2 身を寄せた獣
◯月✕日
公爵様は、どうやら魔物討伐に忙しいようす。誤魔化されるのは嫌い。
「ジャックドアー・クロウ様」
与えられた自室で、彼の名前を呼ぶ。殿下のときとは違い、すぐに夫婦の契を結んだ私達。自分の旦那様になる方の名前をどう呼ぼうかと少し考える。
クロウ公爵家は黒い翼を持つ鳥の獣人。結婚式のとき、初めてクロウ公爵様にお会いした。
真っ黒な髪に、切れ長な黒曜石色の瞳。背中からは大きな翼が生えており、彼の背丈はそのへんの男よりずいぶんと大きかった。筋肉質な体格なのは、彼自身が魔物討伐に自ら出向いているという証だが。
「いつになったら帰って来るのよ」
「奥様、旦那様は魔物討伐のために遠くへ行ってございます」
「そんなこと、もう何度も聞いたわ、ギラ」
少し腹立たしいが、彼女に八つ当たりしても現状は変わらない。ギラという侍女は、焦げ茶色の翼を持つ獣人である。彼ら獣人は人の姿に近いが、獣の部位を一部つけている。立派な翼を持つクロウ公爵家の使用人たちは、見ていて少し羨ましい。
その翼で、公爵領の大空を飛ぶのだから。
「公爵家と言っても名ばかりね。外は森に囲われてるもの」
「鳥の獣人にとっては格好の場なのですよ。近くには谷もあり、領地の民も風を利用して飛行訓練場としてますから」
山のふもとには領民がいる。結婚式をあげたとき、そこの教会で静かに式をあげたのを思い出した。ここの地域は鳥の獣人が特別集まっている。
「にしても、どうしたってクロウ公爵様に会えないのよ。私、早く彼に言わなきゃいけないことがあるのだけど」
急き立てるようにギラに申せば、彼女は首を振った。
クロウ公爵様に、私の力のことを言って、早く奉公させてもらいたかった。聖女になるためには、困っている傷病人を治さなければならない使命があるのだから。
「旦那様は」
「もう良いわ!!そんなことで私を騙せるとでも思っているのね!?」
こちとら人間の国からやってきたばかりだが、彼らが何かを隠しているというのはよく分かる。
魔物討伐、魔物討伐、魔物討伐!
聞いても聞いても、機械的に答えられる。それも朝昼晩、通して。ギラの感情の抜けたような声音には、私に嘘をつくことすら面倒ごとのようになってきている。
「クロウ公爵はどこよ!」
「お、奥様!?」
「だめです!こちらにはまだ!」
ダムの壁のように、私のドカドカ行く方角を止める使用人たち。正直、私はまどろっこしいのが嫌いである。
「公爵様に聞きたいことがあるのよ。そこをどきなさい!」
「きゃ!」
彼女たちを押しのけて行く。最近知ったのは、鳥獣人にとっていちばん大切なのは背後であること。
肩甲骨からつながるように生えた翼。足元につくぐらい伸びた風切り羽。
大空を飛ぶというのは彼らの誇り。だからこそ、翼は命と同じぐらいに大切なもの。
使用人たちを押しのけるのに最深の注意をしながら、人垣をかき分ける。肩を押された彼女たちは、自分の羽を守るのに必死になる。悪いことをしているのは承知の上だが、公爵様に会えない限りは、引き下がるわけにはいかない。
「お、お待ちを!奥様、これ以上は」
「執事長、あなたまで私の邪魔をすると言うの?」
真っ白な髪を後ろになでつけた執事長。羽は灰色をしているが、よく手入れされているのがわかるほど毛艶がいい。
「旦那様はその……お休み中で」
「あら、魔物討伐に行っていたのではないのかしら」
「嘘をついていたことには謝ります。ですがその……」
なにか後ろめたいようなことがある。執事長のメガネの奥に隠された不安そうな目は、足をさまよっている。
「旦那様はこの前の魔物討伐で」
「何?」
「怪我をされたのです。兵士を守るために…翼を………翼を折って」
その瞬間、私は体が動いていた。重厚な扉を開け、部屋に入る。
「奥様!!」
使用人たちの声が後ろから断末魔のように聞こえてきたが、無視だ。私にはやるべきことがあるのだから。部屋の奥に進めば、寝台でうずくまる黒い塊が見える。
「誰だっ」
警戒するような声で、その黒い塊は、ギラギラとした鋭い視線を隙間からのぞかせる。翼で己を包み、彼は怯えていた。結婚式で会って間もないと言うのに。こちらの顔を覚えてもいないことを腹だたしく思う。
「私よ。ルナ・パナケイア」
「去れ。俺はお前をここに許した覚えはない」
厳しくはねのけられるのは慣れている。父もそうだった。愛娘であるビアンカの病を治したくて、庶子の子である私に託したとき。物事を頼むときも、彼らはいつも冷たかったこと。
「傷を見せて」
「触るな!」
寝台に近づき、彼の翼に手を伸ばした。その瞬間、強く手は弾かれる。
力強い大きな黒い翼。まだ元気はあるのだろうけど、傷が変に治る前に治さなければならない。
「私が治すわ」
「お前のような人間に、俺の大事な翼を治せるわけがない。去れ!」
怒りに満ちた彼の声は、低く闇夜のようだった。彼の声は震えている、翼までもが。
こんなに怯えられるのは、母と物乞いを救う時にも見覚えがあった。こういうとき、彼女はどういうことをしていたか。
「傷は深いと、すぐには治りにくいわ。痛みを我慢なんてすべきじゃないのよ。痛いのは誰だって嫌でしょう?それを少し見るだけよ。私はあなたに危害を与えたりしないわ。それだけは信じて」
翼から覗く、彼の瞳を見つめた。
傷を負った生き物たちは、必ずそれを隠そうとする。
人間であれ、獣人であれ。傷は生き物にとって生死を分けること。良くしようと下手に傷口を悪化させられるのは、誰しも嫌なこと。
『困っている人を救いなさい。種族も身分も、罪人だろうと構わずに。あなたがその力を持つ限り』
聖女なら、母様なら必ずそうする。いくら自分が信頼されていなかろうと。翼で叩かれた手が、打撲で腫れ上がろうとも。
「私を信じて」




