父さん 胸は大きい方がいいと思うんだ
ログライブ。
数多にいるVtuberの中で、チャンネル登録者トップの配信者が何人も所属している女性Vtuberアイドルグループ。
その運営をしているのは「株式会社PACK」。
最近株式上場も果たした、今、乗りに乗っている企業だ。
そんな企業の社長室。
父さんと共に、僕はそこにいた。
(父さんの言っていたこと、本当だったんだ……)
そんなに信じられないなら一緒に来るか――そう言われて一緒に来たのだが、実際に目の当りにしたら、もう疑いようがない。
父さんはログライブに何か関係する仕事をするのだということを。
それを裏付けるかのように、目の前には一人のスーツ姿の男性が鎮座している。
ログライブというグループを知っていれば、その顔は知っているであろう男性。
彼の名は、仙谷弘明。
ログライブのメンバーの一人が彼の苗字の「仙谷」を間違って「せんや」と呼んでしまったことから、それが通称になってしまい、リスナーからも親しまれている。
そんな彼は、株式会社PACKの代表取締役社長である。
ネットの有名人が目の前にいた。
本物だ――などと心の中のミーハーな自分を押さえつけていた所で
「ふむ、なるほど」
緊張しっぱなしで頭が真っ白になって現状整理していただけの僕は、その声で現実で引き戻された。
「そうですね。私も胸は大きい方がいいと思います」
「何の話をしているんですか!?」
現実と共に畏敬の念が引き戻されすぎて後ろに吹き飛んだ。
「何って先輩の……ああ、君のお父さんのことだね。お父さんの提案したキャラクターをどうするかって話だけど」
「あ、ああ、そうでした。すみません」
いつの間にかそんな話をしていたらしい。緊張で話が入っていなかった証拠だ。反省しなくては。
「うむ、やはり仙谷君も胸が大きい方がいいと思ったか」
「はい。男性が演じる以上ギャップがあった方が良いと思いますので」
「明らかに女性、と分かるキャラクターの方がマーケティング的にもよいのだな。胸が大きい方が顕著でよい、と」
「ええ、その通りです」
……父さんよ、十分に反省したので、息子の前で胸の話を他人とするのは精神的にきついのでやめてもらえませんか。いや、仕事の内容だから仕方ないけど。
しかし、こんな風に親しげに話しているのを見てもまだ現実味がわかない。
父さんの元部下が、まさか仙谷社長だったなんて。その縁があってVtuber界隈のトップを走っているログライブというグループの一員になるなんて……
……いやいやいや。ちょっと待て。
根本的な疑問が解消していないじゃないか。
「あの、仙谷社長、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう? えっと、先輩のお子さん……」
「タカシだ」
「ありがとうございます。――タカシさん、と呼ばせてもらいますね。大丈夫ですよ。聞きたいこととは何でしょうか?」
「ログライブというグループに所属しているのは女性しかいないですよね?」
女性アイドルVtuberグループなのだから。
「ええ、そうですが」
「PACKさんには男性Vtuberグループとして『ログムーン』もありますよね」
ログムーン。
ログライブとは対照的に男性Vtuberだけで構成されたグループである。ログライブほどではないがVtuber界では上位の知名度を誇っており、特に女性からの支持を集めている。
「だから父さ……父が所属するのは当然、男性グループであるログムーンだと思っていたのですが、ログライブ、というのは何か間違ってはいないでしょうか?」
そう僕が問うと、仙谷社長はやれやれと首を振った。
「タカシさん、知っていますか?」
「何をですか?」
「男の子に胸が大きい子はいないです」
知っとるわ! ……なんて社長相手にツッコミをしそうになったが、ぐっとこらえた僕は偉いと思う。
それ見てか知らずか、仙谷社長は肩の力を抜いて答えた。
「まあ、でも男性グループの方に普通は入れる、という発想になるのは至極当然です。ですが私は先輩を、意図的に女性だけしかいないグループのログライブの方に入れることにしました」
「それは……まずいんじゃないでしょうか」
「何がまずいのですか?」
「だってログライブって、過去に男性と関わっただけでも炎上したじゃないですか。そんな中に男性がメンバーとして入るだなんて、炎上どころの話じゃなくなると思いますよ」
ログライブは女性アイドルVtuberグループ。
それ故に男性ファンが非常に多い。
そんな男性ファンの中には、女性が男性と関わっただけで「付き合ってる」とか「結婚している」とか「男慣れしている」だとか、負の感情を持つ人達がいる。
ネットでは俗称「ユニコーン」と呼ばれる人だ。
ユニコーンはその背中に処女の女性しか乗せないと言われていたことから、そう揶揄された。
しかし馬鹿にできないもので、ログライブの人が男性にSNSで返信しただけでも炎上したことがあった。それ以降、男性とのコラボ配信はもちろん一切なくなり、一種のタブー化されているのは視聴者目線で明白だった。
「そう、そこが問題だったんだよ」
仙谷社長は眉をしかめる。
「別にログライブメンバーが男性と絡むことについては禁止していないんだよ。にもかかわらず、ファンの人達がそれを許してくれない雰囲気がある。私はそれをどうにかしたいと前から思ってたんだよ。男女のやり取りならではの面白さがあると思うんだよね。他の会社はそれで成功しているところもあるからね」
確かに、ログライブと並んで二大巨頭と呼ばれるグループは男女混合だ。特に男性メンバーの人気が高い。
しかしながら、PACKについてはログライブに比べて、男性アイドルグループの方のログムーンは知名度も人気も差が出てしまっている。
そこを何とかしたい、というのは経営者として当然なのかな、とは思うけど、
「でも、女性だけしか絡みがない、っていう『安定性』がログライブの魅力じゃないですか」
「確かに安定性はある。だけど……先を考えると頭打ちが見えるのですよ」
はぁ、と仙谷社長が深くため息を吐く。
「男性と絡ませようとログムーンのメンバーとの交流を作ろうとしたのですが、運悪くログムーンのメンバーの女性に対しての言動で炎上してしまって……」
確かに、そういう出来事が最近あった。
ログムーンの人が、端的に言うと「女は可愛い声を出していれば面白くなくても登録者が増えていいよな」みたいなことを雑談配信で言ったのだ。謝罪はしたものの炎上は収まらず、そのメンバーは自粛という形を取っている。そんな状態のログムーンと絡ませるにはいかないのだろう。
「だから博打にはなりますが、いっそ男性をログライブのメンバーに入れてみようかと思って、今回、先輩にお願いした次第です」
「ふむ。そういう事情だったのか」
うんうんと父さんは頷いて
「で、本音は?」
「面白そうだと思ったからです」
……面白そうだから?
仙谷社長が、にへらと笑う。
「いやー、やっぱり先輩には分かられちゃいますか。そうですよ。表向きの理由はそうなんですけど、そろそろ新しい話題を提供しないと、この業界生き残れないですからね」
「だからといって女性の所に男性を入れるのは過激すぎないか?」
「いやいや、それくらいやらないといけないんですって。しかも、ただの男性じゃないですよ。先輩だからこそ、です」
大分砕けた口調になってきた仙谷社長。
本当に父さんの部下だったんだな、とこんなところで思い知った。
「変な男を入れたりしたら、そりゃあ炎上しますよ。だってウチのメンバー達は若い子ばっかりだし、可愛い子です」
「まるで実の娘のように言うね」
「実の娘より大切ですよ」
結婚していませんけどね、と仙谷社長は苦笑いをする。
「一人一人みんな大切なんですけど、会社が大きくなるにつれて色々と縛りが増えて、業務量が増えたり……私の目の届く範囲で納まりきれなくなってしまって、身体壊す子とか、終いには会社と合わなくて離脱する子とか出てきて……」
本当に辛そうな様子だ。会社が大きくなるのはいいことばっかりではないのか。
「だからこそ、もう会社が壊れてもいいくらいの……は言いすぎですが、リスクある策をやってみようかと思って、先輩に声を掛けたんですよ」
「事情は分かった」
父さんが深く頷く。
「だが何故私なんだ? 私のような年配で面白味がない人物をそこにあてはめるのは少し不可解だが」
「はは。ご冗談を」
仙谷社長の表情が崩れる。
「まず安心面の話ですが、先輩は奥さんを愛していますよね」
いきなり何言ってんだこの人。子供の前ですよ。
「それは当然だろう」
いきなり何言ってんだこの父親。子供の前ですよ。
「なら問題ないです。だって妻帯者で奥さんを愛しているのならばウチのメンバーに変なことしないでしょう。まあ、そうじゃなくても先輩ならそんなことしないことは知っていますけどね」
「自分で否定するのもあれだが、どうしてそう言い切れるんだ? こういう高齢の男性は若い女性に弱いものだろう?」
「いやいや、先輩はそういうことしない生粋の真面目な方だって知ってるからですよ。それに、さっきの後者の『面白味がない』って言っていたことにも繋がりますが、真っすぐで真面目で人の言うことを取り入れて改善を図る、って姿勢を見せていた先輩だからこそ、この配信業界では面白いことになるんですよ」
要するに「クソ真面目」ってことを言っているのだろう。子から見ても父さんの印象はそんなものだ。
「先輩、時竹さんを覚えていますか」
「覚えているも何も、時竹君は私の部下だ。……いや、私が退職したから、部下だった、が正しいか」
「彼女ってバリバリの営業部から先輩の部署――総務人事部に来たじゃないですか」
「ああ。来た当時はまだ20代半ばだったのに営業成績も抜群だった子だったな」
「ええ。だけど強引すぎるやり方すぎて反感も持たれていた。だから総務人事部に配置換えされた」
「そういう裏事情はあったな。だが彼女は優秀だったし、問題行動など起こしていなかったぞ」
「……そこなんですよ」
仙谷社長が苦笑いをする。
「時竹さん、あの時の総務人事部の人みんなを馬鹿にした態度を取っていたんですよ。それこそ、誰も彼女と関わりたくないくらいの態度を」
「ん? そうなのか? 私にはそんな態度、見せていなかったが」
「いやいや、見せていたんですよ。『部長、そんなことも分からないんですか?』とか『部長って何も知らないんですね』とか『こんな効率悪いやり方しているから総務人事なんかにいるんですよ』とか口に出していましたよ」
うわー、それは雰囲気最悪になるだろうな。ましてや、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの仙谷社長もいた部署の中でこんなことを言うとは。有能だったのだろうけど勘違いをしていた人でもあったのだろうな。
「だけど先輩は全部真に受けて、しかも受け入れたうえで更に改善させて、彼女を改心させちゃったんですよ」
「改心も何も、出来ていなかったことを指摘されたから直したり、分からないところを聞いたり、彼女のやり方よりもよいやり方があったら提案しただけだぞ。それが仕事のやり方じゃないか」
「それが普通の人は出来ないんですよ。時竹さん言っていましたよ」
『最初は無知で何もできない人だと思っていたんですが、それをきっちりと受け止めて、それでいて分からないところや任せる所はきっちりと分別してくれて……今までの上司は文句だけ言って自分でやらず、責任も取らなければ投げっぱなしでイライラしたんですが……部長はそういうことが全くなかったし、やはりできる人は違うんだなって、私、思いあがっていたんだな、って気が付いたんです』
「今では彼女は先輩のことを信奉していますよ」
「信奉とは大げさな。ただ、最も信頼できる部下であったことは間違いないし、彼女がいればあの会社は大丈夫だろうとも思っている」
「時竹さんが聞いたら泣いて喜ぶでしょうね。誇張なしに」
パン、とひとつ手を打つ仙谷社長。
「ということで、先輩が適しているんですよ。というか助けてください、ウチの会社を」
「だったら総務人事として雇えばよかったのではないか」
「それは駄目です。単純に僕のプライドが許しません。先輩が部下になるってのはどうしてもいやなんです」
「なるほど。――で本音は?」
「先輩が演者の方が面白いことになるから、って思っているからです」
「だと思った。こういう状況で君が自分のプライドなんか優先する男じゃないのは知っていたからな」
「先輩はなんでもお見通しですね」
「そんな有能な人間じゃないさ。君の方が有能だし優秀だ。そんな君が言うのだから、そちらの方が適しているのだろう。それこそ、配信界隈についてなんて私は判断に必要な情報や知見を持たないのだから」
「信頼してくれてありがたいです。では……」
仙谷社長がにっこりと微笑みながら父さんに手を差し出す。
「胸は大きくする方向で行きましょう」
「うむ」
そうだった。そういう話だった。
そしてもう確定した。
女性アイドルVtuberグループのログライブに、父さんが加入する。
夢のようだけど夢じゃなかった。
けど悪夢だ。
父親が女性アイドルVtuberになるのだ。
男だけど。
父さんだけど。
「デビュー日とか細かい所はあとでゆっくりと詰めましょうか。――で、タカシさん」
「え、あ、はい!」
急に話を振られたので思いっきり挙動不審になってしまった。
「あなたにお話があります」
「な、なんでしょうか……?」
「タカシさん、あなた――先輩のマネージャーになってくれませんか?」
「へ……?」
父さんの……マネージャー?
「そうです。主に先輩の配信関係のサポートをお願いしたいです。パソコンも使えるでしょうし、動画編集の知識もあるのは心強いです。大学二年生で時間も取れるとのことですし、お願いできないでしょうか」
「いやいやいや、ちょっと待ってください!?」
あまりにも私の個人情報が漏れすぎている。
「父さん! 僕のことどこまで話してるの!?」
「ん? 仙谷君には何も話していないぞ」
「え? じゃあどうして」
「ログムーン」
仙谷社長がにやりと笑う。
どうして急にその名前を……?
「っ!? まさか……」
動画編集の知識がある。
大学二年生で時間がある。
これらの情報を最近、書いた覚えがある。
そう――ログムーンの新規ライバー募集の応募の時に。
「『情熱だけはあります』でしたっけ?」
やめてくれ!
顔が熱い。
親の前で晒されるのすっごいきつい。
目の前の仙谷社長が悪魔に見えてきた。
「……何がお望みです?」
「いや、要求はただ一つだけですよ。先輩のマネージャーを引き受けていただけないか、ってことだけです」
「家族だから無償で、ですよね……?」
くっ、なんて卑怯な経営者だ。
「いやいや、お金はきちんとお支払いいたしますよ。感覚的にはアルバイトに近い形ですが時給制じゃなくて委託契約という形にはなりますが。ああ、勿論、大学の方を優先してもらった構いませんよ。あくまでサポート的な立ち位置からで」
気に入ったならばそのまま入社という形でもいいですけれどね、なんて仙谷社長はうそぶく。
しかしながら魅力的な話ではある。激務かもしれないが、今、イケイケの潮流に乗っているあのPACKで働くことが出来るのだ。この先、就職を考えてもいい選択肢になる。
「……分かりました。お引き受けします」
「よかったです」
ニコニコ顔の仙谷社長。流石にやり手といったところだろう。
「そういう細かい所もよく見ているんですね。というかよく覚えていますね」
自分なんて数多の応募の中のひとつなのに。その応募文を覚えているとは。
「それは代表者としての責務ですから。……なんて、まあ半分は嘘ですけどね」
こっそりと耳打ちしてくる。
「……本当は君の応募してきたことから、苗字で先輩のことを思い出して、そこからさっき言っていた時竹さんに連絡を取って早期退職のことを知って――っていう流れだったんで覚えていたんですよ」
「……成程、そういうわけでしたか」
つまり僕がログムーンに応募しなかったら、父さんがアイドルにならなかったわけだ。
世の中何があるか分からない。
「では、これからよろしくお願いしますね、タカシさん」
「よろしくお願いいたします」
ある種弱みを握られてしまったので仕方ない。うん、仕方ない。……マジで応募書類破棄してくれないかな。
ということで。
父さんがアイドルVtuberになって。
僕がそのマネージャーになることになった。
……なんでこうなった。