眠り王子
ぱちりと目を覚ます。
珍しくマリーが来る前に起きることが出来た。今日は朝から施術があるからと、早めに寝たのが功を奏したようだ。
小さな達成感に満たされながら、ルナリアは上体を起こし大きく伸びをする。それに合わせて薄い羽も動物の耳のように小刻みに震えた。
窓から溢れる日差し、絶好の身体強化施術日和だ。実際のところは屋内でやるので天気は関係ないけれど。
昨夜夕食を抜いたから、きっとアスターは腹ぺこ状態だろう。
早く朝食を摂らせてやりたい思いから、早速身支度と準備を整えるためにベッドから降りようとしたそのときだった。
「ルナリア様ーッ!」
バンッと勢いよくドアを開けて、マリーが入ってきた。
驚きのあまりビクリと身体を震わせつつも、肩で息をするその様子に只事でないと悟る。
「ど、どうしたのマリーさん?」
「——でっ、殿下が……っ、アスター殿下が目を覚さないんです‼︎」
「…………え?」
快晴の外とは裏腹に、ルナリアの心は一気に雲で敷き詰められていった。
髪はボサボサ。寝巻きを着替えることもせず、マリーと共に廊下を全力疾走する。
アスターの寝室の前までやってくると、マリーは近くの廊下で足を止めた。彼の素顔を見ないための配慮だろう。
中ち入ると医者らしき白衣の男性、宮廷魔法師らしき女性、フレディ、そしてシラーがベッドの周りに集まっていた。その誰もが切迫した表情だ。
「ああルナリアさんっ、どうか兄をお助けください!」
こちらに気付いたシラーが縋るように懇願する。
ベッドに横たわるアスターは、死んでいるのかと思うほどに微動だにしない。金の瞳は瞼に覆われ固く閉ざされていた。
「アスター……」
駆け寄り彼を軽く揺さぶるが反応はなし。
「アスター……っ、ぼうや!」
揺する腕も、呼びかける声にも段々と力が増していく。しかし彼がそれに応えてくれることはなかった。
「妖精殿、これを……」
宮廷魔法師がアスターの胸を指し示す。
「——なに、これ……」
服がはだけたその部分には、青い花の印が刻まれていた。
呪いの類いであると瞬時に理解したが、こんな模様見たことがない。
「色々と試しましたが消えないのです」
続けて口にした彼女の言葉に、ルナリアは自分の知る限り一番強力な解呪の魔法を試みようとアスターの胸に手をあてる。
眩い光の後、バチッと音を立て魔法を発動させたが、結果は変わらず。
「そんな……」
呪いは健在、未だ愛し子は夢の中——。
その後も様々な魔法と薬を試せるだけ試したがなんの成果もなく、あっという間に昼になった。
疲労と絶望感から椅子に座りアスターが眠るベッドに突っ伏すルナリア。
「ルナリアさん……」
シラーが気遣わしげに名前を呼ぶが、返事をする気力もない。
百数十年間趣味の範疇とはいえ数多の魔導書を読破し、それなりに魔法の知識には長けていると自負していたのだが、現実は非情だ。
こんなことならもっと真面目に勉学に励むべきだったと後悔が募る。
そうして落ち込んでいると、ノックの音が聞こえてきた。
シラーがドアを開けるとそこには二人の男性。
マルグリン公とシベリカ公だ。
「ア……アスター殿下が呪いにかかったと知らせを受けて参上いたしました。——お二人だけですか? 医師に話を聞きたいのですが……」
走ってきたのか、ハァハァと息を切らしながら喋るマルグリン公。その顔はやはり焦燥に駆られている。
「申し訳ありません、先生は今医務室です。——どうぞこちらへ」
シラーが道を開けると一目散にベッドまでやってきた。
アスターに呼びかけ、揺すり、反応が返ってこないことに落胆する。
「これは由々しき事態ですぞ!」
マルグリン公が一連の動作を終えた直後、遅れて入ってきたシベリカ公が叫んだ。彼もマルグリン公ほどではないが焦った顔をしている。
「襲撃者に対抗するための戦力が……!」
シベリカ公の言う通り、このままアスターが目覚めなければ襲撃者に対する主力がルナリアだけとなってしまう。それが直近の問題点だ。
「……たしか呪いはかけた相手を殺して解くことも可能なのですよね?」
「は、はい。そうです」
一見いつもと変わらない様子でマルグリン公が尋ねるが、言葉の端々から滲み出る殺気に少し気圧されてしまった。
「お二人とも、昨日のアスター殿下の動向を知っている範囲でいいので教えてください。何かあの方の周りで不審な出来事や怪しい人物などはおりませんでしたか?」
シラーと一緒になって頭を捻るが、ルナリアが知る限りでは特に何もなかったはずだ。
昨日聖剣を贈ったこと、そして本日身体強化の施術をする予定を立てたことを話した上で、これといった異変はなかったと伝える。
ルナリアが話し終えると続いてシラーが答えた。
「ルナリアさんの話に加えて、その後兄は私と一緒に執務室で仕事をしていましたが特に変わった様子もなく。後は夜に関してですが——あれは普段通りと言って良いのか……」
「どういうことでしょうか?」
「昨晩兄に新曲を披露したくて地下工房に誘ったのですが、その道中で突然倒れてしまって。その前から足取りがおぼつかなかったので私が訪ねた段階で意識がなかったのだろうと——いつもの夢遊病だと思ってそのまま寝室まで運んだのです」
「では昨夜アスター殿下と最後に会ったのはシラー殿下ということですか?」
「そういうことになりますね……」
訝しみを含んだマルグリン公の声に居心地悪そうに頷くシラー。
「まさかシラー殿下を疑っているのかマルグリン公!」
「そういうわけでは——」
「落ち着いてくださいシベリカ公。この状況なら誰でも疑うのが自然です。それにいつものことだからとそのまま兄を放置した私にも責任はあります。今思えば、あの時点で何かの呪いにかかっていたのかもしれませんね……」
ひどく思い詰めている表情はとても演技には見えず、普段の兄弟仲の良さから見てもシラーがアスターに危害を加えるとは到底思えない。
「……申し訳ありません、無礼な態度を」
「いえ。それよりも現状で犯人を特定するのは難しいと思います。なのでここは呪いを解く方法を探した方が先決かと」
一度言葉を区切り、ルナリアさんと言ってシラーはこちらに向き直る。
「何か強力な解呪の魔法や薬をご存知ではありませんか?」
「そう言われても、もう色々と手を尽くしましたし……」
「城にあった材料で作れる範囲の話でしょう? もっとこう、滅多に手に入らない素材とかで作成出来るものとかは……?」
うーんと頭に手を当てながら記憶を掘り起こしていく。
今まで読んだ本、見聞きした知識——。
「……あっ」
それらを辿っていった先で、一つの可能性を見つけ出した。
「カースインバリッドっていう大きな鳥型の魔物の肝があれば万能解呪薬が作れるはずです。ですが今ではめっきり見かけなくなったので入手は困難かと……」
「でかい鳥……そういえば」
心当たりがあるといったふうにマルグリン公が口を開く。
「少し前から〝棲竜の谷〟にそれらしき魔物が現れたという知らせが……熟練の冒険者が軒並み返り討ちに遭っているとのことです」
「棲竜の谷……たしか昔邪竜が住処にしていた場所ですよね? なら今すぐ行って——」
「いけませんルナリア殿!」
部屋を出ようとしたが、シベリカ公に阻まれた。
「アスター殿下が動けない今、貴女にまでもしものことがあったら……!」
「でも……じゃあどうすれば……?」
「シラー殿下」
抗議を唱える横で、マルグリン公がシラーに一つ提案を示す。
「兵を派遣させることは可能でしょうか?」
「…………難しいですね。襲撃者の動向が分からない今、城の警備を薄めるわけには」
「やはりか……」
「そんな……」
せっかく解決の糸口が見えたと思ったのに、それを掴み取ることが出来ない。ひどく歯痒い気持ちにさせられる。
それはマルグリン公も同じのようでギリッと歯噛みをすると、スタスタとドアへと近付いていった。
「とりあえず私は知り合いの魔法使いや医師に当たってみます。何かあればご連絡いたします。それでは」
一礼をして颯爽と去っていく彼の姿に触発されたのか、自分も落ち込んでばかりではいられないという気持ちになる。
「わ、私も自分なりに調べてみますっ!」
そうしてルナリアも飛び出していった。
目指すは図書室。有力な情報が得られるようにと信じて——。
◇
人が立て続けにいなくなったことで一時的に静寂に包まれたアスターの部屋。
シラーはルナリア達が出ていったドアから兄が眠るベッドへと視線を移す。
あれだけ騒がしくしたというのに起きる気配はない。
そのままじっと寝顔を凝視していると、隣からグフフと下卑た笑い声が聞こえてきた。
「いやはや、上手くいったようで何よりでございますシラー様。それにしても、本当に聴くだけで昏睡状態になる魔法を作ってしまうとは。なんという才覚!」
「ありがとうございます。——身体強化を受けた後だと抵抗されたときに対処出来ないと思ったので、急遽昨夜実行したのですが……杞憂でしたね。弱体化の魔法を使った様子もなく、こちらの思惑など全く気付いていないようでした」
「それはそれは……まったく愚かな男だ、自分が疎まれているとも知らずに」
言いながらシベリカ公は嘲るようにアスターを見下ろした。今の兄がそんな視線に気付くはずもなく、変わらず静かに眠り続けている。
「して殿下、アレの方はいかがでしょうか?」
「あと一歩といったところです」
「おおっ、さすがでございますね!」
手を叩いて喜びを露わにする公爵。
「昏睡曲の上位互換——聴いた者を死へと誘う永眠曲が完成すれば妖精の力など借りずとも邪竜に匹敵する存在を討ち倒すことが出来る。さすれば次期国王の座は貴方様のものです!」
両腕を前に突き出すその姿は、こちらに目に見えない王冠を贈ろうとしているようだった。
「本当にここまで長かった、それもこれもこの男が戻ってきたせい。あの妖精も余計なことをしてくれたものだ、こんな気味の悪い痣を持つ人間など捨て置けば——」
「おやルナリアさん、お忘れ物ですか?」
「ヒィッ⁉︎」
愉快な声を出して振り返る伯父に思わず笑いを零す。
閉め切ったドアと笑っている自分を交互に見て冗談だと理解したのか、彼はほっと安堵の息を漏らした。
「いけませんよ、誰が聞いているか分かりませんから」
人差し指を自身の口元に寄せて咎めれば、そうですなと彼は素直に頷いた。
「さて、私もそろそろ失礼いたします。襲撃者がどこにいるのか突き止めなければ。どれだけ強力な武器を用意しても、敵が見つからなければ意味がありませんから」
「そうですね。ラットで実験した際に呪いの効果は二週間ほどで切れると判明しましたので、それまでに情報をお願いします」
「かしこまりました」
退室する伯父を見送った後、再度アスターの方を見やる。
近付いてそっと頬に触れると温かい。人形のように微動だにしないが、しっかりと生きていると分かる。
いつまでもこうしていたい気持ちになるがそういうわけにもいかない。自分にもやるべきことがあるのだ。
「またお伺いします、兄上」
聞こえていないとは分かっているけれど、一応去る前に言い置く。
毒々しいほどの青い瞳を、妖しく細めながら。