥の金の瞳が少し柔らかくなった気がした。


「……ごめんなさい。さっきはあんなことをしてしまって」

「……」

 アスターはこちらを見つめたまま何も言わない。

 こういうとき顔が見えないのが怖いと感じる。

 瞳だけでは正確な感情を読み取ることなど出来はしない。

 動揺から、ルナリアの銀目が揺らぐ。

 するとアスターは仮面を外しにかかった。こちらの気持ちが伝わり、それに応えてくれたようだ。


 露わになった彼の顔。

 幼い頃、悪さをした際に自分を叱りつけるときの両親に似ていた。

 怒っているというよりも、どこか悲しんでいるように見える顔。

 ある程度成長した今になって、自分よりもうんと年下な相手にこんな表情をさせてしまった事実にいたたまれなくなる。


「——俺のために怒ってくれたことは嬉しいよ」

 アスターの両の手が、こちらの小さな二つの手をふわりと包み込む。

「だが貴女が誰かの命を奪うことは望んでいない。たとえそれが悪人であっても」

 皮肉にもシラーに向けた説得と同様の言葉を、ルナリア自身も受けるかたちとなった。


「うん……」

 こくりと頷くと、アスターはよしと言って微笑んで立ち上がる。

「しばらくここにいてくれ。俺は一旦失礼させてもらう、あいつのところに行かなければ」

「シラー様のとこ?」

「ああ。色々と聞きたいことはあるんだが、はてさてどうしたものか……」

 仮面を付け直した彼は額に手を当てて頭を軽く振る。


 シラーも現在は自分の部屋にいるはずだ。

 あれからそんなに時間は経っていないけれど、彼は今どうしているだろうか。

 何を思っているのだろうか。


 ◇


 ——お前には腹違いの兄がいる。

 7年前のある日、父にそう言われた。

 シラーが八歳の頃の話だ。

 今までずっと一人っ子だと思っていただけに、まさに晴天の霹靂。

 戸惑いが拭いきれないまま対面した兄は、何故か顔のほとんどを覆い隠すように仮面を付けていた。

 唯一露わになっているのは右の目元のみ。そこには小さな花の印。


  これでは相手が今何を考えているのか分からない。

 表情が読めない恐怖から、シラーは母の後ろに隠れた。

 振り向く母は安心させるように微笑む。

 母は基本的にいつも笑顔だ。

 もちろんこちらが悪いことをすれば叱るけれど、基本的に感情を荒らげる人ではなかった。


 母の笑顔を見ていると安心する。

 今も、ざわざわしていた心が和らいだ。


「母上、兄上は何故お顔を隠しているのですか?」

 母と二人きりになったときに尋ねた。

「兄君は顔に大きな痣があるのよ」

「痣……なるほど」

 仮面を付けている理由は理解したが、依然として怖さは付き纏う。


「じゃああの花の印はなんですか?」

「あれは妖精から祝福を授かった証」

 妖精という単語に大いに反応を示すシラー。

 妖精は滅多に姿を見せない希少な存在。そのような種族に会ったことのある兄に、自然と羨望を抱く。

 妖精は普段どんな生活をしているだろうか、どんなものを食べるのだろうか。好奇心がとめどなく溢れていく。


「詳しいことはご本人に聞いてみたら?」

 だがいざ母に会話を促されると、途端に尻込みしてしまう。

 このときはまだ、そんな勇気は湧かなかった。


 きっかけは本当に些細なことで、その日、シラーはいつものように授業を抜け出していた。

 肩書きは第二王子へと変わったのに、勉学の量は今まで通りとはどういうことか。

 これまでは唯一の王位継承者ということで勉強漬けの日々にも納得していたが、兄が来てからは自分がここまで頑張る必要はないのではと思うようになり、サボる頻度が増していった。


 あてもなくフラフラと歩いていたそのとき、どこからか歌声が。

 吸い寄せられるように歌のする方へ歩いていく。

 辿り着いた先は音楽室。そこで歌っていたのは兄だった。

 どうやら歌の稽古をしているようだ。近くに教師らしき人物も見える。


 まだあどけなさの残る声は天使のようで、それでいて勇壮と気品に満ちている。

 ——綺麗……。

 心の底からそう思った。今まで聴いたどの歌声よりもずっと——。


 しばしそうして聴き惚れていると、背後から気配がした。

 振り返るとそこには母が。仁王立ちで困ったように笑っている。

 まずい怒られると身構えていたが、予想に反して母はこちらの手を引いて音楽室へと入っていった。


 息子の演奏に合わせて歌ってほしい。

 そう母は兄に言った。

 突然の母の要望に、シラーは目を白黒させる。


 兄はどうだろう、こちらと同じように驚いているのだろうか。仮面を付けているから分からない。

 ただ快く受け入れてくれた。

 そういうわけで急遽兄とユニットすることに。

 最初は戸惑っていたシラーだったが、兄と親しくなれるチャンスかもしれないと考えると途端に意欲が高まっていく。


 緊張する心を落ち着かせ、渡されたヴァイオリンを構える。

 いつも通りにと自分に言い聞かせ、音色を室内に響かせる。

 そこに美しい歌声が加わっていく。

 自分が奏でる音と兄の声が調和していく様子に、とても胸が高鳴った。


 なんとも言えない高揚感の中、無事に一曲弾き終わり、教師と母から拍手を送られ、兄からは演奏を褒められた。

 授業終了の時間になったため教師は帰り、母はもう少ししたら勉強に戻るようにと行って去っていく。

 兄と二人きりだ。


「兄上」

 意を決して、言ってみることにした。

「仮面を外していただけませんか」

「…………」

 兄は何も言わずに、ばつが悪そうに顔を俯かせて拒否を示す。

「お顔が見えないのは怖いです」

 更に言葉を付け加える。するとこちらに視線を戻し、こう口にした。


「これを外したらもっと怖いものを見ることになるぞ」

 脅しともとれる言葉に一瞬たじろぐが、負けじとじっと見つめ返す。

 そうしたら根負けしたようで、兄は手を後ろに回し、パチンと仮面の留め具を外した。


 露わになった顔。

 母が言っていた通り、左頬に大きな痣がある。人の顔の形をした人面瘡——。

 たしかにこれは隠しておかなければ心無い者に色々言われそうだ。

 シラー自身も、不気味に感じなかったと言えば嘘になる。

 

 ただ、全体的な容姿は整っていた。

 きりりとした目つきが凛々しさを醸し出している。

 普段の態度と声から抱く印象通り。

 その瞳が父と同じ金色をしていたものだから、少し羨ましいと思った。


 シラーは髪も瞳の色も青。どちらも母親譲りだ。別にそこに不満があるわけではないけれど。

 抱いた感想を率直に伝えると、兄は安心したようにフッと笑う。

「お前も綺麗な顔をしているよ。髪も目も、お前によく似合っている。青空のようだ。一目見たときから可愛い子だと思ってたんだ」


〝可愛い〟という言葉に少し引っかかる。出来れば格好いいと言ってほしい。

 だが容姿を褒めてくれたことは素直に嬉しかった。


 その日から兄とよく話をするようになった。

 こちらが頼めば、ここに来る前の生活を話してくれた。

 3年程マルグリン公のもとで王族としての知識や作法を叩き込まれたこと。

 それより前は孤児院で暮らしていたこと。


 特に孤児院での出来事が生まれながら王城で育ってきたシラーにとっては新鮮で、興味を惹かれる。

 決して豊かな生活ではないのだろうけれど、同年代の子と心置きなく遊べるのは楽しそうだ。

 この他にもあの日のように、時折演奏に合わせて歌ってもらったりなどをして、着実に仲を深めていった。

 

 けれど……。

「シラー殿下、あまり兄君に心を許してはなりませぬ」

 少し経った日、伯父にそう言われた。

「どうしてですか?」


「次期国王の座を盤石なものにするために、貴方様を亡き者にしようと画策していてもおかしくありませんから。殿下はまだ幼いから分からないかもしれませんが、人の心というものは表に出ているものだけが全てではないのですよ。大抵の人間は後ろ暗い感情を持ち合わせております。あの男も、優しい兄を演じているだけで仮面の下ではきっと憎悪や欲望が渦巻いているに違いありません」


 シラーはむっとした表情で不快感を露わにする。

 伯父は兄をそんな酷いことをする人間だと思っているのか。あんなにも優しく、真面目な兄を。

 昔から伯父のことは嫌いだった。

 彼が己が権力のためにこちらを王にしたいのだということは理解していた。一見こちらの身を案じるような言葉も、全ては自分のため。

 はなからこちらのことなど見ていない。


 しかしながら——伯父を軽蔑するその一方で、彼の言うことを完全に否定出来ない自分もいる。

 心の奥底では抱いていた。腹違いの弟など邪魔だと思っているのではないかと。




 そこからまた月日が流れ——。

 この日は日頃の不真面目さが祟り、今日の分の勉強が終わるまで昼食は抜きだと母に言われた。なので仕方なく机に向かっていたのだが、腹が減れば当然集中力は落ちる。

 とうとう限界を迎えたシラーは閃いた。兄に食事を分けてもらおうと。


 廊下に人がいないことを確認するためドアを少しだけ開ける。

 すると運悪く母が通りかかった。慌てて閉めていなくなるのを待っていると、隣の部屋——兄の自室からドアの開閉音が。

 どうやら母は兄の部屋に入ったようだ。


 そこから数分、母が出ていくのを待っているのだが一向にその気配がない。

 母は一体何をしているのだろうか。気になったので中をこっそり覗いてみることに。


 廊下を出て、兄の自室のドアを気付かれないように薄く開ける。

 室内には母以外の人間はいないようだ。

 机の上には食事が置いてあり、母はそのそばに立っていた。

 なにやらいつもより元気がなさそうに見える。


 手には小瓶。中には青色の粉末。

 あれはなんだろうかと気になっていると、母は瓶の蓋を開け、中身を肉料理へと振りかけた。

 サラサラと青い粉が落ちていく。

 その後母がこちらへと向かってきたので、急いで自分の部屋に引き返す。


 ドアを開けて閉める音、そして遠のいていく靴音。それらを聞き届けた後に、改めて兄の部屋に侵入する。

 気になる肉料理を覗いてみたが、青い粉は既に料理にかかっているソースによって跡形もなく溶けていた。

 あれはなんだったのだろうと疑問符を浮かべていたところに、ドアが開く音。


 やってきたのは兄だった。

 どうしたのかと尋ねられたので、食事を少し分けてほしいと伝える。

 兄は快諾し、肉料理を半分寄越してくれた。

 丁度あの粉の正体が知りたかったのでありがたく頂戴する。

 味の感想は特に変わりない、いつもと同じだ。

 てっきり希少な調味料かと思っていたのだが、違うようだ。

 期待は外れたが腹は膨れた。兄に礼を言って大人しく部屋に戻る。

 

 異変が起きたのはその直後。

 突如襲ってきた動悸と吐き気。

 我慢出来ずその場で戻してしまう。しかし吐いても気分が良くなることはなく、むしろより一層気持ち悪さと苦しさが増していった。

 先程までは元気だったのに何故突然——。

 立っているのも辛くなり、ばたりと倒れ込む。

 痛む胸を必死に押さえる。誰か呼ばなければと頭では理解しているが、吐瀉物の付いた口からは呻き声しか出てこない。

 

「シラー‼︎」

 兄が勢いよく部屋に入ってきた。

 仮面を外していたので素顔が見える。

 口の周りの汚れから彼も吐いたのだろうと、朦朧とした意識の中かろうじて理解する。

 段々と人が集まってきた。そこには母の姿も。

 金切り声と、絶望に染まった表情。

 あそこまで取り乱す母を見るのは初めてだった。




 次に目が覚めたときにはベッドの上。

 傍らには仮面を付けた状態の兄。

 顔は隠れていたが、よく目を凝らすと仮面越しに金の瞳が把握出来る。

 こちらが無事に目覚めたことに安堵しているようだった。


 その後兄は経緯を説明してくれた。

 彼の食事に毒が入っていたこと。

 そしてそれを食べた自分は数日間意識を失っていたこと。


 話を聞き終えたシラーは内心で青ざめる。

 母の顔が思い浮かぶが、あの人がそんな恐ろしいことするはずがない。

 あの青い粉は毒なんかじゃない。

 そう信じたかった。

 今すぐ本人に聞いてみようと身体を起こしたそのとき。


 廊下の方から悲鳴が聞こえた。

 ここで待っているようにと告げて兄は出ていったが、素直に従うはずもなく。

 ずっと寝ていたからか、上手く力が入らない身体をなんとか動かして廊下に出てみると、母の部屋の前に人が集まっていた。そこには兄と父の姿も。


 ぞわりと悪寒が走る。

 嫌な予感がした。

 こちらに気付いた父が来るなと大声で叫ぶが、構わず駆け寄って中を覗く。


 そこには母が。ただその姿はとても異様。

 顔に生気は無く、首には天井から伸びたロープがくくられており、そして足は床につくことなく宙に浮いていた。


 思考が止まる。

 脳が理解を拒んでいる。

 目を背けたいのに身体が金縛りにあったように動かない。


 兄が何度もこちらに呼びかける。

 すぐ近くにいるはずなのに、その声はひどく遠くに感じた。

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