貴方のための
「お待たせしましたマリーさん」
廊下で待機していたマリーに声をかける。
「いえいえ。次はどちらに行かれますか?」
「工房へ」
ポケットから折り畳まれた数枚の紙を出す。
「最新魔法の効果を打ち消す薬を考案したので、試作してみようかと」
「もうそんなところまで……っ⁉︎ これで殿下もお目覚めに——っ!」
「そうだといいんですけど……」
アスターの呪いが最新の魔法によるものであるというのはあくまで仮説。そうでないのであれば、薬が完成したとしても無駄骨になってしまう。
それでも呪いの詳細が特定出来ない現状では徒労覚悟で一つ一つ実践していくしかない。
非常にもどかしいが、ルナリアが出来る範囲での一番の近道だ。
「この中のどれかが当たりであることを祈りましょう」
数枚の紙、数種類の最新魔法の特効薬考案書。
その中の一つには、以前シラーが見せてくれた音魔法に対するものもあった。
聖剣製作以来の宮廷魔法師の工房。
しかしそこは以前と異なり、大勢の人間が忙しなく動いていた。彼らも解呪策を必死に模索しているのだろう。
作業出来そうな場所を探してみるが、どこも埋まっている。
「どうします……?」
「どうしましょう……」
マリーと一緒になって途方に暮れていると、一人の女性が近付いてきた。
「あれ? 妖精殿、いかがされましたか?」
「あっ、貴女はあのときの……」
その人物は事件発覚日にアスターの部屋で出会った魔法師である。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は宮廷魔法師団の団長をしております、セレンと申します」
深々と頭を下げてきたのでこちらもお辞儀を返す。
まさかの団のトップだったとは思わずルナリアは内心驚いていた。
歳はアスターと同じくらいか、それよりも少し上といったところだ。
この若さで団長になれるとは、きっと彼女はとても優秀な人物なのだろう。
「えっと、アスターの呪いを解くための薬を作りたくて……」
「ああ——それでしたら私の場所を使ってください。今片付けますので」
セレンの視線の先には様々な薬草や器具が散乱した机。見ただけで薬の製作途中というのは明らか。
「い、いえっ。それは申し訳ないです」
プロである彼女の作業を妨げるのは気が引ける。
「また時間を改めますので……」
「しかし……今は一刻を争うとき。何か他に手立ては……」
うーんと考え込むセレン。数秒ほどして、妙案が浮かんだのか「あっ」と声を出して手をポンと叩く。
「シラー殿下の地下工房! 殿下に頼めば使わせてもらえるかもしれません」
彼女の言葉にそういえば専用の工房を持っていると以前聞いたことを思い出す。
「早速お願いに行きますか?」
「そうですね」
こくりと頷き、セレンに別れを告げてマリーと共にシラーのもとへ向かう。
仕事中とのことなので今は執務室だろう。そう思っていたのだが——。
「失礼しますシラー様——あれ?」
実際に訪れてみたところそこに彼の姿はなかった。
「いない……」
「別の場所でしょうか?」
その後庭園、図書室、寝室——その他色々と彼が足を運びそうな場所に赴いたが見つからず。道中使用人や兵士に尋ねてみても居場所を突き止めるには叶わなかった。
「他にあの人が居そうな場所は……」
「うーん。……あっ! 陛下のお部屋とか?」
「ああなるほど、お見舞いに行っているのかもしれませんね」
いることを願い新たな候補地へ。
「シラー殿下ですか? いえ、今朝お見舞いにいらっしゃってからはお見かけしておりませんが……」
けれども当ては外れてしまう。
どのような用件かと続けざまにフレディに尋ねられたので、ルナリアは事情を説明した。
「なるほどそういうことでしたか」
「……それならば事後報告でも良いだろう」
三人で悩んでいたところ、国王のバルタザールが会話に参加してくる。
「えっ、ですが……」
「この非常時だ、あいつならきっと分かってくれる。——フレディ」
些か躊躇われる提案に抗議しようとしたが、その前にフレディが鍵の束を取り出し、その中の一つをこちらに差し出してきた。
「こちらの合鍵をお使いください」
逡巡はほんの一瞬。最終的には早く薬を作りたいという気持ちが勝ち、合鍵を受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、苦労をかけてすまない。……アスターのこと、よろしく頼む」
「——はい、頑張ります」
国王の言葉に力強く頷いて部屋を後にする。
——少々時間はかかってしまったけれど……。
これでようやく薬の製作が始められる。
ルナリアの手には数種類の素材が入った籠、後ろを歩くマリーの手には数匹のラットが入ったケージ。
宮廷魔法師の工房から分けてもらったそれらを携えて、地下工房のドアの前までやってきた。
渡された合鍵を使い中に入る。
大きな机の上に多種多様な実験器具、壁際には窯、クローゼット、キャビネット。規模は違えど、設備は宮廷魔法師のところとそう変わらない。
唯一違う箇所を挙げるとすれば、ヴァイオリンが存在するところだろうか。
実験器具同様に机の上、開けっぱなしのケースの中に収められていた。
だがシラーの持ち物であることは分かっているため、特別異物感はない。
「初めて入りましたが、中はこうなってるんですねー」
物珍しそうにキョロキョロと室内を歩くマリーだったが、足がもつれたのか何もない場所で転んでしまった。
ケージが彼女の手から離れ床に叩きつけられる。そのはずみで扉の施錠が外れたようで、ラットが室内に放出された。
「マリーさんっ」
慌てて机に籠を置き彼女に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……。ああっ⁉︎ ラットが!」
ラットが逃げ出したことに気付いたマリーが焦るが、幸いなことに彼らは一箇所に固まっていたため戻すのに苦労はなさそうだ。
ルナリアはケージを手に取り、ラットがいる場所——キャビネットの左部分の戸棚へと近付く。
「——……ん?」
次々と戻していったが、最後の一匹となったところで手を止めた。
そのラットがしきりに戸棚をカリカリと掻いていたのが気になったのだ。
何かあるのだろうか。最後のラットもきちんとケージに入れた後に、開き戸に手をかける。
「——っ⁉︎ これは……」
中にあったものを目の当たりにし思わず目を大きく見開いた。
「どうされたのですかルナリア様?」
やってきたマリーにも見やすいように、ソレを戸棚から取り出す。
ソレの正体はケージの中に閉じ込められた一匹のラット。ルナリア達が持ってきたものと同じ種類であるが、明確に異なる部分が一つ。
「この胸のところにある青い花の模様は一体……?」
「アスターの呪いと同じものです」
「え……? えぇ⁉︎」
ケージの扉を開けラットに触れてみたところ、身体は冷たく脈もない。
「——もう死んじゃってる」
「あ、あの、これがここにあるってことはもしかしてシラー殿下が……?」
こちらが思い描いた最悪の事態をマリーが躊躇いがちに口にする。
ルナリアの顔が徐々に険しくなっていく。
「……マリーさん、部屋の鍵を閉めてきてもらえますか?」
「は、はいっ」
マリーに頼んだ後ラットの死骸とケージを元の場所に戻し、キャビネットの右側、引き出し部分に移動した。
シラーが犯人であるのならば、どこかに呪いの詳細が記された書物などがあるかもしれない。そう考え引き出しを下から確認していく。
鍵を閉め終えたマリーもクローゼットを物色するが、反応からしてめぼしい物はなかったようだ。
一方で引き出しの中身はそのほとんどが魔法の研究成果が書かれた紙であったが、肝心の昏睡の呪いについての情報は見つからず。
残すは一番上の鍵付きの引き出し。引っ張ってみるが、案の定開かない。
そこで鍵開けの魔法を使おうとしたのだが——。
ガチャリと、突如響いた部屋のドアの開錠音を耳が拾い、意識がそちらに持っていかれる。
ドアが僅かに開いたところで、このままではまずいとマリーと一緒に慌ててクローゼットに入った。
足音は二人分。
扉を少し開け、中の様子を窺う。
やってきたのはシラー。そして、シベリカ公だった。
「ああ殿下っ、ついに完成したのですね!」
「ええ。ラットの実験にも成功しました」
興奮気味なシベリカ公に対し、シラーは普段と変わらない口調でスタスタとキャビネットの前まで移動するとくるりと指を回す。
すると一番上の鍵付きの引き出しからカチャリと音がして、ひとりでに開いた。
そこから一枚の紙がすぅっと浮かび、シラーの手に渡る。
よく目を凝らして見てみると、それはどうやら楽譜のようだった。
「おお、これが……っ。これさえあれば襲撃者などイチコロでございますな! ——ですが申し訳ありません、未だ襲撃者の居場所は掴めず……」
喜んだかと思えば落ち込んで、表情をコロコロと変えるシベリカ公とは裏腹にシラーはずっと穏やかな笑顔を浮かべたまま。
「あの男が目覚める前には必ず——いや、まてよ」
何かを思い付いたのか公爵はにやりと口角を上げ、楽譜へと手を伸ばす。
「亡き者にしてしまえばいいのです! その曲で! そうすれば手っ取り早く王位は貴方のものに——」
彼の手が楽譜に触れる寸前——。
ボゥッと音を立て現れた炎により阻まれる。
熱さからか短い悲鳴を上げて素早く手を引っ込めるシベリカ公。
そうしている間にも炎に包まれた楽譜はみるみる内に黒く焦げ、形を崩し、やがてすっかり燃えてしまった。
少量の灰がはらはらと床に落ちていく。
「シ、シラー殿下……?」
炎を出したのは紛れもなくシラー。
突然の彼の奇行にシベリカ公はもちろんのこと、ルナリアとマリーも戸惑いを隠せない。
しかしながら当の本人は眼前の男の感情などどうでもいいと言わんばかりに、机に置かれたヴァイオリンを手元に引き寄せた。
「私がこの曲を聴かせたいのは襲撃者でも兄でもない」
落ち着いた声で告げ、弓を公爵へと向ける。
そして、続けざまにゆっくりとこう口にしたのだった。
「貴方ですよ、シベリカ公」
「……え?」
弓を突きつけられたからか、シラーの言葉に動揺したのか——おそらく両方だろう、一歩後ろによろめく。
「な、何をおっしゃって……悪い冗談は——」
「冗談に聞こえますか?」
ずっと微笑んでいたシラーの表情が大きく変わる。
笑ってはいるが、青い瞳はひどく狂気じみていた。この状況を愉しんでいるとさえ思えるほどに。
「————ッ!」
本気なのだと察したのかシベリカ公は顔を青くし冷や汗を流す。
勢いよく後退しドアノブに手をかけるも、いくら回しても開かない。内鍵を弄っても全く反応がないようだ。
「おい誰か! 誰か開けてくれッ‼︎」
「無駄ですよ。ここは地下、どんなに騒いだところで誰の耳にも届きません」
焦燥を露わにし、ドンドンと激しくドアを叩くシベリカ公。
それに対して吐き捨てるように言葉を返すと、シラーはヴァイオリンを構えた。
「さぁそれでは最後までお聴きください。愚劣なる貴方のための永眠曲、シラー・シベリカの糸車——‼︎」