父さん オフコラボをすることになったんだ -01
「なんか久しぶりだな」
自然と言葉が落ちていた。
僕がいたのは大学だ。
夏休みに色々とありすぎて学校に行くのを忘れそうになっていた。
それはそうだ。
長い夏休みの間に父さんが会社を辞めてVtuberになり。
父さんがログライブに入ったかと思ったら、僕はアルバイトとして父さんのマネージャーになり。
炎上したのにいつの間にか登録者が増えていたり。
……二か月の間に起こったことだとは思えないな。
「ふう……」
後期の履修登録を終えた僕は、遠い目で空を見る。
今日はいい天気だ。
「お、タカシじゃん。おひさー」
「おう、久しぶりだな」
大学の友達が声をかけてきた。
「タカシ、なんか生き生きしてんじゃん」
「そうか?」
めっちゃ多忙だったけど。
父さんのマネージャーとして。
最近は配信だけじゃなくてボイスやダンス関係のマネージャーも任されるようになったからな。「要領分かって来たでしょうから」って仙谷社長に言われて。
一応アルバイトだぞ、私。
でも、報酬はアルバイトでははるかに稼げない額を貰ってしまったから、何とも言えないけれど。
というか時給いくらなんだろう、僕。
そもそも時給なんだろうか……?
あれ? 何で覚えていないんだ?
ちゃんと契約を結んだし、父さんにも見てもらったよな……?
にしては多かった気がするし。
そう頭の中がこんがらがってフリーズしていたところ
「お前……まさか……」
友達が肩を組んできた。
「夏休みの間に……ついに彼女が出来たか」
「あー、そんなこと言ってたなあ」
今思えば戯言だけど。
「その反応……マジか……」
「いやいや、出来てないって。アルバイトでいっぱいいっぱいだったよ」
彼女は出来ていないけど、女になった父さんのサポートをしていたよ。
……文面にするとやばいな、これ。
「はー、アルバイトばっかとかマジで大学生の夏休みって満喫しているなー。……で、バイト先で可愛い女の子とかいなかったん?」
「うーん、全然人と会わなかったからな」
会うのは父さんと仙谷社長と、それに父さんのダンスの先生と、あとは全体のイベントとか父さんのスケジュールを報告したり、案件の道具とかを受け渡したりするくらいで事務所に行ったときに会うマネージャー達を取りまとめてくれている人(僕は勝手にマネージャー長と呼んでいる)くらいだったからな。
メンバーの女の子っぽい人とは一度も会っていないな。
もし見かけたとしても声を掛けたり、ミーハーのような反応はもうしないけれど。
だって仕事で関わっているし、あれだけ大変なんだからそんなところで気苦労掛けたくない、って気持ちの方が強くなったからな。
父さんを見ていると学ぶことが多い。
そういえばこの前も――
「は? そういや何のバイトしてたん?」
……っと、回想に至る前に友人の声で現実に引き戻される。
あー、なんて答えようかな。
「んー、あれよ、今、配信者とかいるじゃん。あれのお手伝いみたいな感じ」
「おー、動画編集か」
「まあそんなところかな」
嘘だけどある種嘘ではない。
「お、そういや配信者で思い出したんだけど、最近俺も配信者にハマったんだけどさあ」
「うんうん」
「あ、配信者って言ってもちょっと特殊でな」
「うんうん」
「Vtuberって知ってるか?」
「うんうん」
「オタクか! って言われるかもしれないんだけど、最近は面白い奴も増えていてさ」
「うんうん」
「で、今俺がハマっているのはログライブってアイドルグループなんだけどさ」
「うんうん」
「そこの有栖ばにらって子」
セーーーーーーーーーーフ!
あぶねえ!
途中まで完全に父さんの流れだったじゃねえか!
流石に友人に父さんが推し、とか言われたくない。
「あと最近は耶摩シダレにもハマってんな」
アウトオオオオオオオオオオオ!
はい、アウトオオオオオオオオオオオ!
「お前知ってるか? ログライブってアイドルグループなのにおっさんが入ってきてさあ、マジで最初炎上したかと思ったんだけど、そういうのじゃなくてもう完全に『お父さん』って感じなのよ」
グフッ!
感じじゃなくて実のお父さんです。
「しかも配信も面白くってさ。なんだろう、お笑い芸人のボケみたいな人工的なやつじゃなくて、天然なんだよなあ。世代間ギャップ、みたいなやつで。あとは至極真面目なんだろうけどそこが裏返して面白くってさ」
やめてくれ。
どんな表情をしていいか分からないの。
「ってオタク語りしちまったな。まあお前も見てみろよ」
「あ、うん、そうだね」
「なんだよ。お前もVtuberに対して偏見を持っているのか? そういう固定概念捨てた方がいいと思うぞ」
「いやいや、僕だってVtuber好きだし、ログライブのことは知ってたよ。そこは大丈夫だし、あとお前の話に引いていたわけじゃないぞ」
一応友人のフォローも入れておく。
単純に父親について語られて反応が出来なかっただけなのだ。
むしろこういうオタクには好感を持つ方だ。
「そっか。ならいいんだが……あ、そういえば」
「なんだ?」
猛烈に嫌な予感がした。
こういう時の予感は黒い雲模様の時の雨くらい当たる。
「耶摩シダレには息子がいてさ、そいつの名前はタカシっていうんだよ」
「ヘーソウナンダ」
「まさか、お前じゃないだろうな?」
「ハハハ。そんなわけないじゃないか。全国にタカシって名前がどれくらいいるんだよ」
「ま、そうだよな」
「うん。ログライブ知ってて耶摩シダレも知ってるけどそのタカシって名前のせいでなんかモヤっとしてただけなんだよね」
「あー、あれか。ヒロインの名前が母ちゃんの名前と同じで複雑な感情になるってやつ」
「そう、そんな感じだよ」
「なんだ、そうだよな。あはは」
……ふう。
なんとか誤魔化せた。
変な反応したのも「タカシ」って名前の所為だって言い訳が出来た。
絶対に父さんの配信に声が乗らないように気を付けよう。
そう胸に誓って、僕は話題を切り替える。
「そういや、お前今日は授業あるのか?」
「あるある。俺は今までサボり気味だったからなあ。今期は結構取らないとまずい感じ」
「そっか。僕は今日は履修届け出しに来ただけだよ」
「因みに授業はどれくらい入れたんだ?」
「んー、週三くらいかな」
「少なっ!」
「ふっふっふ。僕は今まで頑張って単位を上限いっぱいまで取っていたからね。あとは必修だけだから少ないのだよ」
僕の大学は上限単位数がないのでこういう真似も出来るのだ。
ゆえに、暇な時間がたくさんできる。
……まあ、これもひとえに、父さんのマネージャー業をするためだけどね。
実際卒業単位まではかなり余裕があるし、こういう形でも問題ない。
「じゃあ僕、これからバイトあるから」
「おう。めっちゃ稼いでいるなー。今度なんか奢ってくれよ」
「いいぞ。お前が奢ってくれるならな」
「じゃあ俺の出世払いってことで」
「米粒一つか」
「俺の将来性!?」
ってな会話を交わして、僕はアルバイト先――株式会社PACKへと向かった。
◆
(……そっか。これだけ有名になれば僕の周りにも父さんのファンがいるのか……)
PACKに向かっている途中で、僕は改めて思った。
先ほどの友人は、正直言うとオタクというカテゴリに分類される人ではない。むしろ陽キャで、女の子と普通に話しているくらいの、いわゆる一般人にカテゴライズされる人間だ。授業で隣になったから仲良くなったが、住む世界が違うなー、と普段から思っていたものだ。
そんな人までが、父さんを知っている。
しかもファンだという。
……これは一層、気を引き締めないといけないな。
僕が何かやらかしたら、父さんにまで迷惑が行く。
何か悪いことしたら家族に迷惑が掛かるというのは当たり前のことではあるが、いわゆる有名人の親類がやらかしたことで有名人が仕事がなくなる、みたいな状況になっていることを改めて自覚した。
父さんはもう、有名人なのだ。
いつの間にか登録者も50万人を超えて収益化も達成していたし……その時の投げ銭額はやばかったな……
本当に異常なペースであった。
因みに父さんはあの後、玖零美愛さんと正式にコラボ配信を行った。
タイトルは「教えて先輩! お悩み相談室!」
……なんで一番後輩の父さんが悩みを聞くコラボ配信なんだ。
だが、まあ仕方がない。
父さんがメンバーとして、他のメンバーを裏で支える――つまりサポートも行うことが、玖零さんの配信で意図せず明らかになってしまったのだ。
じゃあこれをエンタメ化しないと笑い話にもできない。
その配信の結果は、大成功。
玖零さんの素っ頓狂なボケ的な相談でも、父さんは総務人事の部長職であった経験を活かし、すべて真剣に回答したのだ。
但し父さんが勘違いしたまま答えたこともあり、噛み合わないながらも話が通じていた、などの奇跡もあり、面白おかしくて、リスナーに大うけしたのだ。
しかもその様子は切り抜き動画などでかなり拡散された。
結果、父さんの登録者が大分伸びたのだ。
よかったことはそれだけではない。
他のログライブメンバーもそれを皮切りに父さんと絡むようになったのだ。
やはり仙谷社長の見込みはあっていたようで、SNS上でも、チャットアプリでも気軽にメッセージを送ってくれる人が増えたのだ。
また玖零さんとの配信で父さんをかなりいじったのに、父さんは全く嫌なそぶりを見せずにむしろ面白い方向に話を転換させたことから、冗談を軽く言ってくるメンバーもかなり増えた。
父さんに聞いたら、それは意図的であったようで「心理的安全性といってな。気軽に発言が出来る職場はかなり活性化するもんだ。但し何でもかんでもというわけではなく、限度はきちんとあるし、それを見極めるからな。今のところ超える人はいないから素晴らしいと思うぞ」と言われた。
ものすごく勉強になった。
それを他のライバーも感じたのか、すぐさま「第二回! 教えて先輩! お悩み相談室!」として複数人とコラボ配信が行われた。
例えば、森のくまさん+テディベア+ハグミー(抱きしめて)+追い剥ぎ(剥ぐ身)というモチーフのほわほわ系毒舌Vtuberの『森熊 はぐみ』は
「あたし、毒舌をついしちゃうんだけど、正直、他の人に嫌に思われていないかなあ」
という切実な相談をしてきたが、父さんは短い時間で森熊さんの配信をきちんと見て、ラインを見極めがうまくて、本当に嫌だと思わせてしまったとかそう感じたらきちんと誠心誠意裏で謝れば大丈夫だということを、非常に説得力がある言葉と事例を合わせて伝えて、彼女のファンである「はぐ民」をホッと安心させた。
他にも
シロナガスクジラをモチーフにした身長の高さと声の可愛さのギャップを見せているVtuber『白長スージー』
10000キロカロリーまでは0カロリー理論でゴリ押す大食いダイスキVtuberの『クイーン・カロリーヌ』
ファンからは『デカクロス』とコンビ名で呼ばれているこの二人からの
「最近食べ物がおいしくって」
「そうそう。このままだと地球を食いつくしてしまいますわー」
という相談には、これからさらにおいしくなる料理の話をして母さんを呼びつけて二人の食欲をさらにかきたてるムーブをして笑いをよんだ。
さらには和楽器を使った『演奏してみた』動画や『歌ってみた』動画を投稿している大和撫子系vtuberであある「常磐坂寧々」からは
「私は常に敬語を使って物腰が柔らかく、お淑やかなのですが、キャラ被りです。貴方を粛清します」
というもはやお悩みなのかどうなのかも分からない発言が飛び出してわちゃわちゃしたりなど、エンタメ性抜群な配信となった。
このように他のメンバーとの関係も良好で、おおむねのメンバーとはいい関係を築けていた。
実際、SNS上でのリプライや、メッセージアプリでのやりとりなどで、全く関わりを持てていないのはたった一人だけであった。
「……流石にまずいよなあ」
父さんと共有しているSNSと通話アプリを見ながら、思わず口に出してしまった。
そのたった一人とは、ログライブの頂点に立っている人物。
有栖ばにら
彼女はこちらについて何も反応も見せず、いわゆる触れないようにしているかにも思えるような形になっている。
流石に裏でしかやり取りしていない人もいるから表立って一人だけ関わっていないことが目立っているわけではないが、しかしながらいずれは見えてきてしまい、不仲説などがアンチなどに嘯かれてしまうだろう。
そうなる前に何とかしなくては、と思い、僕の方でも色々やってみてはいるが……
ということを心配しながら、僕は事務所に入った。
数分後。
「はい。これが耶摩さんの案件よ。お願いね」
「分かりました」
事務所に入った後、マネージャー長から説明を受けた後に書類の束を受け取った。
「こんなにあるんですね」
「そうよ。耶摩さんに対して企業からの需要が増加しているってことで嬉しい限りだわ。それに耶摩さんならきっとやってくださるだろうという信頼感もあるしね」
「父さん真面目だからなあ」
そんな風に評価してもらって嬉しい反面、これだけの量をこなさなきゃいけないなんて大変だなという思いがある。
きっと父さんだけではなく、他の人もそうだろう。
「あ、じゃあこの案件たちについてなのですが、締め切りとかは」
「――いい加減にしてって言ってるの!」
事務所内に怒声が響き渡った。
僕は思わず声のする方に視線を向けた。
そこにいたのは女の子だった。
でも、ただの女の子ではなかった。
思わず目を引くくらいの美少女だった。
しかもスタイルもいい。
PACKって芸能人部門もあったっけ、などと思うくらい。
そんな美少女が、目の前にいる眼鏡をかけた女性に対して眉を吊り上げて怒りを示している。
「あれだけ言ったのになんで予定が被ることになってるのよ! ちゃんと確認したの!?」
「ご、ごめんなさい! つい忙しくて……」
「言い訳は別にいいのよ! 何でかって訊いているのよ!」
うわー、ビジュアル通りに厳しい性格だなあ。
でも話聞く限り、なんか眼鏡をかけた女性がやらかしたっぽいな。
「そ、それは……えっと……」
「……はあ、もういいわ」
美少女は一つ深く息を吐くと首を横に振った。
「私のことはもう自分でやるから、あなたはそっちのリカバリーに集中しなさい」
「で、でも私はあなたマネージャーだし……」
「だから! 私のことは私がやるって言ってるのよ!」
あーあ。大変激おこでいらっしゃる。
何をやらかしたか知らないが、そこまで信頼を損ねることをしたのはまずいだろう。
父さんに教わったが、そういう時は改善策を提示して相手に誠意を見せることが先決だ。
しかしながら、眼鏡をかけた女性マネージャーはおろおろと焦った様子で美少女に言う。
「でもでも、メンバーにはちゃんとマネージャーがいないと」
え?
この子メンバーの誰かなんだ。
メンバー全員把握しているが一体誰なのだろう。
マイクを通した声じゃないと分からないかもしれない。
僕は声優ソムリエではなかったようだ。
「あー、もう! だったら誰でもいいわよ! ――ねえ」
女の子の視線がこちらを向いた。
お、真っすぐ睨まれるとすごみが凄いな。
それよりも可愛いって思う方が上回ったが。
だからといって付き合いたいとか、彼女にしたい、なんて気持ちが湧かないのは、僕も成長したのだろうな。
仕事は仕事。
割り切る精神は大事だ。
こんな美少女相手にそれを思えるなんて、僕も社畜になったものだ。
なんて思っていたことが伝わったかどうかは知らないが、彼女は眉をひそめてこちらに歩いてくる。
僕に何か用事が――なんてことはなく、きっとマネージャー長に何か言いたいのだろう。
その予想通り、彼女はマネージャー長に話しかける。
「……ねえ、田中さん、なんで男性がここにいるわけ?」
ん?
あ、眉をひそめたのは僕が理由だったか。
じゃあさっきのは半分正解ってことか。
あと、マネージャー長さんの名前、田中さんっていうのか。
「ああ、彼は耶摩シダレさんのマネージャーだよ」
「耶摩シダレ? ああ、だから男性のマネージャーがここにいるのね」
実際に疑問に持つのも無理はない。
ここはPACKの事務所ではあるが、ログライブのメンバー、および関係者のオフィスになっている。ログムーンは別オフィスだ。その理由は彼女のように事務所に足を向ける際に、メンバー同士が合わないようにするためだ。こういう所も変えたいな、オフィス集約して固定費下げられるし――なんて仙谷社長は言っていたのだが、実際こういう風に分けることでトラブルを回避してきたのであれば、それをやすやすとは変えられまい。
で、ログライブのマネージャーは基本的に女性しかいない。
というのが正しいかどうかは知らないが、少なくとも事務所に来てこのフロアで女性以外に会ったことがない。最初は抵抗があったが仕事として割り切ることで耐性はついていたものだが。
話を戻そう。
目の前の美少女は何故だか知らないが僕のことをじろじろと見てきた。
普通逆じゃないか。
「田中さん、この人は耶摩シダレさんしか担当していないの?」
「ああ。今はそうだな」
今は?
なんか将来増えるみたいな言い方だな。
「じゃあ暇ね」
「いや、暇じゃないですけど」
しまった。
思わず突っ込んでしまった。
美少女は眉をピクリと動かす。
「へー、暇じゃないってどういうこと?」
「大学があるし、その隙間時間で父さんのサポートをする、という形なので」
「父さん? あなた耶摩シダレさんの息子なの?」
驚いた表情。
後にジト目。
「それとも、タレントのことをお父さんだと思い込んでいる?」
「そんな異常者雇っちゃ駄目だろ」
あ、やばい。
敬語じゃなかった。
「いや、すみません。そんな異常者を雇うなんてことをしていたら駄目でしょう、でした」
「言い直さなくていいわよ」
彼女はあきれたような、少し小馬鹿にしているような、そんな微妙な表情を見せた。
そりゃ、マネージャーにため口を聞かれたらそういう反応にもなるだろう。
反省だ。
しかし、彼女どうにも話しやすいんだよなあ。
まるでメンバーの――
「で、彼はどうなの、田中さん?」
「彼は優秀ですよ。耶摩シダレさんのサポートを完璧にこなしているし、よく気が付く。きっと親の育て方がよかったのでしょうね。親の顔が見てみたいです」
「いや、あなた見ているでしょ、父さんの顔」
マネージャー長――田中さんはクールな女の人なのこういう冗談を時折真顔で言う。面白い人だなあ、って毎度思ってる。
「そうじゃないわよ」
美少女が眉間にしわを寄せる。
「彼は耶摩シダレさんしかマネージャーできないの? って聞いてるの?」
「へ……? それはどういう意味」
「一応彼とは請負契約という形を取っているので、そこに関しては問題ないようにはしてあります」
「え? そうなの?」
初めて知った。
というか契約書ちゃんと見ておけばよかった。
アルバイトじゃなかったのか。
いや、アルバイトも請負契約なのか? 違いが判らん。
帰ったら調べよう。
それより。
なんか嫌な予感しかしない。
というか、もうこの後の展開が分かり切ってる。
「じゃあいいわね」
美少女が僕に指を突き付けてきた。
「あんた、今日から私のマネージャーになりなさい」
予想していた通りの展開に呆けるしかなかった。
言葉も出なかった。
「いいわよね、田中さん」
「ええ」
「いや、ええ、じゃなくてですね」
女性メンバーに男のマネージャーを付けること。
それってまずくないか――って言おうとする前に。
「じゃあ行くわよ」
「っ!」
美少女に、手を掴まれた。
これが女の子と手をつないだ、人生初めての経験だった。
――頭が真っ白になった。
「あ、う、えっと」
「何よ。えっと……ああ、名前を聞いていなかったわね」
「あ、タカシです」
「タカシか。じゃあタカシ行くわよ」
女の子の手の感触って柔らかいんだなあ、とかいうことに脳のリソースを割かれていた僕は、強く引っ張られたその手に従って、彼女についていくことしかできなかった。
事務所を出て道を歩く。
女の子と手をつないで。
……いや、女の子に手を引かれて、が正しい。
あまりの急展開に僕は「ちょっと待って」と声をかける。
「なによ」
「あ、お名前訊いていなくて何とお呼びすればよいのですか?」
いや、僕、そこじゃねえだろう。
何聞いているんだよ。
ほら、彼女だって眉をしかめているじゃないか。
「道端でVtuber名言えるわけないでしょ」
「そりゃそうですよね」
「山田花子でいいわよ」
彼女はぶっきらぼうにそう言った。
「それって本名なんです?」
「そんなわけないでしょ」
「ですよね」
美少女あらため山田さん(仮)は少し歩行速度を緩めて言う。
「というかあんた何歳? 私と同い年くらいに見えるけど」
「あ、えっと20歳です」
「じゃあ同い年じゃない。敬語じゃなくていいわ」
「でも、メンバーに対して敬語を使わないのは業務上申し訳が」
と。
そこで山田さんはグイッと顔を近づけてきた。
「……外でメンバーとか配信者とか口にしないで」
「……はい」
さっき『Vtuber名』とか口にしていたじゃねえか、なんて野暮なツッコミはしなかった。
それよりも整った顔が近くに来てドキマギしてしまった。
「あと、私は別にそういうの気にしないからいいの。むしろこういう外でやり辛いから。逆に敬語外してほしい」
「なら分かった。外すわ」
「……順応早いわね」
違う。
てんぱってるだけだ。
普段はこういうキャラじゃないんです。
なんて、心の中で弁明しながら、動揺を表さないために僕は彼女に問う。
「んで、山田さん、僕達はこれからどこに行くんだい?」
「あたしの部屋よ」
「は?」
何を言っているんだこの子は。
おいおい冗談も休み休み言いやが――
「……どうしてこうなった……」
僕は嘆きの声をあげた。
ところどころにあるかわいらしいぬいぐるみ。
白色に統一されたおしゃれな家具。
ちょっといい匂いのするアロマ。
部屋の中にドンと鎮座している防音室。
……うん。一個だけ普通じゃないのがあるけど。
それでも、どうしてこうなった、の状況には変わらない。
僕はどうして――山田さんの部屋にいるのだろうか。
彼女の部屋に男女二人きり。
その事実だけを友人に話したら非常にうらやましがられるから殺されるかの二択だと思う。
これがなんかちょっと妄想していた女の子との出会いの結果、ならある意味不健全ながら健全な流れだったのだが、ずっと手を引かれて連れてこられたのだ。
というか会社からめっちゃ近かった。
もし電車とか乗るんだったらその間に正気に戻れた、もしくは戻ってくれた可能性もあったのに。
「あまり片づけられていなくて悪いわね」
「いやいや、めっちゃ部屋綺麗だよ……って謝るところそこじゃないって!」
カーペットに座り込んでいた僕は彼女に非難の目を向ける。
「いきなり部屋に連れ込んで僕をどうするつもりだ!?」
「連れ込んで、って人聞きの悪いことを言うんじゃないわよ。自分で来たんでしょ」
「いやいや! 無理やり連れ込んだでしょ! 僕の意思をなんて聞かずに」
「そもそも嫌だったら振り払えばよかったじゃない。男でしょ」
ぐうの音も出ない。
女の子に手をつながれてテンションが上がって自分を見失った挙句、「あたしの部屋に行くわよ」って言われて完全に考えるのをやめてしまったのだから。
黙っていると、彼女は「あれ~」といやらしい笑みを浮かべてきた。
「もしかして女の子の家に来て、エッチなことでもできると思ってた?」
「あ、いや、それは思ってない」
「なんでよ!?」
「なんでよって言われても、さっき会ったばっかりだろ? そういう雰囲気でもないし」
「あは。じゃあそういう雰囲気だったらそうなるの?」
「なるかもね。でも、君にそんな気はないだろう」
僕は気が付いていた。
彼女はからかっているだけだと。
「というか男を簡単に部屋に上げるのはいかがなものかと思うよ。もうちょっと危機感を持って」
「あら? 知らないの? 私、人を見る目はあるつもりよ」
彼女はスタイル抜群の胸を張る。
見ないように僕は下を向いてやれやれと首を振る。
「答えになっていないぞ」
「答えになっているじゃない。現に手を出してこないし」
「出せるわけないだろ」
「そうね。あんたは耶摩シダレさんの息子だからね。ここで私に手を出したら耶摩さんに迷惑掛かるからね」
「全く持ってその通りでございます」
くそう。こんな美少女、父さんの息子じゃなかったら手を出していたのに。
まあ嘘だけど。
「それもあって僕をマネージャーにしたのか?」
「そうね。まあ、誰でもよかったけど、一般的に男の方が体力あるでしょ? だからよ」
「成程ね」
ここまで会話していて、彼女に頭の良さを感じる。
可愛くてスタイルも頭も良くて、しかもメンバーだから声もいい。
惜しむらくは未だに誰なのかが分かっていないってことだ。
「で、そろそろ教えてくれないか?」
「ん? 何を?」
「君は一体どのメンバーなのか、っていうのを」
「ああ、まだ分かっていないんだ」
「正直、配信を通した声とかイメージとかが結びついていない。声だけなら父さんでも分からなくなるんだぞ」
「ふーん。そういうもんかねえ」
と、言いながら彼女は「あ、そうだ」と手を打つ。
「最初に聞けばよかったけど、あんたこの後用事ないわよね? 時間あるわよね?」
「今日はこの後は特になんもないですけど」
「じゃあ待ってなさい。あともうちょっとで配信始めるから」
そう言って彼女は防音室の扉を開けた。
中にはPCやらマイクやらモニタ複数枚やら、配信機材が一通り揃っていた。
「今日は防音室開けたままで配信をしてあげるわ。いい? 配信中はもちろん、前後10分は、声を出さない、物音を立てない、息もしちゃだめだし心臓も止めなさい」
「死ねと申すか。……まあ物音は出さないように徹底するよ」
ならいいわ、と言いながら彼女はPCを立ち上げる。
「因みに配信まではあと10分だからもう喋っちゃ駄目よ」
「ギリギリすぎじゃねえか! あ、トイレ貸してください」
「玄関の横よ」
「ありがとう」
トイレに駆け込み、僕はスマホでSNSを見る。
ヒントをもらったから彼女が誰かをここで特定しておこう。
ログライブのメンバーで10分後に配信をする予定のメンバーは――
「……え?」
スマホを落としそうになった。
10分後に配信予定のメンバーはただ一人。
まさか、彼女があの子の中の人……?
驚きを隠すために大きく深呼吸した後に、僕はトイレから出て部屋へと戻る。
そして約束通り物音を立てないようにしながら、じっと防音室の中の彼女の後姿を眺める。
10分後。
「あ、あ、あー。あいうえおあえいうえおあお」
彼女は声を出し始める。
それは徐々に変化していき。
やがて、僕が知っている声に変化した。
「よし」
彼女は僕の方に振り向き、人差し指を唇の前に立てて、再び前を向く。
「じゃあ、配信スタート」
納得した。
納得させられた。
僕の目にはもう全身全霊で、彼女がそうだとしか思えなくなっていた。
「こんばにー。みんな待っててくれたかなー?」
有栖ばにら。
目の前にいる彼女はログライブの中でもトップの存在。
そして、間違いなく今、世界で一番有名なVtuberであった。