小話. 髪談義
夏になって気温が上がると、そこらかしこに雑草が生え始める。基本的に一日の大半は畑仕事か薪割りをしているので、俯いて仕事をしていることが多い。
「暑い……」
そうなってくると、腰まで伸びたこの髪が段々と邪魔になってくる。そもそも町に行くのが嫌いだし、村の人ともほとんど交流しないので、気づいたら伸ばしっぱなしにしてしまっている。
もう少し身だしなみを整えた方が良いと思っているけど、日々の食糧を確保するのに必死でそんなゆとりはない。
野菜も魚も毎日とれるものじゃない。野菜はすぐに育たないし、魚も日によってぼうずだ。干物も冬の備蓄を考えて使わなくちゃいけない。確定して毎日採れる食料があればいいけど、そんな都合の良いものなんてない。地道にこつこつとやっていくしかないのだ。
水と一緒に、生ぬるい汗が地面に滴る。ああ、うっとうしい。
いっそばっさり切った方が楽かもしれない。夏は汗をかいて仕方が無いし。
そう思って、畝に置いてあった鎌を取る。量の多い髪を片方に手繰り寄せて、刃先の上に乗せた。
「おはよう、アヤメ。もう来てたのか……」
ぱしゃりと水音がして聞きなれた声が届く。
川の方を向くと、ぱちくりと目を見開いた潮がいた。
潮は、今まさに髪を切ろうとしている私を見て、元々白い肌を更に青白くさせた。
「うわーーーー!!???」
森に大声が響く。
「待て待て待て待て!!お前何やってんだ馬鹿野郎!!早まるんじゃねぇ!」
今まで聞いたこともないきつい口調で必死に止められて、今度は私がぱちくりと固まる番だった。
「え、髪伸びてきたから切ろうかなって思って」
「だからって鎌で切るやつがあるか!危ねぇだろ!」
必死に砂場をよじ登ってこようとしていたので、私は鎌を置いて潮の元へ駆け寄った。
がしりと、指が食い込むほど肩を握られる。今まで見たことの無い形相をしていた。
「あぁもうお前さぁ!ほんとお前さぁ!!危ないし、もったいないだろ、こんな綺麗な髪なのに!」
「潮には負けるよ」
「今は俺の話はしてません!とりあえずお前は自分で髪切るの禁止!!切る時は俺の前で切ること!いいな!?」
頷く私に、潮は脱力してその場で崩れ落ちた。
この後、めちゃくちゃ綺麗に散髪された。
「────っていうことが昔あってね」
「鎌で散髪…考えただけで怪我をしそうで冷や冷やしますね」
夕食の準備の片手間に、一馬くんと昔話をしていた。今日はあさりを蒸したやつと、大根の味噌汁だ。
あさりと調味料を入れた鍋を囲炉裏に吊り下げると、することがなくなってしまう。なんとなく一馬くんの方を見る。味噌汁に入れる大根を切っている。
あの長い前髪でよく手元が見えるなぁ。
私よりも長いのは、山に籠っている私と比べて、一馬くんは人と会う機会が多いからかもしれない。
「あやめさんは昔から刃物の扱いが大胆だったんですね」
「それは…褒めているの?」
「褒めているんでしょうか?」
私に聞かないで。
「気持ちはわかりますよ。夏になると暑いですもんね。僕も一日中、海に潜っていようかとよく考えます」
「ふやけそうだね」
「日焼けもすごいです」
鍋に大根と水を入れた一馬くんは、よく焼けた腕を突き出した。遮るもののない海は太陽がよく照りつける。
「とはいえ、一度は無理してでも切ろうかと考えたこともあったんですよ。父に焦らなくてもいいと言われてやめましたけど」
一馬くんはそこまで言って怪訝そうな顔を見せた。
「潮さんほどではないですが、その時の父もひどく焦っていましたね」
「なんで?」
「さあ。無理に髪を切った僕が、体調を崩すのが不安だったのかもしれませんね」
あさりを入れた鍋の蓋が、かたかたと揺れだした。火が通ったら今度は味噌汁の番だ。
あさりより重い鍋を吊り下げていると、声をかけられた。
「あ、沸騰したら教えてもらえますか?わかめを入れたいので」
「わかめなんてあったっけ?」
「取ってきました。というか、取れました」
まな板の上にはぬめりのある立派なわかめ。
私は頷いた。また、一馬くんの頭に引っ付いてきたに違いない。
「昨日も乗せて帰ってこなかった?」
「そうですね。まだくらげより良いです。くらげは痛いし、食べられないので」
くらげも持って帰ってきたことがあるのか。こうなったら、一体どこまで彼の頭に乗っかるのか興味が湧いてくる。
毎度何かしらのお土産を乗せて帰ってくる一馬くんは、海に愛されているのかもしれない。
ぬめりのあるわかめに、慎重に刃を入れる一馬くん。
食べやすい大きさに切ったわかめを投入し、味噌を溶いていく。小皿に少し汁を入れて、同じものを一馬くんに渡した。
「美味しいですね」
「美味しいねえ」
汗を流した身体に塩見が染みる。なめらかな口当たりのわかめが、舌の上を滑り落ちていく。
しみじみと深く息をつく一馬くんを横目に、私は残りの汁を啜りながら思った。
おかずが一品減るのは、確かに惜しいと。
本人には絶対言わないけど。