父さん 公式生配信に出ることになったんだ -02
木曜日当日。
僕は父さんの付き添いとして3時間前にスタジオに入った。
想定よりも広い空間で驚いた。
今はスタッフが準備しているようだが、中央に横テーブルが用意されている。ここに並んで恐らく配信をするのだろう。
「こんばんは。今日はよろしくお願いします」
父さんが会う人会う人に挨拶をする。僕も併せて頭を下げて回る。
「あ、その声はもしかして」
と、そこで一人の女性が声をかけてきた。
金髪で目鼻がぱっちりとしている、どちらかというと美人という印象の、年齢は僕よりもちょっと上だろう大人の女性。
彼女の声は聞き覚えがあった。
「初めまして。耶摩シダレです。いや君には、久しぶりだな、と言った方がいいのかな?」
「やっぱりー!」
目の前の女性は滅茶苦茶嬉しそうに笑顔を見せた。
「玖零美愛です。今日はよろしくお願いします」
やはり玖零さんだったか。
父さんはうむ、と頷いて彼女に柔らかい口調で返す。
「敬語にする必要はないぞ。よろしく頼む」
「あ、そう? でも、実際に目の前にすると自然と敬語使っちゃいたくなるよね」
凄い。中の人もオタクに優しそう。
だけどギャル味を感じないのは、アクセサリをじゃらじゃら付けていないからだな、と思った。しかもそれはきっと、収録だから音が鳴ったらいけないというプロ意識から来ているのだろう、とも察した。
「あ、紹介しますね。めこちゃーん」
玖零さんは近くにいたフリルの付いた服を着た小柄な少女を連れてくる。
「ど、どうも初めまして……殴背メコです……」
彼女は緊張しているのか震えた声で父さんに挨拶をしてきた。
殴背メコ。
彼女のコンセプトは「退勤時に背中を殴ってくる妖怪系Vtuber」だ。
……どんな妖怪やねん。
殴背さんの配信スタイルは基本臆病な様子なのに時折出る毒舌が人気だ。
「あ、失礼。妖怪が出ました」というセリフはメンバー内に大流行りした。
目の前の子は言われればまさに殴背さんの雰囲気を醸し出している。
そして殴背さんはとある同期のメンバーと非常に相性が良く、よくコンビを組んでいる。というか組まされることが多い。
それが――
「あ、ちょっと失礼!」
唐突に頭に衝撃を感じた。
かと思うと、目の前に女の子が降りてきた。
……え?
何が起こったのか一瞬分からなかった。
だが、事実を繋ぎ合わせたら、衝撃の事実にたどり着いた。
もしかして今、僕……頭の上を飛び越された?
思考が追い付かずにぽかんとしていると、殴背さんが諌めるような口調で飛び越えてきた女の子に注意をする。
「ナナ、人の頭を飛び越えるのはやめなさい」
「だってこの方が早いんだもん」
にしし、という特徴的な笑い声を女の子は放つ。
「相変わらずすごいわねえ。あ、シダレちゃん、この子が宇城場ナナちゃん」
「おー、本当におじさんだね! よろしくシダレっち!」
玖零さんに紹介された彼女は父さんと握手をする。
宇城場ナナ。
サーカスに所属していたけれど楽しいことが大好きだったので配信してみた、という身軽系Vtuberだ。サーカスの芸は空中ブランコをしていたという設定た。
彼女は身軽という特徴を体現するかのように、ダンスが得意で、3Dライブではダイナミックなバク転などでリスナーを楽しませていた。
そんな彼女は、殴背さんとコンビを組まされることが多い。
その理由が、殴背さんの殴りを交わし続けるから、という設定の組み合わせが相性が良かったのと、殴背さんの毒舌に対して奔放な言動で躱すという、言葉でも相性がよい関係であったからだ。
しっかし……運動神経がよいといっても、成人男性を飛び越えるのは凄すぎるだろう。
僕だって成人男性の平均身長は超えているんだぞ。
「うむ。こちらこそよろしく。それにしても凄い身体能力だな」
「でっしょ? これを見せたかったんだ!」
「じゃあわざとってこと?」
殴背さんが拳を放つ。
が、宇城場さんはひらりとバク転で躱す。
「へへー。インパクトが大事って言うじゃない! メコっちもやってみな」
「出来るわけないでしょ。あんたみたいな猿じゃないんだから」
「ウキキキ。ダンスしている人に猿は誉め言葉だよん」
「え? そうなの? じゃあ次から使わないわ」
「嘘に決まってんじゃん。猿に謝って」
「なんでよ」
掛け合いがスムーズだ。裏でもこんな感じなのか。ファンは喜ぶぞ。
「というかナナ、飛び越えた人に謝りな」
玖零さんが彼女の肩を押して僕の前までやってくる。
「えー? 失礼って言ったじゃんか」
「謝罪の言葉じゃないよ、それ」
「確かにー。んじゃ、ごめんねー」
彼女は満面の笑顔でそう言ってきた。
うん。魅力的な笑顔だ。許してしまおう。
「んー、誰?」
直後、きょとんとされた。
そりゃそうだ。
スタッフだとしたら仕事をしなさすぎだろう。
「うむ。タカシだ」
「タカシです。どうも」
父さん説明が少なすぎる。
けど、それでいいや。
別に紹介することでもないし。
「えっ? タカシ!?」
「タカシってあの……?」
「マジタカシ?」
マジタカシってなんだよ玖零さん。
「はい。マジでタカシです。父さん――耶摩シダレのマネージャーやっています」
三人は顔を見合わせる。
ん? なんでそんな驚いているの?
「ショタじゃない……」
「ショタカシじゃないじゃん」
「最近のショタってでっかいね!」
「ショタじゃねえよ」
はぁ、と僕は深いため息を吐く。
「僕がショタだというのは、ひ……有栖ばにらの嘘です。この通り」
「へえ、そうなんだ」
「ばにらっちがそういう嘘つくの珍しいね」
「でもばにらさんは何でそんなことを……」
「……ははーん」
玖零さんが顎に手を当てる。
「ばにらちゃん、そういうことか……」
「え? そういうことってどういうことですか?」
何やらじろじろと見られている。
「な、なにか?」
「タカシさん、あなた、ばにらちゃんと付き合っているの?」
「そんなわけないじゃないですか」
「ん? 付き合っていたのか、タカシ?」
「そんなことないのは父さんが一番わかっているでしょ」
何を勘違いしているのか。
「僕は彼女の配信マネージャーをしているだけですよ」
「え? そうなの」
「そうなんです。だから距離が近いように見えますが、ちゃんと仕事上の付き合いですし、そんなメンバーに手を出すような真似はしないですよ。だから安心してください」
「本当に?」
「本当ですよ。仮にそうだったら、僕だけじゃなくて父さんにも迷惑が掛かるじゃないですか。その辺きちんと弁えていますよ」
「ふーん、怪しいなあ……なーんてね」
玖零さんは、あはは、と笑った。
「冗談だよ、冗談! シダレちゃんの息子なんだから、そこの教育はきちんとしていることは信じてるよ」
僕はホッと胸をなでおろされた。
だって彼女、数か月前には父さんに、メンバーに手を出すために入ってきたんだろ、って糾弾していたのだ。そういう人間が一番嫌いに決まっている。
父さんのおかげで信じてもらえてよかった。
「そうですよ。それにそうじゃなくてもきちんと弁えていますよ。あんな可愛い子と付き合うなんて出来るわけないじゃないですか?」
「ん?」
玖零さんは首を傾げた。
「いや、君、結構顔整っていると思うけど」
なんで唐突に容姿を褒められた?
謎すぎる。
自分がそういう風には思えない……が、
「まあ父さんの息子ですからね」
ここで否定すると父さんの容姿も貶めることになるかな、と思ったのでそんな返しをした。
「シダレっち渋いもんね」
「確かに……」
おいおい、殴背さんと宇城場さんよ。
父さんに惚れると母さんに刺されるぞ。
「まあ顔がどうであれ、どっちにしろ僕は彼女もいたことがないしがない男なので、あんな美少女に惚れられる要素はないですよ」
「いや、裏でもあの子、アタシにタカシさんがショタって言ってたからさ。ふーん……?」
え? あいつ裏でも嘘ついてたのか。リスナーの中のユニコーン杞憂民に対する配慮じゃなかったのか。
許せねえ。あとで問い詰めてやろう。
「ショタじゃないのにショタって言ってたのかばにらっち?」
「一体何故ショタと言ったのか……叩けばわかりますかね」
「ははーん。なんか複雑な感情だぞー。ショタねえ」
ショタショタ言われまくられて怪訝な視線を向けられている。
……なんか居心地悪いな……
「あ、僕ちょっとお手洗い行ってくるね、父さん」
「うむ」
僕はいそいそと逃げるようにその場を離れ、トイレの個室へと駆けこんだ。
……ふぅ。
やっぱりトイレは落ち着く。
人間の生み出した素晴らしい文化だ。
などと妄言を頭の中で浮かべつつ、有栖ばにら――裏だから響か。彼女への復讐の言葉を何にしようかと考えていたその時。
「いやー、先輩、仕事速いっすね」
個室の外から声が聞こえた。
「だろ? 今回の仕事めっちゃ楽だって」
「公式配信が一番楽っすね。前の設定使いまわせるから」
「そうそう。なんか違ってもその場で細かい調整とか後でやりゃいいの」
「なるほど。それが仕事を効率的にやるってことなんすね」
「今の時代真面目に仕事してちゃ疲れるぞ後輩よ」
「うっす。手を抜くとこは手を抜く! 勉強になるっす!」
「そうそう。間違えても『あ、ちょっと直しますねー』でいいの。そういう緩さがあるっしょ、ログライブの生配信って」
「確かにそうっすね」
「だから気を張って事前準備とかするのはバカ真面目のやることなんよ。んじゃ、とっととタバコ部屋で休んでいようぜ」
「うっす」
……うわあ。嫌な会話聞いたな。
今回の生配信、真面目にやらない人がいるのか。
何の仕事をしている人なのかは分からなかったけど、でもきちんと自分の仕事をしない人がいるなんて他の人が聞いたらモチベーションが下がるだろう。
手を抜くのと効率的に行うのは違うのに。
効率的に仕事をこなす、って言っていた響と正反対だ。
「……復讐は止めておくか」
きちんとプロ意識高く真摯にやっていた彼女に敬意を表して、裏でショタだと嘘をついていたことは不問にしておこう。
手洗いと共に彼女の罪を洗い流して、僕は父さん達の所へと戻った。
◆
父さん達の所に戻った時にはちょうど前打ち合わせが始まる時だった。
僕も他のメンバーのマネージャー達と一緒に打ち合わせ部屋に入る。因みにマネージャーは玖零さんに一人いて、殴背さんと宇城場さんは同じマネージャーだった。
司会者の咲さんも合わせて、台本の読み合わせも含めた打ち合わせはスムーズに進んだ。ところどころ父さんが進め方について問い合わせしていたのも印象的だった。やはり総務人事として会議とかを主催していた経験が生きているのだろうな。
準備を終えていよいよ本番。
スタジオに移ってイヤホンやマイクなどをスタッフが付ける。ここだけ見ているとまるでテレビ番組のようだ。
違うのはみんなの目の前にそれぞれスマホがあるということくらいだ。スタジオでもこの形なんだな。
「マイクの音声確認しまーす。皆さん声出してください」
……ん? この声聞いたことあるな。
あ……これあれだ。
トイレで聞いた声だ。
ということは音声スタッフだったのか。
ってことは、ここで調整すればいいってことか。
確かにそうかもしれないけど……ちょっといやな感じだな。
この件、言ったところで他の人が嫌な気持ちになるだけか。じゃあ言わないでおこう。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、僕は準備を見守った。
やがて何事もなく音声の調整が終わり、いよいよ本番。
出演者のメンバーの顔にも緊張が走る。
「はい本番いきまーす。3、2、1。スタートです」
スタッフの声と共に配信がスタートする。
僕は二つの様子を見比べるべく、片方だけイヤホンを付けてスマホで配信を見る。
「リスナーの皆さんこんばんは。さて始まりました公式放送。司会を務めるのは咲でーす。よろしくお願いします」
テーブルの左端にいる咲さんが頭を下げる。2Dモデルでは表現されてないけどリアルに頭を下げているんだ、なんてスマホの画面上のモデルと比較しながら面白味を感じていた。
「今回は年末企画『鳴らせ! ログライブの鐘!』についての宣伝配信になりまーす。では早速紹介してくれるメンバー達の自己紹介から行きましょうか。まずは画面の左側からナナさん」
「はーい。みんな元気にしてたっすか? 笑顔でぶっ飛ぶログライブの運動担当の宇城場ナナっす! よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いします。今日も元気ですねー。じゃあ次はメコさん」
「みんな、仕事は終わった? じゃあ殴るね。……ログライブの妖怪担当、殴背メコです。よろしくお願いします」
「まだ仕事中だから殴らないでねー。よろしくお願いします。じゃあ次は美愛さん」
「はーい。やっほー。オタク君たち元気してる? ログライブの優しい担当、玖零美愛でーす。よろしくね咲ちゃん」
「よろしくお願いします。私以外にもよろしくしてねー。じゃあ最後は……今回初めての公式生配信ゲスト! 自己紹介をお願いします」
「うむ。皆の者、待たせたな。私が来た。ログライブの相談役、耶摩シダレだ」
「「「「せんぱーい」」」」
「うむ。私が一番後輩だがな。よろしくお願いします」
父さんが深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします。皆さん自己紹介ありがとうございます。いやー、それにしても先輩は今日が公式の生配信に出演するのは初めてですが、どうですか?」
「うむ。スタジオで配信に参加するのは初めて緊張しています」
「あ、先輩。砕けた口調でいいっすよー」
「いや、しかしここは後輩なので」
「むしろそうじゃないと私たちがやり辛くて殴りたくなるのでお願いします。殴ります」
「そーだよ。シダレちゃんも砕けようよ。いつもの配信みたいにさ」
「うむ。ではそうさせてもらおうか」
ここまでは先ほど打ち合わせで決めた台本通りだ。
この流れがないと父さんはいつまでも敬語でしゃべり続けるからな。
みんなも明らかに年上の父さんに敬語を使われるのは厳しい感じはしていたし。
「改めて……スタジオが大きくてびっくりしている。こんなに大勢の人に囲まれて配信するなんて緊張するしかないだろう」
「またまたー。シダレちゃん、いつもは10000人以上の人に見られてるんだよ?」
「画面上と実際に見るのとはで大きく印象が違ってだな」
「分かるー。メコっちも実際見るともっと妖怪だもんなー」
「そうそう私も妖怪……ってなに? 殴るよ?」
「へへー。実際のメコっちのパンチは蚊が止まっているもんね」
「うむ。私でも避けられそうではあったな」
「ちょっと耶摩さん? 本当に殴るよ?」
「メコちゃんがシダレちゃん殴るのって親父狩りっぽい絵面でまずいって」
笑い声が響き渡る。
いい感じで玖零さんが父さんをいじってくれた。彼女のキャラクター性あってのことだろう。
「そんな感じで緊張している耶摩さんも踏まえたこの5人でお送りしていきまーす」
咲さんが自然に話を元に戻す。この辺は司会者としてのスキルなのだろう。広報なのに凄いなあ。
「じゃあ早速宣伝を……の前に、今日は折角なので、みんなでゲームをやっていこうと思います。題して……『去年ってみんな何してた!? ログライブの鐘クイズ!』」
わーぱちぱち、とみんなが手を叩く。
「はい。去年も年末にやりましたね、ログライブの鐘。ここで起きた珍事件や名台詞などをクイズ形式にして皆さんに出題します。一番正解できなかった人は……罰ゲームでシチュエーションボイスを言ってもらいます!」
「いやだ」
「きゃー」
「むしろ得意だわ」
「誰が得するのだ?」
四者四様の反応だ。
「この中だと去年いなかったのは耶摩さんだけですからね。一番不利なのでは?」
「うむ。確かにそうだな」
「でもシダレちゃん、どうせ予習で全部見てきているんでしょ?」
「その通りだ」
「え? ミアっちなんで分かったの?」
「だってシダレちゃん、アタシとの初コラボの前に、アタシの配信全部見て来たんだよ」
「嘘でしょ……?」
「マジだって」
「はー、すごいなあ」
「じゃあナナがシチュボ確定ね」
「なんでよ!?」
「だって覚えていないでしょ?」
「覚えてるよ! 多分……」
「こりゃあ覚えていないな。ナナのシチュボ楽しみだなー」
「うむ。宇城場さんだったら元気いっぱいのシチュエーションボイスがよいのかな?」
「ウチのシチュボそんなんばっかだから、たまにはしゃらんとした大人ヴォイスがいいなあ」
「もう負けるつもりじゃない」
「こりゃ楽勝ね」
「感謝する、宇城場さん」
「ムキー!」
軽快なやり取り。
父さんも自然に交わっているのが良き。
「では皆さんの心づもりも決まったところで、早速問題に行きましょうか。皆さん準備はいいですか?」
咲さんの問いかけに、全員が返事をする。
「はい。では第1問。こちらをご覧ください」
――次の瞬間だった。
「きゃあああああああああああ!」
女性の悲鳴がスタジオに鳴り響いた。