父さん オフコラボをすることになったんだ -02
「今日の配信はここまでばに! みんなおつばにー!」
ゲーム配信から投げ銭へのお礼までを終えた彼女はパソコンに向けて一礼した後に、大きく息を吐いた。
「はぁー楽しかった。……きゃあっ!」
振り向いてこっちを見た瞬間に悲鳴をあげられた。
「ひどくない?」
「あ、ごめん。いると思わなかった」
「ひどくない?」
2回言ってしまった。
「違う違う。誉め言葉よ」
「君は誉め言葉で悲鳴を上げるのか?」
「配信している時に本当に物音をひとつ立てなかったじゃない。今までのマネージャーにはそんな人いなかったわよ」
「そうなの?」
「……本当に息の根止めてた?」
「ああ、これはやっぱり夢か」
初対面の女の子の部屋に呼ばれるなんてありえないからな。
やっと目覚めるか。
「……マジでなに顔をつねっているのよ」
「痛い。夢じゃなかった」
軽口はそこまでにしておいて。
「いや、単純に見入っただけだよ。配信画面は勿論見れていないけど、ずっと実況してて飽きなかったし、視聴者コメントとの掛け合いも面白かった。投げ銭返信タイムも面白かった。流石プロは違うな、って思ったよ」
それこそ、本当に息を呑んで見守ってしまったのだ。
配信する姿はまごうごとなき、有栖ばにらのアバターが被っていた。
幻想のようで、幻想ではない。
「そ、そう……? 素直に褒められると照れるわね」
彼女は顔を赤らめた。
「ま、まあマネージャーだからメンバーにおべっか使わなくちゃいけないもんね、うん」
「おべっか、って久々に聞いたな。ああ、そっか。そうやってモチベーション上げるのもマネージャーの仕事か。本心で言ってしまっただけだから、今度からちゃんと意識しよう」
また学びを得た。
この仕事、色々と自分の為になることが多いなあ。
「……駄目」
むぅ、と口を真一文字にして彼女はつかつかと僕に近づいてきた。
「いい? あんたは私に対してはおべっかなんて使わないこと! 率直に駄目だったら駄目って言いなさいね!」
「でも、駄目なところなんて」
……いや、違う。
彼女はきっと、思いあがらないために僕にこう言ってきているのだ。
自分への厳しさ。
それが彼女が有栖ばにらを世界一に足らしめていることなのだろう。
なら、なし崩し的にマネージャーになってしまった僕も覚悟を決めよう。
「分かった。駄目なところはきちんと言うようにする。その結果、クビになっても構わない」
「そんなことでクビにしないわよ」
さっきマネージャークビにしていましたが。
あえてツッコまない。
「それに、他のメンバーの担当よりは仕事は楽なはずよ。あたしは自分自身で管理できるのよ。その証拠に、きちんとスケジュールは守る、で有名なんだから」
「あ、それは聞いたことある。有栖ばにらは裏の打ち合わせであっても遅れたりすることは一度たりともしない、って」
「ふふん。あたしはしっかりとしてるからね」
彼女は自慢げに鼻を鳴らす。
「いやいや、しっかりとしている人は初対面の男を自分の家に入れたりしないって」
「それはさっき言ったじゃない。貞操の危機なんてありえないって」
「だとしても、普通は連れてこないって。マネージャーとはいえ、ネット上のやり取りでよかったじゃないか」
「あら、あたしは効率的な女よ。だからあんたを連れて来たんじゃない」
「効率的……?」
「そうよ。配信も仕事も生活も、効率的に進めるのが好きなのよ」
だからね、と彼女は囁くような声で告げてくる。
「あたしだって、たまるもんはたまるのよ」
「え……?」
ドキッとしてしまった。
これ、同人誌で見た展開だ。
「それってどういう……?」
「ちょっと待ってて。今から用意するから」
ふふふ、と微笑んで、彼女は別の部屋に行った。
ここ以外の部屋……もしかして寝室か?
いやいや、流石におかしいだろ。
でも、彼女は「生活も効率的に」って言ってた。
ということはつまり、そういうこと――
ドスン。
「お待たせ」
リビングの机に大量の書類が置かれた。
「これは……?」
「見てわかるでしょ。たまっている提出物よ」
「そっちかぁ……」
「そっち?」
「いや、何でもないです」
僕のバカ! もう知らない!
でも山田さんが魅力的な美少女なのが悪い。
……うん。反省!
もうそういう目では絶対に見ない!
「で、これって何?」
「CDの特典のサイン。1000枚くらいかな」
「せ……」
思わず言葉を失ってしまった。
手書きで1000枚はえげつないな。
「とりあえず事務所に持ってってもらいたいのはこれだけかな」
「あ、もしかして出来上がったらこれをすぐに回収させるために家に呼んだ、ってこと?」
「そゆこと。出来上がってから家はここです、って言うよりも効率的でしょ」
確かに彼女にとっては効率的だ。
まあ、僕にとっては非効率的ではあるが。文句を言っても仕方がないだろう。
「ということで今から書いちゃうから、終わるまで待ってて」
「今度は息してもいい?」
「さっきもしてたじゃない。配信じゃないから動き回ってもいいわよ」
そう言いながら彼女はスマホを少々いじり、そして色紙の山へと取り掛かっていった。
サインを書く作業は、早くも遅くもなかった。
見るからに適当に書いているわけではなく、しっかりと一つ一つ思いを込めて書いているように僕は見えた。時々、「好きだよ」とか「愛してるよ」とか「ラッキー」とか口ずさみながらその言葉を書いていた。ファンサがすごい。
その様子をじっと見ていても飽きはしなかったが、流石に仕事はせねばと通話チャットアプリでマネージャー長に彼女に対しての仕事を質問していた。
流石に世界一有名なVtuberなだけあって、かなりの量の案件があった。
こんなにあって〆切は大丈夫なのだろうか。
まあ本人はしっかりしているって言っていたから大丈夫だとは思うが――
「……え?」
マネージャー長から届いたメッセージに僕は目を丸くした。
これが事実だったら……
「あのさ」
「なに!? 今集中しているんだけど!」
不機嫌な声が飛んできた。
少し考えて僕は「何でもない。ごめん」と謝った。
彼女は何も言わずに再びサインに取り掛かる。
マネージャー長さんからの情報が正しければ、彼女に言わなきゃいけないことがある。
ただ、きっとそれもきちんと理解して、彼女は今仕事をしているのだろう。
ならそれに口出すのはどうだろうか……?
なんて悩んでいた時に
ピンポーン。
「あ、来たわね」
インターホンが鳴り、彼女は立ち上がって声を低めに作って対応に向かう。
「誰か来るのか?」
「ん、人じゃなくてご飯が来るわ」
「あ、そっちか」
作業に取り掛かる前にスマホをいじっていたのはご飯を注文するためか。
「あ、せっかくだしあんたが玄関先で受け取って」
「別にいいけど、なんで?」
「配達員の人が男だったからよ。その場合は普段はドア越しに掛けてください、って言うんだけど、せっかくだし男がいるって見せた方が安心するじゃん」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。あ、ほら鳴った。頼んだわよ」
「ほーい」
僕は言われるがままに玄関を開け、配達員から物品を受け取ってお礼を述べて彼女の元に戻る。
「普通に終わったけど」
「そ、ならいいわよ」
彼女はいつの間にかサインを書く作業に戻っていた。
「さっきの配達員さんが何かあるわけではないけどね、でも女の子の一人暮らしって色々あるのよ。例えば連絡先を入れてきたりとか」
「はー、そういうのあるんだなあ」
「リスクよねぇ。だからさっきみたいに出てくれると『あ、この家の人彼氏いるんだワンちゃんないわ』って言って何もしないで引いてくれる、って可能性もあったわけ」
「そういうことか」
色々と大変だなあ。
「分かったけど次からはリアルの彼氏に頼んでおきなよ」
「そんなのいないわよ」
「そうなの?」
「出来たことないし、今はそんな暇もない」
そりゃそうか。
世界一のVtuberだもんな。
忙しさもそりゃ世界一だ。
聞くだけ野暮だったか。
「ごはんどうする? 休憩にして食べるか?」
「台所に置いておいて。終わったらレンジで温めて食べる」
「飲み物は?」
「冷蔵庫に入れてくれると助かる」
「あいよ」
当然ながら食事も飲み物も一人分だけだった。
そりゃそうだ。
別に僕はお客さんでも何でもないのだから。
むしろこういう手配は僕がするべきだったのかもしれない。
そう考えながら冷蔵庫を開ける。
……極端に食材が少ない。
ついでに言うと豆乳とかヨーグルトとかの健康食品とかだけだ。酒もお菓子類も入っていない。でもエナジードリンクは入っている。
これだけで食事環境がある程度分かってしまう。
……。
お腹空いていないか、とか、食事ちゃんととっているか、って聞いても平気って返ってくるだろうし、そもそも声を掛けた時点でサイン書きの邪魔だって怒られるかもしれない。
なら……やるしかないか。
心の中でやることを決めながら、僕はサインを書く彼女の元へと向かい、書き終わったサインの山を丁寧にまとめて梱包する作業に取り掛かった。
◆
――数時間後。
「よし、終わったー!」
「お疲れ様」
最後の一枚を書いて身体を投げ出した彼女に、僕はねぎらいの言葉を掛けながら、冷蔵庫に入れていた飲み物を彼女に手渡す。
「気が利くじゃない。ありがとう」
「いやいや、本当にすごいな」
「えへへぇ」
にへら、と笑う彼女。
疲労している様子がありありと見えている。
「じゃあ僕はこれから事務所行ってこれを渡してくるから」
「よろしく」
寝ながら敬礼のポーズをとる可愛らしい彼女に笑みがこぼれながら僕は言う。
「そこで寝ちゃだめだよ。きちんとベッドで寝なよ。ゆっくり休んでね」
「いや、まだ寝ないよ。今日はこれからボイスを撮るわ」
「まだ仕事をするの!?」
バイタリティが凄すぎる。
止めても無駄だろう。
――今は。
「ん、無理しないでね。眠たくなったら寝ること」
「はーい」
「それじゃあ」
「あ、待った」
彼女は手を使わずに身体を振って跳ね起きる。
……運動能力も抜群かよ。非の打ち所がないな。
「連絡先交換するわよ」
「え? 通話チャットアプリじゃダメか?」
「あれ別に常時見ないし、スマホで直接連絡した方が効率的じゃない」
そう言って連絡先を交換した。
初めて女の子の連絡先入手しちゃった。
……まあ多分、会社支給携帯の方の連絡先だろうけど。
「あとこれも。はい、合鍵」
ついでに合鍵まで入手しちゃった。
傍から見たらもう付き合っているようなもんじゃん。
残念ながら仕事の付き合いだけど。
「じゃ、お疲れ様」
ひらひらと手を振る彼女に軽く手をあげて返事をした後、彼女の家を出た。
◆
そこから
事務所に彼女の提出物を届け、自宅まで歩いて帰った時には既に晩御飯時であった。
「おう、おかえり。なんかあったか?」
帰宅するなり、母さんと一緒に食卓についていた父さんがそう訊ねてきた。
察しがいいな。
それとも僕が分かりやすいのか?
いずれにしろ、なんかあったのは正解だ。
僕は今日あった出来事を説明した。
そして、
「父さん。そして母さん」
僕は二人に向かって言う。
「ちょっと相談したいことがあるんだ」