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病院の入院患者はほとんど魔物討伐の隊員が占めている。鳥人たちは怪我こそすれどすぐに治るし、病気に対する免疫も相当に強いそうだ。ただし、翼だけは大きな弱点で、一度、骨を折ったり重症になるともう二度と治らない。
「お姉ちゃん!」
両脇に観葉植物が置かれた、扉もない病院の出入り口。そこにあの時の少女が、来ていた。
茶髪に、丸い黒い瞳。親に結ってもらったのか、彼女のふわふわした髪は、二つに結わえてある。
ワンピースを着て、背中からは、まだら模様の小さな翼。
「スズちゃん」
「へへ、お見舞いに来たの。あの……手紙を届けたくて」
「あなた、怪我はないかしら。別れたときから心配していたのよ」
ヴァロンに彼女をあずけてからというもの、彼女の行方は知らなかったから、心配になった。あれからつきっきりでジャックの看病をしていたし、私はそれどころではなかったのだ。だけど、小さな子供の翼は成長期なので折れたら大変なことになるだろう。
確認したが、彼女に怪我がなくてよかった。
「あのね…その…お手紙あげる!」
「ありがとう。ふふふ、お手紙なんて初めてよ」
今まで助けてもらったお礼は、酷いものばかりだった。でも彼女はあどけなくて、私の力を見ていないせいか、まだ優しく接してくれる。
私の名前を教えてあげて、それからジャックの名も教えた。しかし民ならば当然のこと、ジャックは顔見知りだった。ともかく、スズは私の名を何度も呼んで覚えようとした。パタパタと小さい羽をバタつかせながら。
「スズちゃんが可愛すぎて……私、鼻血が出そうだわ」
「スズ、いっぱいスパロお兄ちゃんがね、飛ぶのに失敗して、鼻血出すとこ見たことあるよ!」
鳥人は幼少の頃から飛べるように、谷の間で大人と飛行訓練をするらしい。それはギラから教えてもらっている。怪我人が多そうな子どもたちの訓練は心配だ。
ここの病院の怪我人は、今のところ治療が済んでいる。
「よければ、皆が頑張ってるところに行きたいのだけれど」
「いこう!スパロお兄ちゃんのとこ、いこう!」
彼女は小走りに、私の手を引いていく。
町の石畳をステップするようにスズは歩くが、周りの視線はやや冷たかった。私を見ては、噂話をする。
「白い悪魔よ」
「あいつが来たから魔物が増えたんだ」
「人間は災いの火種だ。これだから、嫌いなんだよ」
口々に言うあちら側は闇深い。でも、スズは悪魔とも呼ばれる右手を純粋な思いでつかんでいる。後で周りの人に言われないだろうか。
「こっち!」
「スズ、手紙は届けたのか?」
「うん!」
少女が連れて行く先は、町の広場にある大樹の根本だ。町に五本ある大樹の一つ。東西南北の全方位と、中央に根ざした大木は、樹齢を何千年とゆうに越えているのだろう。雲すら貫くような大木の上の方は大人が飛び、下の方を子どもたちが使っていた。
スズのお兄さんであるスパロの年頃の子どもたちが、少し上から滑空遊びをしていた。
「確かあんたは」
「ルナお姉ちゃんだよ!!」
「この前は妹を助けていただき、ありがとうございました」
「いいのよ」
なんてしっかりしているお兄さんだろうか。年は私の半分ともいかないだろうに、スパロはスズの頭も手で下げさせた。
「お礼に、よかったら家にでも」
「スパロ!!その悪魔を近づけさせるな!」
彼らと同じ、焦げ茶のまだら模様の翼を持った男が慌てた様子で駆けつけた。彼は近くにいたスズとスパロを引き離すと、私に向かってキリリと睨みを効かせる。
「父さん!この人は、父さんと母さんが留守の間に助けてくれた人で」
「わかってる」
「じゃあなんで避けるんだよ!怪しい人でもないだろ」
スパロの激しい問いに、父親は気まずそうに目をそらした。ただ私に対しての敵意はあるらしく、子どもたちを自分に引き寄せて警戒する。
「とにかくダメなものはダメだ。相手は花の命すら枯らす手を持っているんだ。スズも、この人とは手を繋いではいけないよ」
「な、なんでぇ?お姉ちゃん、スズを守ってくれたの。守ってくれた人の手を、なんでつなぎっ子しちゃいけないの?」
「黙りなさい!」
広場には、いつの間にか人だかりができていた。輪の中心で人間と鳥人の家族が対立していると。
私に味方はいなかった。
周りは同族を守ろうと、部外者を排除しようと必死である。
婚約破棄の時を思い出す。殿下が突如言い出した婚約破棄は、誰も疑うことなくすんなりと受け入れた。そこには反論してくれる人もいない。
そして母も。
怪我をした人を助け、悪魔と呼ばれて石を投げられても。彼女はただ耐えろと言った。
そうだ、これは耐えなきゃいけない試練なのだと言い聞かせる。
「スパイ!ここに人間のスパイがいる!」
「私の娘に指一本触れるな!」
「早く追い出さないと!」
攻撃的な言葉では決してない。
ドブネズミだとか、薄汚いとか言われるよりよっぽどマシだ。スラムにいたときに、かけられた言葉はもっと酷かった。
聖女になるなら。このぐらい、人の間違えだって受け入れられるはずだ。
だから、堪えよう。
「そこまでにしろ」
野次馬が増えだしたのを止めたのは、大きな背中だった。
「公爵様」
「ガラヴァン、お前はルナに助けられたんだ。翼を治した時の記憶がないのか?だったら思い出せ。ルナはお前たちの決して癒えないはずの怪我を治してくれたんだ」
「……」
「皆も見たはずだ。花を枯らすところだけではなく、彼女は俺達の傷を、誇りを治してくれた。思い出せ!」
怒りに任せて叫ぶ彼に、広場ののほほんとした雰囲気はくだかれた。冷たくなった空気に、木の上で遊んでいた子どもたちが押し黙る。
「ジャック、もういいわ」
「君は、そうやっていつも笑って誤魔化しているのか」
「仕方ないもの」
聖女になるためには、人々に向かって笑顔を見せてあげなければ。泣き顔でもなく、怒りに満ちた顔でもなく。
今にも目元が涙で溢れかえりそうなのを、唇を噛んで我慢して。
「皆様、お騒がせしました。どうかお許しを」
頭を下げて、人垣を通り抜ける。
その時、誰かが私に足を引っ掛けた。
「二度と広場に来るな」
「子どもたちに何かしたらただじゃおかねぇ」
じんとする膝と、胸の奥が擦り切れる痛み。涙がこぼれてしまう前に、逃げたくなった。
押し寄せる暗い視線。私を見ては、怪しみ、疑い、恐れる目。
連なる噂話。嘲笑、侮蔑、さげすみ。
「どうかされたのですか、ルナさん」
「いいえっ…なんでもないわ」
病院に駆け込んだ私は、ヴァロンを前に涙を拭った。ここは私の聖域。ここでなら、聖女になりきれるから。
長い黒髪を結ったヴァロンは、私にそっとホットミルクをくれた。
「あなたは私達の救世主ですよ。魔物が激化する時代は波のように変動して来るのですが。あなたが今この時代に、ここにいるというのは運命なのでしょうね」
彼は頭をぽんぽんと叩いてくれた。その瞬間に、診察室では女のすすり泣く声が響いた。




