父さん ついにアイドルデビューするんだ -01
◆
夕焼け。
うっすらと日が沈む前のあの淡い時。
その色が目の端に入ってくる。
ゆらゆら、ゆらゆらとその景色が揺れる。
揺れるのは僕の意思ではない。
「起きたか、タカシ」
父さんの声だ。
目の前から聞こえてくる。
そこでようやく理解した。
僕は父さんに背負われているのだ。
僕は答えない。
というよりも声が出ない。
「まだうとうとしているわね」
母さんの声だ。
「足首をくじいたから大人しくしていてくれた方がありがたいな」
「ねー。子供は元気が一番よね」
「うむ。このまままっすぐ育ってほしいな」
頭がぼーっとして何も考えられない。
瞼がどんどん落ちてくる。
そんな中、ただ一つ、僕が思ったのは。
(父さんの背中、大きいな――)
◆
「……夢か」
目を開けるといつもの自室だった。
久しぶりに夢を見たものだ。最近忙しかったから疲れていたのかもしれない。
あの夢には覚えがある。
僕が小学生の低学年の頃、友達と遊んでいた時に足をひねって、それを隠して遊んで解散になった後に足が痛くて帰れずに公園で困っていた時に、父さんが迎えに来てくれた時の記憶だ。
なんで今こんなのを思い出したのか分からない。
まあ夢なんてそんなものだろう。
「おはよう」
自室を出てリビングにいた父さんと母さんに声を掛ける。
「おはよう。今日はよく寝てたわね」
「うむ。おはよう」
いつもの光景だ。
目の前にいる父さんはあの背負ってくれた父さんと同じだ。
……Vtuberになってアイドルグループにいるけれど。
だが今更なのだが、デビューから数か月経っているものの、父さんは実はアイドル活動というものをまだやってはいなかった。
それっぽいのといえば、歌ってみた、を出していることだが、しかしながらそれも今のところは演歌のみだ。演歌をアイドルというのは一般的な認識からは少し外れている。
やはりアイドルといったらライブだろう。
疑似ライブとして歌のみの配信をする、というのもあるだろうが、父さんはそれもやっていなかった。
まあ、父さんの配信スタイルだと、それ以外でも人気を保っているからする必要はないのだが。
人気、といえば。
ついに父さんのチャンネル登録者が100万人を超えた。
ログライブで100万人を超えているのは複数人いるのだが、それでも、父さんのペースは異常だった。
決め手はこの前の公式生配信での、配信事故の件だった。
あの件で父さんの株はうなぎのぼりになり、特に親御さん世代に「子供でも見られる安心したチャンネル」と認識されて登録されたのだ。分析データを見てもあの一件以来、年齢層が高めの人からの登録者が増えていた。
しかしよくよく考えてほしい。
父さんのVtuberとしての姿は、胸の大きい女性なのだ。
それがそんな信頼を得ていること自体が異常だ。
また配信事故の対応については海外でも紹介されたらしい。
コンプライアンスがしっかりしている、といった事例で。
そういう意味ではPACKという会社自体の株も上がった。
実際の株も同じだったけど。
「ん? どうした?」
父さんはいつもと変わらない平然とした様子だ。
この人がチャンネル登録者100万人いるような人だとは誰も思うまい。
「いや、今日の予定は何だっけなと思って。確か夜にダンスレッスンだっけ?」
「うむ。そろそろリアルライブだからな」
そう。
先ほど話をしたが、ついに父さんはアイドルデビューをするのだ。
ログライブハイパーフェスティバル。
ログライブのメンバーがたくさん集まってライブを行う。
しかもリアルに観客を会場に入れてのライブだ。
当然Vtuberのライブなので演者のリアルの姿は見せないが、それでも最近の技術で普通の歌手とも遜色ない形でのライブになっている。
そのログライブハイパーフェスティバルの出演者のシークレットゲストとして、父さんの参加が決定しているのだ。
実はこのライブに出演するには、3Dモデルが必要になる、という制約があった。
しかしながら、父さんは未だに3Dモデルを持っていない。
――そう視聴者には思わせていた。
仙谷社長の「このフェスを盛り上げるために、先輩の3Dモデルお披露目も同時にやっちゃいましょう。その方が話題になりますよ」の提案を受け入れた形だ。
確かに話題性抜群だろう。
フェスまではあと1週間。
そのために、父さんは今、リアルライブに向けての練習も頑張っているのだ。
「タカシの方の予定はどうだ?」
「今日は夜に有栖ばにらが玖零さんとオフコラボなのでその準備かな。だから父さんのレッスンについては母さん、お願いしてもいい?」
「いいわよ」
ここ最近だが、父さんのレッスンの付き添い連絡役は母さんにお願いすることが多かった。これにはPACKも了解していて、母さんにマネジメント料を払おうとしたが、父さんも母さんもそれを遠慮した。きちんとした契約にしたくないから、という理由らしい。
「あ、タカシ、有栖ちゃんの所に行くなら野菜持っていきなさいな。そろそろ切れそうでしょ?」
「そうだった。助かる」
母さんが袋一杯に野菜を詰め込んでいる間に、父さんが首を傾げる。
「そういやタカシは、何故有栖さんだけフルネームで呼ぶんだ?」
「ああ、それは仕事時とそうじゃない時を確実に使い分けるためだよ。あいつ、仕事じゃない時は名前で呼ばないと怒るからさ。いつか外でぽろっと言わないために、あえて長いフルネームで呼んでるんだよ」
「ほう、そういうものか」
「公私をしっかり使い分けるのもあいつの良い所だからね。きっちりとしたいんでしょう。……母さん、どうしたの?」
「んー? 父さんに似て来たなあ、って思って」
唐突に何を言い出すのだこの母親は。
まだ僕は20歳だぞ。
「うむ。仕事のやり方とかきっちりとしてきたな」
「あ、そういうことか。そりゃ父さんのやり方を身近で見られたし、分からないところを相談しているから進め方は似るに決まっているよ」
「そういうことじゃないんだけどね。まあいいわ、はい」
母さんから袋を受け取ると、僕は背中のリュックに入れ、家を出る。
「じゃあ、行ってきます」
いってらっしゃい、と、いつもの様子の父さんと複雑そうな表情の母さんに送り出されながら、僕は有栖ばにら――響の家へと向かった。
◆
「よーし、終わったぁ! 疲れた!」
響が大の字になってカーペットの上で寝ころんだ。
「お疲れ様。これで今日の提出物は完了だ」
「ありがとう。いやあ、やっぱりサイン書きは疲れるわね」
「まだ配信まで時間があるし少し休んでおくか?」
「んー、いつもならそうしてるけど、今日はあとちょっとでミアちゃんが来るから起きとく」
「そっか」
ピンポーン。
「あ、噂をすれば。はーい」
数分後。
玖零さんがやってきた。
「やっほー。今日はお邪魔するよ」
「ミアちゃんいらっしゃい」
「ばにらちゃんおひさー。って、え? タカシもいるの?」
「いますよ。お久しぶりです玖零さん。そりゃマネージャーですから」
「……嘘でしょ?」
「いや、本当ですって。ああ、有栖ばにらのマネージャーだっていう話、まだ信じてなかったんですね」
そりゃ若造だし頼りないのは仕方ないか。
「ねータカシ。お腹すいたー」
「もうすぐ晩御飯作るけど、その前になんかいるか?」
「あー、じゃあ我慢しておくわ。ちなみに今日のメニューは?」
「親子丼の予定」
「やったー。タカシの料理の中でも好きな方のやつだー」
「ちゃんとサラダも食べろよ。健康にいいんだからな」
「はいはい。いっつも忠告ありがとうございますー」
「あ、忘れてた。玖零さん、なんか食べられないものとかある? ブロッコリーとかあるけど」
「結婚してたの!?」
は?
何を言っているんだこの子は。
「いや、してないけど」
「いやいやいや! どう見ても夫婦の会話だったじゃない! もう付き合っているの通り越してウェディングよ!」
「何を言っているんだ? 普通にマネージャーとしてご飯を作っていただけだぞ。なあ」
「そうよミアちゃん。タカシがご飯作ってくれているだけじゃない」
「そ・こ・が! 普通じゃないの!」
なんか勘違いしているようだな。
「確かに、他のマネージャーはご飯作らないかもね。タカシ、嫌だったら辞めてもいいのよ?」
「いや別に嫌じゃないよ。父さんと有栖ばにらの二人だけしか担当していないし、二人ともしっかりしているから他のマネージャーに比べて暇は多いと思うし、最近料理が楽しくなってきたから。むしろ続けたいなって思ってる」
「なら遠慮なくお願いしてもいい?」
「オッケー」
特に優れた能力もない僕がマネージャーとして彼女に貢献できるところだし、続けさせてもらえてよかった。
「……ねえ、ばにらちゃん」
「ん? なあにミアちゃん」
「ちょっとこっちへ」
二人は何故か僕から離れてこそこそと話していた。
「あんた……このまま……今……」
「いや……なんか……のままの関係で……」
「……なんてことっ!」
玖零さんがなんか地団駄を踏んで頭をわしゃわしゃと掻き回した後、響を抱きしめた。
「かわゆい! これアタシの!」
「な、なにを言ってるのよ! 助けてタカシ!」
「ひ……有栖ばにらは他の子ともっとコミュニケーション取ってほしいと思っていたからな。気に入ってもらってよかったな」
「え? ここあたしの家なのに敵が二人いるの……?」
「こんなピュアな子久々に見たわー。お姉さん心配だわー」
「お姉さんって、ミアちゃんあんた何歳なのよ!?」
「んー、21歳」
「じゃあ1つしか違わないじゃない!」
玖零さんの年齢を知ってしまった。
若いなあ。
と。
そこで響が玖零さんの魔の手から逃れ、僕の背中に逃げ込んできた。
「タカシ! あの子怖い!」
「玖零さんってこういうイメージだったけど、今までこういうのなかったのか?」
「スタジオでしか会わなかったし、なんなら配信ではああいうキャラだったけど現場では割と大人しめだったわよ」
「猫被っていたのよ」
堂々と宣言する玖零さん。
「アタシ、女の子大好き、マルカジリ」
「あ、玖零美愛さん、本日はオフコラボ中止しましょう。今までありがとうございましたでてけ」
「そんなあ!」
がくっ、と跪いておいおい泣き始める玖零さん。
が、すぐに真顔で立ち上がる。
「ま、それは冗談として」
「あたしは冗談じゃないわさようなら」
「まーじでごめんって! 自重するから!」
「じゃあ許すわ」
「ちょろ」
「あ?」
「すみませんでした!」
「2人ともそういうのは配信でやってくれ」
失礼。社畜精神が出てきてしまいました。
「まあ、マジでさっきまでの冗談はともかくとして……タカシ」
「はい、なんでしょうか?」
「あ、アタシにも敬語いらないぞ。で、お前に聞きたいんだが」
玖零さんが肩を叩いてくる。
「どうして日本って多重婚が認められていないんだろうな?」
「なんで僕にその質問をした?」
「質問に質問を返すのはルール違反だぞ」
いやさー、と彼女ははにかんだ笑顔を見せる。
「今まで女の子が好きなんだ、って思っていたんだけど、ちょっと最近気になる人が出来てなあ」
「へー、そうなんですか。それはよかったですね」
「ねー。で、そういえばタカシってシダレちゃんの息子だったよね」
「おいやめろ。その先は地獄だぞ」
話の流れが分かりやすすぎて困る。
「どうして日本って多重婚が認められていないんだろうな?」
「認められたとしても母さんに殺されますよ」
「まだ何にも言っていないじゃないか。なあ、我が息子よ」
「はいアウト!」
いやまあ今まで玖零さんに対して父さんがやってきたことを考えたら、そりゃあそういう感情が湧いてきちゃうのも不思議ではないよ。
でもそういうのは聞きたくないし、何より耳に入れたらいけない人がいる以上は止めてあげるのが優しさだろう。
「ミアちゃんって耶摩さんのこと好きなの?」
「そうだよ、我が娘よ」
「むす……っ!」
「いや、もう適当言いすぎだろ」
ここで分かった。
彼女は僕をからかっているだけだ。
「恋愛感情とか持っていないのは分かったけど、冗談でも母さんの前では言わない方がいいよ。気が付いたら賽の河原で石積んでるよ」
「あはは。大丈夫! アタシ天国行きだから」
「そっちかよ」
と、そこで炊飯器がご飯を炊けたことを伝えてきた。
「ま、さっきまでの冗談は置いておいて、ご飯を作るから座っていて」
「はーい」
「え? 冗談だったの? どこまでが?」
「それは玖零さんに聞いてきなよ。あとついでにコラボの流れとか確認しておいたら」
「あ、それはしておく」
僕の背中から離れ、彼女は玖零さんと共にテーブルへと向かった。
僕はそれを見ながらエプロンを付け、晩御飯を作りに取り掛かった。
十数分後。
食卓に親子丼とサラダが3つ並ぶ。
いただきます、と手を合わせみんなで食べる。
「うわ。確かにこれ美味しいわ。お店で出せるんじゃない?」
「でしょ?」
「なんでおまえが誇らしげにしているんだ」
なんて軽口をかわしながら食事を進めていき、ちょうど食べ終わる直前だった。
ブブブブブ。
僕のスマホが震えた。
見ると発信先は、母さんだった。
……まさかさっきの会話を聞きつけた?
「ちょっと失礼」
母さんならあり得るかもと思いながら僕は離席し、台所で電話を受ける。
「もしもし母さん? さっきのあれは冗談だから」
『タカシ、落ち着いて聞きなさい』
電話口の母さんの声がひどく真剣だった。
「……何があったの?」
僕の問いに、母さんは静かに告げる。
『お父さんが――病院に運ばれたわ』




