父さん オフコラボをすることになったんだ -04
◆???(有栖ばにらの中の人)
あたしの出身は北海道だ。
北海道だとはいっても別に田舎で育ったわけではない。
みんなが知っているような地名ではなく、そこに近い、そこそこ栄えた場所。
ある意味ごく普通で何の面白みもない地域。
そこでごく普通のサラリーマンの父親と、ちょっとオタク文化に明るい母親という、普通と普通じゃない狭間の家庭で育った。
配信を始めたのは母親の影響だ。
というか、母親が配信者だった。
母親は声だけで配信をしていた。アバターもなく本当にただの声だ。
それでもある程度のファン層はいた。
彼らとのやりとりを見て、楽しそうだと思った。
だから学校から帰ってきたら、母親の配信を見ていた。
やがて自分でもやってみたくなった。
母親にお勧めされて、その時にはアバターを代用して動かす、「Vtuber」という技術があったので、それでやってみた。
慣れないうちは大変だった。
コメントによい返しが出来ないし、トークも途切れ途切れだった。
それも仕方ないはずだ。
あたしは学校で友達などいなかったのだから。
決していじめられていたわけじゃない。
だけど、友達なんていなかったのだ。
だから会話なんてあまりしてこなかった。
でもやっていく内に、段々こなせてきた。
徐々にうまい返しが出来てきて、リスナーも増えた。
配信活動が楽しかった。
やがて、ログライブから声が掛かった。
ウチのメンバーにならないか、と。
あたしは迷った。
その当時、ログライブは今ほど有名ではなかったが、それでも大手ではあったので、声が掛かったのは正直嬉しかった。
だけど、ログライブに入るためには、レッスンなどを行うために東京に住まなくてはいけなかった。
つまり一人暮らしになるということだった。
母親がついてきてくれる、といったが、父親が物凄く落ち込んだので断った。
多分だけど付いてきても母親の方も寂しがるだろうし、そうなったら家族全員で移住することになりかねない。さすがに父親が仕事を辞めることまで責任は取れない。
でも、ログライブには正直入りたかった。
だからあたしは決断した。
「あたしはしっかりしているから、一人で大丈夫だよ、お父さん、お母さん」
心配する二人にそう言って、私はログライブの申し出を受けた。
そう。
私がしっかりすればよいのだ。
父親と母親に心配かけないように、しっかりとすればいい。
高校卒業と同時に、あたしは上京した。
そして、有栖ばにらとして華やかにデビューした。
だけど、その裏では色々と大変だった。
会社の力を借りたとはいえ、初めての一人暮らし。
クレジットカード作成や家賃支払い、ガス、水道電気、インターネット、配信用PCや加湿器など。
一人暮らしってこんなに大変なんだ、って思った。
だけど表では大変さをおくびにも出さず、エピソードとして面白おかしくしゃべったりして、なんとか乗り切った。
やっと慣れてきたと思ってきたデビュー2年目の時だった。
あたしはやらかしてしまった。
提出物について一つだけ、締め切りを過ぎてしまったのだ。
その時にたくさん抱えすぎていてどれがどれだか分からなくなってしまっていた――なんて言い訳は通用しない。
結果的に何とかなったものの、それは後ろの工程の人が「何とかしてくれた」だけなのだ。
あたしは反省した。
同じことは二度と起こさない、と。
まず締め切りを守るのは当たり前。
予定はきっちりと管理する。
そして、提出物は出来るだけ早く提出する。
そうすれば後工程の人に余裕が出来る。
その為に、効率的にやらなくてはいけない。
あたしがしっかりすれば、誰も困らないんだから。
そうやって生きてきた。
そうやって……必死に、生きてきた。
自分にも、そして当然、あたしを支えるマネージャーにも厳しさを求めた。
マネージャーで付いてこれる人はいなかった。
こんな風にやっていることから、運営にあまりよく思われていないのも分かっている。
きっとマネージャーから苦情でも来たのだろう。
あの件がまさにその象徴だ。
でも、あたしは歯を食いしばって頑張った。
ちゃんとやっているから文句はないでしょ? って。
態度で見せてあげた。
「君のこの仕事のやり方は効率的ではない」
半分嫌がらせのつもりで選んだ、その辺にいた男のマネージャー。
彼――タカシにそう言われた。
正直、頭に来た。
何様のつもりだ、と。
たかがアルバイトの癖に、とも思った。
だけど。
彼と言い合いをしているうちに、自分の心の中が見透かされている感覚に陥った。
考えていることが全部バレているんじゃないか、と錯覚したくらい。
運営に不満を思っていることも当てられた。
正直、動揺が隠せなかった。
ここまで踏み込んでくる人はいなかった。
そんな動揺している時に、彼は温かい食べ物を渡してきた。
お腹が空いているだろう、と。
そういえば温かいご飯なんて久々に食べたな。
ずっと効率悪いって思って冷えたままご飯食べてたし。というか、お腹に溜まればいいって思って、実は栄養機能食品ばっかり食べていたし。
……お正月とかも仕事で、実家に帰っていないしなあ……
急に父親と母親の顔が浮かんだ。
……そうだ。
あたしはしっかりしなければならない。
自分のことは自分でやらなくては。
だから彼には相談しなかった。
口では無駄だ、と伝えたが、本心ではアルバイトの彼に負担を掛けることじゃないから拒否した。
危ない。
ちょっと前だったら頼ってしまっていたかもしれない。
と思っていたら、
「今日、有栖ばにらと耶摩シダレの――オフコラボを実施しよう」
唐突にそんなことを提案された。
耶摩シダレとのオフコラボ。
何がどうなってそうなったのか。
全く分からなかった。
だからはいともいいえとも言えなかった。
が、フリーズしている間に、
「父さんからのOKが出たよ」
「あ、うん。え……?」
「あとマネージャー長からの許可ももらった。配信してもしなくてもいいってさ。どうする?」
「じゃあせっかくだから配信を……って、はぁ!? 何勝手に決めているのよ!?」
ようやく思考が追い付いた。
だってさ、とタカシが言う。
「さっき相談事を僕には解決できない、って言ってたじゃん。だったら、解決できる人の所に行くのがいいでしょ」
「それが耶摩さん、ってこと?」
「そう。父さんがメンバーを内から支える立場だっていうのは知っているよね」
「それは……そう聞いたわ」
「だから父さんがいる前でその話を聞こうかと。ついでにコラボ配信したらいいんじゃないかと」
「どうしてそうなるのよ!」
「その方が効率的じゃない?」
「うぐっ……」
確かに、と思ってしまった自分がいた。
効率的という言葉に弱くなってしまったかもしれない。
「キマリだね。じゃあご飯食べて、その提出物が終わったら僕の家に行こうか」
「……分かった」
押し切られた。
強引に言われると弱いかもしれない。
「あ、そういえば鍋の具だと何が好き?」
「え? 鶏肉かな」
「オッケー。醤油系のダシは食べれる派?」
「食べれない派っているの?」
「いないと思うけど、とんこつの方がいいとか言う人もいるからさ」
「あー、どっちかというとあたしはとんこつの方が好きかな」
「僕もだな。なんかいいよな、とんこつ」
唐突に何を聞いてきたんだろう?
この時は何も疑問に思っていなかった。
◆
数時間後。
「夏にクーラー付けての鍋はいいわね」
「うむ。ゼイタクの極みだな」
「あ、父さんアクとって」
あたしは鍋を囲んでいた。
しかも、耶摩シダレさんとその奥さん、タカシの4人で。
あの後。
提出物を終わらせたころには既に日は落ちていた。
ちょうど終わった頃に事務所に他の提出物を運び終わって帰ってきたタカシが再び家にやってきた。
「いい所に来たわね。ちょうど終わったわよ」
「お、お疲れ様。眠気は大丈夫?」
「あー、うん。そこは大丈夫かな」
「オッケー。じゃあちょっと休んでから行くか」
「別にいいわよ。すぐに出掛けても」
提出物を回収していたタカシに、あたしはそう言った。
「大丈夫か? 外出用の準備とか」
「マスクしていくし、大丈夫よ」
耶摩さんに会うのに化粧なんかする必要ないだろうし。
……必要、ないかな?
必要最低限のマナーとして、やった方がいいかな?
ちょっと不安になってきた。
「あー、じゃあちょっと僕疲れちゃったから、15分後に出発でもいい?」
「え? あ、うん。いいわよ」
「すまないね」
思わず時間が出来た。
軽く化粧は出来るだろう。
あたしは必要最低限の化粧をして、15分後、タカシと一緒に家を出た。
そこからタカシの家――耶摩さんの家まで、タクシーで行った。
……正直、歩いていける距離だとは思った。
まあ、そこは気を遣ってくれたのだろう。
耶摩さんの家は、立派な一軒家だった。
都心でこれだけのものを立てるとなると、いったいいくらになるのやら……
少しあっけに取られていたところ、タカシが家の扉を開けた。
「ただいまー。父さん、母さん、連れて来たよ」
玄関に入ると、そこには若々しい女性と、そして50代くらいの渋いおじさんがいた。
「待ってたわよー」
「うむ。いらっしゃい」
二人のそう声を掛けられて、あたしは焦りながら頭を下げる。
「お、お邪魔します! あ、あた、いや私、有栖ばにらの中の人です。よろしくお願いします。」
「うむ。話は聞いている。しっかりとした方だな」
「いえいえ、そんな……ということは貴方が」
「うむ。私が耶摩シダレだ」
物凄く真面目そうなおじさんがそう口にした。
そのギャップに、思わず笑いそうになる自分と、緊張で表情が固まる自分が混在して、結果あいまいに「あは……よ、よろしくお願いします……」と不審者極まりない返し方をしてしまった。
「お父さん、こんな可愛い子を威圧してはいけませんわよ、おほほほ」
上品そうに隣の女性が笑う。
「なんでそんな口調なのさ、母さん」
「え!? お母さんなの!?」
私は思わず目を疑った。
「いや普通に母親だけど」
「あんたの所って歳の差婚なの? めちゃくちゃ若いじゃない」
「そんなことないぞ。父さんと母さんの年の差はそんなに」
「ターケーシー?」
「なんだよ母さ――なんで刀を持ってるのさ!?」
「うむ。女性の年齢を言うのはマナー違反だぞタカシ。まあともかく」
耶摩シダレの中の人であるおじさんは、深く首を縦に振った。
「こんなところで立ち話もなんだし、まずは上がりなさいな」
と。
そう言われた後に居間に上がって。
そして先の状況である。
「あ、有栖ちゃん、嫌いなものはあるかしら?」
「は、はい。特にないです! ありがとうございます!」
隣の席にいる奥さんに言われて、ハッと現実に戻る。
これから鍋を食べる。
軽めに食べたとはいえ、既に夜なのでお腹はそこそこに空いていた。
目の前のとんこつのいい匂いが漂う鍋は、食欲を誘うのに充分であった。
「鶏肉が好きらしいからたくさん入れたぞ」
「父さん入れすぎ。アク取らなきゃ」
「鶏肉は古くなきゃアクはあんまり出ないのよ。だからこれは牛肉のアクね」
「へぇそうなんだ」
何気ない会話が続く。
家族の会話だ。
家族。
「はい、有栖ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
奥さんから鍋の具材を盛った食器を受け取る。
温かい。
「うむ、行き渡ったな。ではいただきます」
「いただきます」
「いただきます」
「い、いただきます」
耶摩さんの合図とともに、皆がそう口にして食べ始める。
あたしも恐る恐る鶏肉を口にする。
「……美味しい」
下味がちゃんとついていて、とんこつベースのダシがしっかり効いていて、何より……あったかい。
あったかい。
箸が止まらない。
続いて白米に手を付ける。
「……美味しい」
上京してから白米なんて、宅配の冷めた、べっちょりしたご飯だけだった。
最近は外食してもコンビニのパンとかで、定食屋さんに行ってなかったし。
お米がこんなにあったかくて美味しいものだなんて、久々に思った。
あったかい。
「有栖ちゃん、いい食べっぷりねえ」
「あ、えっとすみません!」
「謝る必要はないと思うよ。母さんのご飯は美味しいし」
「うむ。世界一だな」
「あら、褒めてもおかずしか出ないわよ」
笑顔の奥さんとタカシ。そして表情にはそんなに出ていないが、耶摩さんもどこか嬉しそうに見える。
これが家族。
『無理はしちゃ駄目よ』
「っ!」
突如、あたしの脳内に浮かび上がる記憶。
北海道の母親の言葉だった。
『お母さんとお父さんのことを思って一人暮らしするって決めたあんただから、これ以上は言わないよ』
だけどね、と続いた。
『もし辛かったら遠慮なく帰ってきなさいね。夜中に電話もしてもいいからね。
だって私達は……家族なんだから。
迷惑かけてもいいっていう、今、唯一の存在なんだから』
母親はにっこりと笑った。
『そういってもあんた、どっか頑張りすぎちゃうんだから、誰か頼れる人を見つけなさい。
そして、頼れる人が見つかったら、遠慮なく頼ることを覚えなさい』
だからね、と母親は最後にあたしを抱きしめてこう言った。
『一人で頑張りすぎちゃ駄目だよ』
……どうして忘れていたのだろう。
いや、きっと忙しくて忘れていたのだろう。
頼るのは甘え。
頼れるのは両親以外いない。
家族しか頼れない。
そう決めつけて生きてきてしまったのだ。
「……ねえ、タカシ」
「ん?」
「なんで今日のご飯、鍋にしたの?」
「なんでって、お客さんが来るなら鍋が一番効率がいいから」
「違うよね?」
あたしは気が付いていた。
「今はまだ秋のはじめとはいえ、夏に近いわ。鍋の季節じゃない。だけど敢えて鍋に……あたたかいご飯にしたのね」
あたしが普段、温かいものを食べていないことを察していたから。
「それと、みんなで会話しながら囲める――いや、強制的に会話させるために鍋を選んだのよね?」
「あー、えっと、それは……」
「誤魔化さなくていいわよ」
他にもたくさんあるだろう。
あたしが、一人暮らしをしていること。
寂しさを感じていること。
不満を抱えていること。
不安を抱えていること。
それらをすべて解決するためには、
「あたしに……家族のあたたかさを思い出させるためね」
下手したら疎外感を与えて、更に気分を落ち込ませることになったかもしれない。
だけど、タカシはこの手段を選んだ。
何故なら、絶対にそうならないだろうという自信があったからだろう。
――父親と母親に、絶対的な信頼を置いていたのだろう。
「……まんまと引っ掛かっちゃった」
ポタリ、と。
自分の目から零れ落ちるのを感じた。
「あたしね。ずっと忘れてたの。あたたかさ、っていうのを」
ご飯のあたたかさ。
家族のあたたかさ。
人のあたたかさ。
「ずっと、ずっと頑張ってきたのよ……頑張って、頑張って、お母さんとお父さんに心配かけない、立派な娘だって。誇れるような娘だって、言って、もらえる、ように……」
365日気を張った。
長期休みなんて取らなかった。
お正月に実家にも帰らなかった。
それは自分にとって逃げだと思えたから。
「運営に嫌われても……あたしだけ……新衣装が全然用意されなくても……冷たくされても……それでも、あたしは頑張ってきたの……」
ああ、止まらない。
もう止まらない。
「あたしにばっか仕事を押し付けてきたり、あたしがやりたい仕事は他に回されたり、他の子とももっと仲良くしたかったり、ケーキ食べたかったり、一日中寝ていたかったり、お母さんとお父さんに会いに行きたかったり、旅行したかったり、誰かにそばにいてほしかったり、ダンスレッスンばっかりで疲れたり、サインの枚数が多すぎてうんざりしたり、世界一って言われたから手を抜けなかったり、リスナーの期待に答えなきゃいけなかったり、たくさん……たくさん、頑張って……」
その時。
突如、暖かい感触を感じた。
「うん。よく頑張ったわね」
その声は、奥さんだった。
あたしは、奥さんに抱きしめられていたのだ。
「私は有栖ちゃんのことはよく知らなかった。でも、自信をもって言えるわ」
背中をトントンと優しくたたきながら、奥さんは優しく言った。
「ずっと、吐き出す場がなくて辛かったわね。
もう――我慢しなくていいのよ」
「……っ!」
その言葉で。
あたしを今まで支えた何かが外れた。
いや。
あたしに今までつっかえていた何かが取れたのかもしれない。
人目もはばからず。
あたしは奥さんの胸に縋り付き。
声が枯れるまで泣いた。
まるで――子供の時のように。