青花回顧録
「ルナリア殿」
図書室に向かう途中、ルナリアは自分より先にアスターの部屋から退室したマルグリン公と遭遇する。
偶然ばったりというよりも、公爵がここで待ち構えていたようだ。
「少しお話が……」
神妙な面持ちで言われ着いていった先は近くの空き部屋。
「それでマルグリン様、お話というのは?」
「念の為の警告だ。このままでは君にも危険が及ぶ可能性があると思ってな」
「危険?」
「ああ」
言いながら彼は内鍵をかける。
「現在この国には王子が二人。それに伴って貴族の間では次期国王を誰にすべきかと三つの派閥に分かれている。第一王子派、第二王子派、そしてどちらにも属さない中立派に。もちろん継承順位は第一王子であるアスター殿下の方が上だが、なにぶん平民としての暮らしが長いのもあって、あの方の王の資質に疑念を抱く者もいる。第二王子派のおおよそがそういう連中だ。そして彼らにとって一番厄介なのが——」
言葉を区切りこちらを真っ直ぐ見つめる。皆まで言わずとも、その視線だけで充分理解出来た。
「弱体化の魔法は無意識下では使えないと聞いている。つまり今の殿下はとても無防備な状態だ。これを機に殿下を亡き者にしようとする輩が現れるかもしれない。その場合、彼らが恐れるべきは君からの妨害と報復だろう。そうならないために先に君を始末しようとする可能性も低くはない。だから今後君に近付く人間には細心の注意を払ってほしい。……特にシラー殿下とシベリカ公には」
「やっぱりお二人のこと疑っているのですね」
「ああ……まあな。殿下方が異母兄弟であることは知っているか?」
「はい」
曖昧な返事をした後に尋ねてきたので首を縦に振って答える。直接そう言われたわけではないが、アスターの母が彼を産んだ後すぐに亡くなったと国王から聞いた段階で察しはついていた。
「なら話が早い。シベリカ家が王家との密接な関係を築くためには、血縁であるシラー殿下を王にする必要がある。一時期はそれが確実なものだったが、アスター殿下がお戻りになったことで一転——。シベリカ公はそのことをかなり根に持っているはずだ、何かしてくる確率は高い。なんだったら今回の事件にも関わっているのではとすら思う。——ただシラー殿下は……どうなのだろうな」
先程まであんなに滑らかに喋っていたにも関わらず、シラー殿下の総評に入った途端にマルグリン公は言葉を詰まらせる。
その様子がルナリアには予想外だった。
「意外ですね、てっきりシラー様を一番危険視していると思っていたのですが」
「いやまあ、警戒しているのは事実だが……」
先のアスターの部屋でのやりとりを踏まえての感想を素直に述べると、公爵は顎に手を当てて思案のポーズに入る。
「日頃接してきての感想だが……、シラー殿下は権力への執着が薄いように思える。是が非でも——兄に危害を加えてまで王になりたいという意思が感じられない。……あくまで私個人の見解だからあまり真には受けないでくれよ? 人の心情など表面的なもので計り知れるものではない。こちらが親しい仲だと思っていたとしても相手にとっては……なんていうのはザラだ」
「その通りですね。——普段のあの二人の仲の良さを見ているとあまり考えたくはないのですが……」
「そうだな……。私も杞憂であってほしいとは思うが、なにぶんシラー殿下は御心が読み取りづらい。基本的にいつも笑顔であまり負の感情を露わにすることがないから、母君に似て——」
唐突にしまったという顔をしてマルグリン公は自身の口を塞ぐ。しかしルナリアにはその真意が分からず、不思議そうに首を傾げた。
「……すまない話が逸れたな。長々と話したがとりあえず周囲の人間を警戒してくれということだ。私からは以上だ、急に引き止めて悪かったな」
「いえ、お気遣い痛み入ります」
今まで聞く機会のなかったシラーの母についての情報が少し出てきたが、そのまま解散の流れと相成ったので詳しくは聞けず終い。
特別気になったわけではないのと、今はそれどころではないこともあって図書室に辿り着いた頃には完全に記憶の片隅へと追いやっていた。
アスターの胸に刻まれた青い花の模様を手がかりに本を物色する。
初めて見る呪いから、自分が生まれるよりもずっと前の古代魔法かと思い、それらに関連する本を読み漁ったが該当するものは見つからず。なら逆に比較的新しい魔法によるものかもしれないと考えたが、そちらに関する本にも身体に青い花の模様が出る昏睡の呪いについての情報はなかった。
ただ古代魔法の本に記載されていないということは、最新の魔法によって生み出された確率が高い。なので最新魔法への知見を深めて、解決策を編み出すことにした。
勉学に励む傍ら、定期的にアスターの見舞いにも行き、マルグリン公に言われた通り周囲への警戒も忘れずに——。
そうして過ごしていく中で特に変わったことは起きず、アスターが目覚めることもないまま一週間が経とうとしていた。
◇
本日は朝から雨。
ザーザーと降りしきる雨音をBGMに図書室に篭ること数時間。休憩がてら赴いたアスターの部屋に先客がいた。
「おや、ルナリアさん。昼食振りですね」
シラーだ。
「こんにちはシラー様」
挨拶をして、ベッドの側の椅子に腰掛ける彼の隣まで移動する。
アスターは今日もベッドの上で微動だにしない。
「兄上、起きませんね」
「起きませんね……」
「衰弱している様子がないのが唯一の救いでしょうか」
「ですね」
彼の言う通り、一週間何も口にしていないにも関わらずアスターは不思議なことにやつれていなかった。
——これも呪いの効果なのかな……。
事件前と変わらずに、まるで時が止まったかのよう——。
「……」
「……」
短いやりとりの後、流れる沈黙。
マルグリン公から特に彼を警戒せよと言われたことと、ルナリア自身が彼に抱く猜疑心から、以前のように弾んだ会話が出来ない。
しかしながら今こうしてアスターを見つめるシラーの青瞳は心から心配しているように見える。加えてこちらに対する態度も事件前と同じ。
自分だけがよそよそしくなっていることに若干の罪悪感が募る。
「——まるで〝いばら姫〟ですね」
「へ?」
思い悩んでいたせいか彼の発言を聞き逃し、間の抜けた声を出してしまった。
「ルナリアさんはいばら姫のお話をご存知ですか?」
「は、はい。確かとある国のお姫様の誕生祝いに招待されなかった妖精が、糸車の針に刺されて死ぬ呪いをかけたけど、招かれた妖精がその呪いを眠りに変えて、王子様のキスで無事に目覚めた話ですよね?」
「ええその通りです。今の兄上の状態がまさに物語の姫君のようだと思いまして」
「たしかに、そうですね。——してみます? キス」
冗談交じりの提案に、それはさすがにと彼は苦笑を返す。
「……こうしていると昔のことを思い出します」
ひとしきり笑った後、シラーはどこか懐かしむような目でアスターを見つめ返した。
「私、小さい頃に毒で死にかけたことがありまして」
「え……」
中々ヘビーな内容をさらっと言うものだから自然と驚きの声が漏れる。だが彼はこちらの反応を気にも留めずにいきさつを語った。
「小さい頃の私は大の勉強嫌いで、よくサボっては父と母を困らせていました」
「それは……意外ですね」
これまでの彼の言動を振り返ってみても、とてもそんなふうには思えずつい口にしてしまう。
今度はふふと笑い反応を返すシラー。
「ある日、母に今日の分の勉強が終わるまでお昼抜きだと言われましてね。仕方なく机に向かって勉強していたのですが、お腹が空けば集中力がなくなるのは自然の摂理じゃないですか? 元々やる気がなかったのもあってペンを動かす手が完全に止まってしまって……。限界を迎えた私は隣の兄の部屋へと赴いたのですよ、その頃には兄は城に戻っていたので。自室で食事を摂っているところを少し分けてくれとお願いして。それで肉料理を半分ほど頂いて部屋に戻ったのですが、急に激しい吐き気と動悸に襲われて、そのまま気を失って——。次に目が覚めたときにはベッドの上で、傍らには兄がいて私の手を握っていました。どうやら兄の食事に毒が盛られていたらしく、祝福の効果で本人は大事なかったようですが、私は数日間意識を失っていたみたいです」
毒を入れた者の目的はあくまでアスター。しかし様々な偶然が重なって想定外の展開になってしまった。シラーからしてみればとんだとばっちりだろう。
「なんとまあ……災難でしたね。本当にご無事で何よりです。大切な兄弟を失ってはアスターも辛いでしょうから」
「ほんとに……」
会話の途中でシラーがゴホンと咳を挟む。長く喋ったから喉に負担が生じたのだろうとルナリアは解釈した。
「目覚めた直後の兄の顔——仮面から覗く目が今にも泣きそうで、それがひどく印象的で……。かなり心配をかけてしまったのだなと、今になって改めて思うのです。こうしてあのときの兄と同じ立場になって……」
アスターを見つめる青い瞳が一層暗くなる。
それは大切な人がいなくなるかもしれないという恐怖から。
ルナリアにも見に覚えのある感情だ。
「シラー様……」
今にも泣きそうな彼に何か声をかけなければと思うが、ありきたりな言葉ではその悲しみを拭えないだろうと口を噤んでしまう。
「——そろそろ仕事に戻らないと。すみません、湿っぽい話をしてしまって」
「い、いえ。お仕事お疲れ様です」
椅子から立ち上がる彼に、結局贈ることが出来たのは労いの言葉のみ。
アスターが眠ってからというもの、今まで兄弟で分担していた仕事を一人でしなければいけなくなりシラーは多忙を極めていた。
「ご無理はなさらないように」
「ありがとうございます。ルナリアさんもあまり根を詰め過ぎないよう、お気を付けくださいね。——それでは兄上、また伺います」
にこりと笑み、こちらへの気遣いとアスターに向けての挨拶を置いてシラーは部屋を出ていった。
残されたルナリアは一人考える。
やはり彼は何もしていない、彼への疑念はきっと杞憂に終わるはずだと。
先程の自身の兄を一心に想う表情が偽りであるとは思えない。
思いたくない。
しかしこれらは結局ルナリアの主観であって、確信に至るには心許ない。
「……いつまでも悩んでいても仕方ないよね」
シラーの心の内がどうであれ、今は一刻も早くアスターの呪いを解くのが最優先。
「君が早く目覚めるように私も頑張るからね、アスター」
眠っている彼の頬を撫でて囁き、ルナリアも部屋を後にした。