シラー・シベリカの糸車〜永眠〜
厳然な旋律が室内に響く。
当然クローゼットに隠れているルナリア達の耳にも届いていた。
まるで神から審判を言い渡されるのを待っている咎人の気分。
その緊張感が針のように心臓に突き刺さる。
話の全貌を把握したわけではないがシラーがシベリカ公を殺めようとしているのは理解したので、止めなければとルナリアはクローゼットから出ようとした。
だがしかし、途端に痛烈な眠気に襲われて身体に力が入らない。
——なんて強力な……弱体化を発動しているのに……。
ぐらりと身体が揺れ、クローゼットの背面にもたれかかる。
少しずつ意識が遠くなる中、聞こえてきたのは二つの呻き声。
見るとマリーとシベリカ公が苦しそうに胸を押さえていた。
身体を支えられなくなってきたのか、シベリカ公はよろよろと数歩動いた後に膝をつきその場でうずくまる。
腕の中のラットも、先程までケージ内で動き回っていたのに今はぐたりとしている。その胸にはじわじわと青い花の模様が浮かびかかっていた。
——まずい、このままだとマリーさんまで……っ。
なんとかしなければと思うものの、微睡みかけた脳味噌では動くのも精一杯。
そうこうしている間にも演奏は続く。ヴァイオリンの音色に交じり、シラーとシベリカ公の口論が微かに聞こえてくる。
「何故……っ、何故ですか殿下! どうしてこのようなことを——」
「兄に仇なす存在をこれ以上生かしておくわけにはいきません」
「そんな……っ、全ては貴方様のために……!」
「自身の権力のためでしょう? 私がいつそんなことを頼みましたか?」
「——ッな、ならばもう二度と兄君に危害を加えないと約束します! だからどうか命だけは——‼︎」
「……ああ伯父上」
青の瞳をすぅっと細め、シラーはシベリカ公を冷ややかに見据える。
「違う、違う、違うのですよ。私が許せないのはそれだけではないのです。——覚えていますか? 私が昔兄上の食事に入っていた毒で死にかけたこと」
「まさか……」
シラーの言葉を受けた公爵は顔をみるみる青ざめさせていく。
「ええ、分かっているのですよ。毒を用意したのが貴方だということも、——貴方が母上に毒を盛るよう仕向けたこともね」
「な、ぜ……」
喋るのも辛くなってきたのか、シベリカ公の言葉から勢いがなくなってきていた。
「結果的に実の息子を手にかけたことに堪えられなかったのか、母は自ら命を落とした……」
「ち、ちがっ……まさかあんなことになるとは……っ」
「ああ何故母に毒殺を命じたのですか? 何故兄を殺そうしたのですか? ——なんでよりによって私と同名の毒花を使ったのですか⁉︎」
気が狂ったように次々と問いただすシラー。最後の方は泣きそうな声だった。
立て続けに衝撃的な事実を耳にしたことで、ルナリアの頭が僅かに醒めていく。
「知らな……毒の種類など……!」
「そうですか。まあ今となってはどうでもいいことですけどね。どのみち貴方にはここで死んでもらいますから」
「い、いやだ……誰か助け……っ」
「残念でしたね。御伽話の姫君のように、死の呪いを書き換えてくれる妖精はここに存在しません」
毒々しいほどの青い瞳がにんまりと笑む。
「おやすみなさい伯父上、永遠に——!」
「やめてシラー様‼︎」
ケージを置き、勢いをつけてクローゼットの扉にぶつかって外に出たルナリアは、そのままシラーめがけて弱体化の魔法を放った。
「な——うっ⁉︎」
予想外の第三者からの攻撃に驚きの声を上げるシラー。身体に力が入らなくなったことでヴァイオリンを落とし、その場にへたり込んだ。
床に転がったヴァイオリンをルナリアは瞬時に手元に引き寄せる。
彼が完全に動けなくなったと視認した後、急いでマリーのもとへ駆け寄った。
「マリーさんっ、マリーさん!」
呼びかけには応えないが脈は正常で息もある。服を少しはだけさせたところ、うっすらと青花模様が浮かんでいたがそれもゆっくりと消えていった。
命に別状はないようだと安堵の息を漏らす。
「何故貴女方がここに——⁉︎」
案の定、シラーが自分達がここにいる理由を問いかけてきた。
「えっと……薬を作りたかったんですけど工房がいっぱいだったからそれで——」
どう伝えるべきかと悩んだ末に絞り出した答えに、彼は無理矢理表情をいつもの笑顔に戻し応じてくる。
「ああなるほど。……何はともあれ巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。——さぁここは危険ですからヴァイオリンを置いて、マリーを連れて出ていってください」
「い、いやです……」
ヴァイオリンを握る手に力を込める。そんなこちらの態度に今度は駄々をこねる子供に向けるような困った顔をしてきた。
「ルナリアさん……」
立ち上がろうとする彼だったが当然出来るはずもなく。
「そこにいたのなら話は聞こえていたでしょう? この男は兄を——貴女の愛し子を殺そうとしているのですよ。そんな輩がのうのうと生きているのは貴女も堪え難いはずです」
「それは、そうですけど……。でもだからってシラー様がこんなことする必要は——っ! 毒殺のことも今回のことも充分罪に問われるものですから法で裁いてもらえば……」
ルナリアの主張にシラーは首を横に振る。
「駄目です、駄目なのですよ。明確な証拠がないから、見つけることが出来なかったから……こうするしかないんです。だからどうかヴァイオリンをこちらへ……」
力など一切入らないはずなのに、彼は震えながらも腕を伸ばしてきた。
彼の執念と本気がそれだけで窺える。
「お願い考え直して! アスターも……貴方のお母様も貴方が手を汚すことなんて望んでないはずです‼︎」
「そんなこと言われずとも——‼︎」
いつもの態度からは想像出来ない、鋭い剣幕でシラーが吠える。
その直後。
ドンドンとドアを乱暴に叩く音が割って入ってきた。
突然の物音にヒートアップしていた口論は中断を余儀なくされ、二人の注目がドアに向く。
誰か来た、しかし今招き入れれば確実にこの状況について説明を求められるだろう。
出来れば事を荒立てたくないルナリアはどうすればいいのかと硬直してしまう。
そうこうしているうちにまた部屋の外の誰かがドアを叩く。今度は先程よりも苛立たしげに。次いでガチャガチャとドアノブを回す音。
バクバクと心臓が跳ねる。
現状あのドアは鍵がかかっている上に、おそらくシラーが何かしらの魔法をかけているはずなので簡単には開かない。
そう思っていた矢先、ガチャンと施錠が外れた音が鳴った。
ノブが回り、ドアがゆっくりと開かれる。
「——あ……っ⁉︎」
シラーは僅かに声を漏らして、ルナリアは無言のまま現れた人物に驚愕した。
やってきたのは一人の男。
呪いにより深い眠りに落ちたはずの王子様。
「アスター⁉︎」
ベッドに囚われているはずの彼がここにいる事実に、ルナリアは困惑を隠せないでいた。