不自由な世界からのブーイング
★「お宝の意志」=「あらゆる体験者が自分の意志だけで自分自身のあらゆる体験を自由に選べて楽しみ続けれる世界、状態を目指す意志」
をプレゼントしたので、これはきっと大いに喜んでもらえると超時空城の面々たちは思っていた。
だが……
かの不自由な世界の体験者たちの多くからブーイングがあった。
なぜだ……と超時空城の面々は思う。
調べの結果、どうやら自分たちが大事だと思っていたものが体験の牢獄だと理解できなかったのだとわかった。
自分たちの家族や社会や宗教やその他いろいろ……は牢獄なんかじゃないと感じているらしい。
しかし、超時空城の面々は理解していた。
そうしたものは、あらゆる体験者が自分の意志だけで自分自身のあらゆる体験を自由に選び楽しみ続けれる世界、状態になれば、すべてどうでもいいものになってしまうということを……
なぜなら、あらゆる体験者が自分の望む体験を自分の意志だけで自由に選べるようになれば、そうしたものはすべて必要なくなるからだ。
そのような完全な自由な状態では、社会も、家族も、宗教も、相互依存も、政治も、経済も、通貨も、財産も、国も、宇宙も、
会社も……そうしたものはすべて必要なくなるからだ。
不自由な世界の体験者たちは、そのことに気づけていないだけなのだ。
あらゆる体験を自由に選べる状態になるという状態がそもそも理解できていないだけだった。
しかし、そんな状態では、いつまでたってもあらゆる体験者たちが自分の意志だけで自分の体験を自由に選び楽しみ続けれる世界、状態は実現してゆかない。
なぜなら、そうした状態を目指せていないからだ。
自分の意志ではなく自分以外の意志によって自分の体験を操作される状態をそのままでいい、いや、それこそが大事……だと思ってしまっていたからだ。
その程度の意志しか持てないようでは、誰もが本当に自由な世界、自分の意志だけで自分のあらゆる体験を自由に選び楽しめる世界……は実現できない。
誰かに依存したい、誰かを依存させたい……もうその時点で目指すべき方向が違う方向になってしまっているからだ。
誰かに望む体験を与えてもらいたい……誰かが望む体験を与える者になりたい……どちらも体験の牢獄を作り出してしまう。
そうした道は一時的にはうまくゆくときもあるだろうが、必ずどこかで不幸を生み出すことになる。
体験者は、体験によって変化するからだ。
また状況も、世界も、変化してゆくからだ。
飼い主が亡くなれば、そのペットたちは露頭に迷う。ペットたちに依存してしまうと飼い主もペット次第で不幸になる。
支配被支配の関係でも同じことが言える。
教祖と信者の関係でも同じことが言える。
神と人間、牧場主と家畜たちの関係でも似たような状態になる。
会社と社員の関係性でも同じ……
それが体験の牢獄に囚われている状態であると理解できないのだ。
それは本当の自由ではないということが理解できない。
そしてそれでいいとしてしまえば、苦しみや悲しみや喪失感や不自由さに、どこかで遭遇することになる。
本当の自由、完全な自由には、手が届かない。
目指していないのだから、手を伸ばさないのだから、手が届く道理がない。
かくしてそうした不自由さの中で、そうした不自由な世界では、どんどんと苦しみ、悲しみ、絶望、怒り、怨念……が蓄積し続けてしまう。
あの人は大富豪になれていいな~うらやましいな~、あの人みたいに世界支配者になりたいな~、あの人みたいにイケメンになりたいな~、あの人みたいに試合で優勝したいな~ ……………
そうは思えても、
「あらゆる体験者が自分の意志だけで自分自身のあらゆる体験を自由に選び楽しみまくれる状態にしたいな~」
とは思えない……
その願い……の段階で、意志する段階の前段階で、すでに目標到達不可能になっている。
それでは超時空赤ちゃんは、体験自由自在の楽しみまくりの超時空新世界は復活できない……
超時空城は、不自由な世界群に向けて、そんな感じのアドバイスをしていた。




