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妖精と捨て子

 エルダリス国の東に位置する森林は〝妖精の森〟と呼ばれていた。

 たくさんの妖精が住んでいた事が由来であるが、それはもう昔の話。

 今はたった一人だけ。

 名前はルナリア。森の中心部に小さな家を構え、ここ100年程は家事、雑用、魔法の鍛錬に読書を繰り返す変わり映えのない日々を送っていた。

 なんの刺激もないが、代わりに平和を脅かされることもない。彼女は今の生活を気に入っていた。

 

 そんなある日の午後、庭でいつものように本を読んでいると珍客が現れた。

 仔鹿だ。

 動物がやってくる事自体は珍しくはない。今だって机の上にはリスが一匹おり、近くでは小鳥の囀りが聞こえてくる。だがそれはそういった小動物がほとんどで、子供とはいえ大型の生物が現れるのは久しかった。


「どうしたの?」

 付近に親らしき姿は見えない。

 左目に傷を負っていたが、それはもう完全に塞がっている。治癒をしてほしいわけではなさそうだ。

 じっとこちらを見つめていた仔鹿は回れ右をして数歩歩いた後、今度は首だけを向けてきた。

 ——ついてこいって事かな。

 本を置いて立ち上がり駆け寄ると、仔鹿は再び歩き出した。合っているようなのでそのままついて行く。


 家から遠くなるにつれ霧が濃くなっていく。

 かつてこの地にいた大妖精の魔法により、この森は中心部を除き年中霧に包まれている。

 部外者を内部に入れないための仕掛けだ。更に上空には外敵から身を守るための結界も張られている。

 しばらく歩いていると、仔鹿が急に立ち止まった。

 前方には籠が落ちていた。中には何かが入っているようだが、布が被せられていて見えない。

 迷い込んだ人間が落としたのだろうかと思案しながら、近付きしゃがんで布を取る。


「ひゃっ——!」

 困惑と驚愕、そして恐怖が交じったが感情が漏れ、ルナリアは尻餅をついた。

 中に入っていたのは生き物。

 耳は丸く羽がない事を除けば、その形状は妖精と似ている。

 人間の赤ん坊だ。

 籠の中の正体は赤ん坊だった——これだけでも充分驚きに値する理由だったが、それだけではなかった。

 

 赤ん坊の左頬、そこに、顔がもう一つ。

 そう錯覚を起こすほど、人の顔に似た痣が存在していたのだ。

 

 その場で固まっていること数秒、ルナリアはハッと我に返ると辺りを見回した。

 付近に親らしき姿は見えない。

 再び赤ん坊に視線を戻す。

 眠っているのか、既に事切れているのか、瞳は固く閉ざされていた。

 おそるおそる顔に手を伸ばす。

 息はある、ただひどく冷たい。

 籠を持ち急いで来た道を戻った。

 走るよりも飛ぶ方が速い。向こう側が透けて見えるほどの薄い羽を動かし、木々の合間を縫うように飛行していく。

 ——えっと、人間を拾ったときは……。

 どうすればいいのだったか、と昔の——仲間がたくさんいた時代を思い出しながら家路を急ぐ。

 

 ——たしか人間の育て方が書かれた本があったはず。

 家に着き、冷えた赤ん坊の身体を毛布でくるんだ後に、ルナリアは本を探した。

 正確な数は把握していないが、この家には本棚に収まりきらずに床や机に積み上げられた本の塔がいくつもある。

 その中から目当ての物を探すのは一苦労だ。

 およそ十分後、ようやく人間の子育ての本を見つけたと同時に小さな呻き声が聞こえてきた。

 本を持ったまま赤ん坊が入った籠が置いてある机まで移動する。


 瞼がゆっくりと開き、金の瞳と目が合った。

 蜂蜜みたいで美味しそうだと感想を抱きつつ、赤ん坊を凝視する。

 痣を除けば、ごく普通の可愛らしい乳児だ。髪の色が自身と同じ紫なこともあってか、段々と親近感が湧いてくる。

 しばらく見つめていると、赤ん坊が大きな声で泣き出した。

「あ……え、ええっと……」

 どこか怪我をしているのかもと、服を脱がして調べてみるがそれらしい傷はなく、その過程でおしめも確認してみたが汚れてはいなかった。

 分かった事はこの赤ん坊が男児という事くらい。


 一体どうすればいいのだろうと困り果てていると、グゥと赤ん坊の腹が鳴った。

「ああ、お腹が空いていたんだね」

 ようやく理解出来たがこの家にミルクはない。

 ——近くの村まで買いに行かないと。

 壁にかけてあるローブを羽織り、フードを深々と被る。

 妖精は人前には滅多に姿を見せず、魔力量が多く、そ身体は希少な薬の材料にもなる。

 そんな特性上、狙ってくる輩は少なくはない。

 故に人間の住む場所に行くには正体を隠す必要があった。


 支度を終え泣きじゃくる赤ん坊を抱えて外に出ると、あの仔鹿がいた。

 今度は一頭だけではない。母親らしき雌鹿も一緒で、丁度母乳を飲んでいる最中だった。

 ——そうだ。

 村まで結構距離がある。今から買いに行って、家に戻り準備をして、となるとだいぶ赤ん坊を待たせる事になる。

 だから今回は雌鹿の母乳を少しばかり譲ってもらうことにした。

「少し分けてくださいな」

 断りを入れてから乳房に手を伸ばす。

 ありがたいことに雌鹿は大人しく乳をとらせてくれた。


 家から持ってきた木の器がいっぱいになるまで搾った後、煮沸して人肌温度まで冷ます。

「飲める……?」

 哺乳瓶はないので器に戻したミルクをスプーンで掬って口元まで近付ける。

 赤ん坊は涙を流しつつも、ようやく与えられた食事の存在に気付きスプーンを喰んだ。

 ゆっくりと傾けて、ミルクを流し込んでいく。

 スプーンを離すともっとと訴えるようにあーと声を上げたので、再びミルクを掬って近付けた。

 その動作を何度か繰り返して器が空になった頃、赤ん坊は泣き止みキャッキャッと可愛らしく笑った。

 腹が満たされたようだ。

 

「ちょっとここで待っててね」

 ゲップをさせた後、ルナリアは奥の寝室へと赴き赤ん坊を自分のベッドに寝かせる。

 この家は物は散乱しており埃が積もっている。赤ん坊を育てるのに適した環境ではない。

 なので掃除をすることにした。

 元いた部屋に戻り、積んである本を隣の物置きへ移動させる。

 

 最初は手で運んでいたが段々と面倒くさくなってきたので、魔法で移動させる方法へと切り替えた。

 浮かせ 鳥のように羽ばたく 物置きの床に着地

 ある程度床が埋まってきたら、その上に新たに積み上げていく。

 そうして次々と本を片付けていくが、突如ぐらりと一部が傾き始めた。

 積み方が雑だったせいだろう。しまったと顔を青ざめるがもう遅い。

 本はけたたましい音を立てて崩れ、案の定、奥の部屋から大きな泣き声が聞こえてきた。

 急いで寝室に向かう。

 

「おーよしよし。ごめんねーびっくりしたねー」

 赤ん坊を抱き上げて優しく揺すったり、背中をトントンと叩いてみたりしたが、一向に泣き止まない。

 段々と募る焦り。

 オロオロしながらも、こんなとき他の妖精はどうしていただろうかと記憶を掘り起こしていく。

「……あっ!」


 何かを思い出したルナリアは大きく息を吸った。

 取り込んだ空気は、春の日差しのような柔らかく優しい歌声となって吐き出されていく。

 妖精の間で伝わる子守唄だ。

 大人の妖精が自身の子に、または拾ってきた人間の子供に歌っているのをよく耳にしていた。

 彼女の両親もそうやって幼い我が子をあやしていたと聞いている。

 最後に聴いたのは100年も前だが、歌詞はきちんと覚えていた。

 気持ちが落ち着いてきたのか、次第に赤ん坊の泣き声が小さくなっていく。

 やがて金の瞳はトロリとし始め、歌が終わった頃にはすうすうと小さな寝息を立てていた。


 彼が寝た事を確認すると、ふうと息を吐きそっとベッドに戻す。

「おやすみなさい、ぼうや」

 寝顔に癒しを感じながら、ルナリアは赤ん坊の額にキスを落とした。

 しばらく見つめていたいが、まだ掃除が終わっていない。

 物音を立てないようにゆっくりとベッドから離れていく。


 掃除が終わったら育児に必要そうな物を買いに行かなければ、と考えながらドアを閉じようとした時だった、妙なものを目撃したのは。


 ギョロリと、()()()と目が合った。

 それが現れたのは彼の顔にある人面瘡、そこの左目に見立てた部分——。


「————ッ⁉︎」

 驚きドアを勢いよく開け、改めて彼の顔を凝視する。

 しかしそこにあるのは出会った当初と同じ、黒々とした痣のみ。

 ——……気のせいかな。

 きっと慣れない事をして疲労が溜まっているから、見間違えたのだろう。

 そう判断して、ルナリアは今度こそ掃除に戻ったのだった。

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