父さん オフコラボをすることになったんだ -03
彼女に再び家に呼び出されたのは数日後のことだった。
それまではネット上で配信チェックやスケジュール伝達などのマネージャー業は行っていたが、直接会うのは久しぶりだった。
因みに、直接会うダンスとかボイスレッスンとかは、別のマネージャー――マネージャー長が付いていた。さすがに男としてそういうのは駄目なんだろうな。
特にダンスレッスン。
薄着の女性。
うん、そういうのはやめるって決めたじゃないか。
僕は自分の頬を叩き、彼女の部屋の番号を呼び出した。
『はーい。なんだタカシね、玄関まで入っていいわよ』
「りょーかい」
緩い返事をして彼女の部屋に上がり込む。
「鍵があるんだからインターフォンを鳴らさないで入ってきなさいよ」
「いや、準備終わっていないかもしれないじゃないか」
「呼び出したんだから準備なんて終わっているに決まっているじゃない。それに準備って何よ」
「女の子なんだから、髪をセットしたりとか化粧したりとかそういうのあるだろ?」
「マネージャーになんでそんな気を遣うのよ」
「そりゃそうか」
……いやいや。
ってことはすっぴんでその美少女なのか?
信じられん。
「……何よ、気を遣わないとは言ったけどマジマジと見られるのやなんだけど」
「ああ、ごめんごめん」
持っていた荷物を台所に置きながら、僕は彼女に言う。
「そういやお昼ごはんは食べた?」
「あたし今ダイエット中なの」
「する必要ないと思うけどなあ」
「あ、それセクハラになるわよ」
「やり辛い世の中になったものだ」
「……私と同じ20歳とは思えない言動ね」
もちろん冗談だ。
しかし、まだ昼ご飯食べていないのか。
この様子だと朝ごはんも食べていないのだろう。
宅配が来た様子もないからまず間違いない。
それを確認しつつ、僕は彼女に問いかける。
「で、今日は何を運べばいいの?」
「察しがいいわね。これよ」
ドン、と大量の書類を置かれた。
「ボイスとか企画の台本とかの読み終わったやつの回収と、あとは雑誌の内容チェックした回答とかね」
「おお。すごい量だな」
これだけの書類、見ただけでげんなりする。
ほんの数日なのに、有栖ばにらの仕事量はこんなにの増えている。
配信もレッスンもこなしているのに、裏の提出物もこなしているのはさすがすぎる。
だけど……
「ねえ、今日の予定は?」
「ん? あれ? 伝えていなかったっけ」
もちろん知っている。
知っているうえで聞いた。
「今日は配信お休みして、溜まっている提出物を片付けるつもりよ」
「そっか。溜まっている方の提出物はどこにある?」
「私の寝室よ。こっちこっち」
別室に案内される。
質素なベッドと、床にあるテーブルに乱雑に積みあがった書類。
「ふむふむ」
「ちょ、ちょっと何してるのよ」
彼女が非難の声をあげて来るが、構わず僕はその書類を寄り分ける。
「うん。じゃあ今日はこの台本のチェックだけにしようか。それ以外は今日はやる必要はない」
「は?」
彼女の表情がみるみる内に怒りのものに変わる。
「なんでそんなことを決めるのよ!」
声も大分攻撃的なものに変わっている。
だが怯むわけにはいかない。
「君は効率的に仕事をしている、と言っていたね」
「そうよ」
「ハッキリ言おうか」
僕は真正面に彼女を見据える。
「君のこの仕事のやり方は効率的ではない」
「は……?」
つかつかと詰め寄ってきて、彼女は僕を睨みつける。
「あたしのやり方に文句付けてくるわけ!? 何様のつもり!?」
「マネージャー様だよ。タレントに過剰な負荷を掛けさせないのが仕事だ」
僕は机にあった他の台本を拾い上げる。
「例えばこのボイス、いつ録ろうとした?」
「そりゃ今日よ」
「締め切りは3週間後なのに?」
そう。
彼女の悪癖はこれだ。
提出物が多いのは確かだ。
だがそれらについては、提出期日がかなり先に設定されているものがほとんどだ。
なのに、彼女はそれを前倒しで実行するのだ。
「締め切りなんて関係ないわよ! あたしがやりたい時に一気にやる! それが一番効率的なの!」
「目にクマが出来ているくらい睡眠時間を削ってやることがか?」
「っ!」
彼女は目を見開いて驚きの表情を見せてきた。
「どうして……?」
「さすがに前回来た時との違いは分かるよ。あとクマを隠すコンシーラーについてくらいの知識は持っている」
実は嘘です。
母さんに教えてもらった。
見極め方も。
「結構無理してるでしょ? この前来た時には分からなかったけど、色々抱えこみすぎなんだよ」
「……」
彼女は何とも言えない表情をしている。
「ここからは僕の憶測だし、一人の人間としての意見を言うだけなんだけどさ」
僕は、はぁ、とわざと大きくため息を吐く。
「今までのマネージャー、マネージャーの仕事してねえな、って思った」
「……え?」
彼女は目を丸くする。
「締め切り前に仕事をやるのって、自分の気分、とか、効率的だから、じゃなくて提出した後の人が余裕を持てるようにするため、だろ?」
「……」
彼女の表情が、信じられない、といったものに変わっていく。
やはり正解だったようだ。
「何も考えていないマネージャーが、仕事が早いから新しいのを詰め込む、もしくは、早めに済ませるように締め切りが先の仕事を先行して渡す――それを同じように早く終わらせる――というループでこんな感じになっているんだよな。マネージメントしてねえじゃねえか」
これは憤り。
彼女がしっかりしているからこそ、管理しなくてはいけないのだ。
甘えでしかない。
「有栖ばにらだからこそ仕事が多くてしょうがない――って思い込んでいるマネージャーしかいなかったんだな。メンバーのことを考えてないじゃないか」
というよりも。
きっと彼女に遠慮していたんじゃないかと思う。
有栖ばにらは、今や世界で一番有名なVtuberだ。
彼女に意見をしていい、彼女に口答えしていい。
そう思えなくなっても仕方ない面はある。
加えて、しっかりと自分を律している彼女に迫力があり、そういうのが更に厳しくなっていた面もあったかと思う。
だが彼女は――
「それにこの前、事務所で怒っていたのも、あれは自分の方じゃなくてあのマネージャーが受け持っていた他のメンバーの予定を被らせてしまったからなんでしょ?」
彼女は、本当は優しいのだ。
「それは……」
「だから自分のことは自分でやれるからそっちの挽回しろ、って意味だった。んで、誰かしらマネージャーいないといけないのは分かっているけど、あまり迷惑が掛からないように誰かって時に、父さん……耶摩シダレしか担当していない僕がたまたまいたから声かけた――ってとこだったのかな」
「そこまで分かってたの?」
まあ分かったのは、彼女がそういう人物ではないのではと思って父さんに相談した結果なんだけどね。
自分のことではなく、他人を慮って冷たい態度を取った。
それがあの時の真実だ。
そんな彼女が、こういう行動や言動を続けている理由も、ざっくりとは察していた。
「勿論、それらが――運営に対して抱えていた不満をぶつけるため、ってのもあるのも分かってるよ」
「っ!? 本当にどこまで分かってるの……?」
信じられないという様子で、彼女は座り込んだ。
僕はそんな彼女の様子を一瞥して手に持っていた台本を彼女に渡した後、台所へと向かう。
「……私ってそんなに分かりやすい?」
後ろから先ほどとはうってかわって弱々しい声が聞こえてきた。
僕は首を横に振る。
「いいや。分かりやすくないから、前任のマネージャー達は抱え込んでいることに気が付かなかったんだろ」
「そう、かなあ……」
「そうだよ。あ、電子レンジ借りるぞ」
「え? あ、うん。いいわよ」
戸惑う彼女を尻目に、僕は自分が持ってきた荷物から色々と準備をし、電子レンジを使用する。
数分後。
チン、という音と共に出来上がったものを、僕は彼女の元に持っていく。
「なにこれ?」
「ネギと白菜と鶏もも肉のスープ。お昼ご飯食べていないんだろ? お腹に入れときな。あと喉にも優しいんだってさ」
受け取りながら、彼女は上目遣いで訊ねてくる。
「これ、あんたが作ったの?」
「まずかったか?」
「まだ食べていないわよ」
「いや、男の作った料理なんか食べられない、とか言うのかと思った」
「そんなこと言わないわよ」
「知ってる」
持ってきた先割れスプーンを手渡しながら、僕はきちんと補足説明をする。
「味は保証するぞ。僕の昼ご飯だったからな」
「なら期待できそうね。いただくわ。ありがとう」
彼女はテーブルについて料理を食べる。
「……あったかい……」
悪くない表情だ。
僕は満足げにほほ笑む。
彼女はデリバリーで食事を用意していた。
しかしながら即食べるのではなく、自分のキリのいいところで食べるようにしていた。
つまり料理は一度冷めてしまうのだ。
当然、冷めてからもう一度温めるにしろ、そういうような想定で作られていないので味は落ちる。
その点、このスープは電子レンジで温めることを想定している。
スープもただのスープではなく……
……いかんいかん。
母さんに教えてもらったことをついひけらかしたくなってしまった。
とにかく。
僕は彼女の為に何かできることはないかと模索した結果、きちんとした食事をとらせることを考えたのだ。
その一つが、温かい食事だ。
こうすることで彼女の緊張を和らげ、リラックスさせられればなと思っている。
そして――彼女の不満を吐き出させる。
これが真の目的だった。
「なあ、山田さん、食べながらでいいから教えてくれないか?」
「何を?」
「会社に対して、不満に思っていることがあるだろ? それが何か教えてくれないか?」
「……」
具体的には「会社は何もしてくれない」って思っていることだ。
だから彼女は会社を頼ろうとしない。
独りでやろうとする。
そうなるきっかけが何かあったはずだ。
そしてそれは多分、この前のマネージャーがやらかしたことではない。
もっと強烈な不満から来ている。
僕はそう推測し、父さんも同意した。
「何か僕に出来ることがあれば協力するからさ」
「……どうせ無駄よ」
彼女は小さく首を振った。
「あんたアルバイトでしょ。そんな立場の人間が言ったところで変わりはしない」
「アルバイトだけど、僕は君のマネージャーだ。だから」
「それでも、できない、って言っているの」
……駄目だ。
彼女はまだ心から信頼してくれていない。
それはきっと、僕が頼りないせいもあるし、正社員じゃないからってのもある。
つまり、それだけ根が深い何かがあるということだ。
これは……僕だけじゃ無理だな。
「なあ山田さん、今日の予定は?」
「はあ? さっき言ったじゃない。今日の予定は溜まっている提出物を……」
そこまで口にして、あ、と彼女は気が付く。
「って、あれか。君に一個以外はやっちゃいけないって言われちゃったから予定はないわね。配信も入れていないし」
「オッケー。今日はこのまま寝なよ」
「うーん、でもこの時間に寝ると生活リズム崩れるからなあ。実際、あんま眠くないのよ、今」
「そっか」
「だからやっぱり作業していた方が」
「だったらさ、僕の家に来なよ」
「……は? あんた何言っているの、タカシ?」
彼女はしかめっ面になる。
「ああ、やっぱり寝た方がいいかな? 疲れとかあるだろうし」
「いやむしろ温かい料理を食べて逆に眠くなくなったっていうか、心がちょっと楽になったっていうかなんというか・……そこは本当に大丈夫だから」
「ならやっぱり僕の家に来なよ」
「だから何を言っているのよ? ナンパ?」
「こんな特殊なナンパがあるわけないだろ。よく考えてほしい」
僕は自分の胸を叩き、彼女に問う。
「僕の家には誰がいる?」
「あんたと……あんたの親御さん? 兄弟はいるの?」
「兄弟はいない。そう、僕の父さんと母さんがいるんだ」
「で、いるからなんだって……」
ピタリ、と彼女の挙動が止まる。
「あんた、それって……」
「そう、僕の家には父さん――耶摩シダレがいる」
つまりこういうことだよ、山田さん。
「今日、有栖ばにらと耶摩シダレの――オフコラボを実施しよう」