さよなら、事実と名探偵
ミステリに愛を込めて
「私はいま、事件の現場に来ています」
彼女は完全無欠の名探偵である。その彼女は事件の真相を淀みなく語った。それは事件が発覚してからたった数分後のことであった。
古今東西、名探偵と呼ばれる人間は数多存在した。それはエルキュール・ポアロであり、シャーロック・ホームズであり、金田一耕助であり。彼らは事件が起こるとその地に向かい、類稀なる推理力を以てして謎を説き伏せてきた。彼らは歩いた。右足で、左足で。彼らは人のもとを訪ね、その優れたコミュニケーション力を駆使し、推理をした。推理とは所詮つまらないパズルゲームの一種である。天才的な探偵はピースが神によって与えられるまで、よだれを垂らすがごとく空を見ていた。この世界で人が殺される理由など一つしかない。愛憎?狂気?それは理解への崩れかけた橋に過ぎない。なぜ何人も人が殺されるのか。なぜ犯人はミスをしないといけないのか。なぜ完全な密室は存在しないのか。
その解は「そうでもしないと馬鹿な名探偵たちには謎が解けないから」。
彼女は完全無欠の名探偵である。彼女には全くもって推理力がなかった。彼女はコミュニケーション能力に幾許かの不安があり、多数の人から情報を収集することも不可能。そんな彼女を何が名探偵たらしめたのか。
ある日、そこにはダイアモンドのような密室があった。それはあまりに気高く、美しく、そして孤独であった。その密室の中で人が天井から吊るされている。侵入不可。脱出不可。世界の名探偵たちは推理どころか現場検証を行うことすら叶わなかった。警察はハンマーを右手に、ドリルを左手にその密室に挑んだ。時間発展に伴ってそれらは。これは完全な密室。そう地の文で宣言された。名探偵ですら完全犯罪の前では一般人と同等。人々はそのダイアモンドを、ミステリという欠陥だらけのパズルを愛好する馬鹿たちが訪れる、町の観光資源として扱うことしかできなかった。中で人が吊るされるダイアモンドのような密室は蜜のような甘い香りがした。
雲が流れた。鳥は星を巡った。僕たちはただその眩しいダイアモンドを眺めるしかなかった。戦争があった。革命があった。人々は獣となり踊った。唄った。そして死んでいった。
砂時計を傾ける。何度も。何度も。人は死んでいった。
一瞬目を閉じる。その間に人は死んだ。世の中の名探偵は死に対して根拠を求めるだけの獣でしかなかった。僕らも。死の前に彼らはあまりにも無力であった。人が死んだ理由を経済だ、人種だと叫ぶ。僕は貧乏だが人を殺さない。外国人も憎くない。そいつらの推理とやらは少なくとも一般的な関数として欠陥がある。名探偵たちは人々の死はもちろん、自分たちの死を推理することはできなかった。
目を開くとそこには彼女がいた。僕はどこから来たのと問いかける。スカートが跳ねる。
目を閉じる。彼女は目の前から忽然と姿を。僕はどこへ向かうのと。
悲鳴にも聞こえる歓声が上がった。
その方向に目線を向ける。ダイアモンドは太陽の光をそのまま反射し目を突き刺す。白い世界。静かな。透明な?香りは?味は?ペンキを用意すれば世界に色が。
ダイアモンドの中には彼女がひとり立っていた。
その姿はあまりに気高く、美しく、そして孤独であった。一般市民どもに向けて軽くお辞儀。その直後彼女は淡々と語りだした。
「私はいま、事件の現場に来ています。そして私はこの場所で起きたことをすべて知っています。それを事実として述べます。私の発言は発言ではありません。事実なのです。あなた方の前に私が立っている。なぜ?あなた方が知りたいのはそんなくだらないことではないでしょう?重要なのは私がここに立っているという事実と、これから話す事実は等価であるということ。それだけです」
その声はなぜか僕たちにも聞こえた。音源などない。それはオーロラのように空から降ってくる。独特なイントネーションに子供のような音。理性的なペース。音は赤から青。黄色。緑。一般市民は彼女の言葉に溺れた。人々は推理に飽き、事実を知りたがった。
その事件は今ではダイアモンド事件と称されている。彼女の事実という名の推理はまるでコップの中の水のように穴がなかった。人種、性別、年齢に限らず僕たちは彼女の発言を受け入れた。目の前にある林檎。どうしてあるか、どうしてあると思うのかというのは数千年間我々の悩みのひとつであったが、そこに林檎があるという現実を受け入れることだけは、駄菓子屋でお菓子を買うくらい簡単だった。
世界はとてもシンプルになった。謎という概念が引っ繰り返ってしまったのだ。これまで謎というのは現実として目の前にあるものの、その理由が推理できないものとされてきた。名探偵とはその道を作るプロだったと言えよう。探偵は現実を文章だと思っていた。現実とは前後があり、論理があるものだと。どこかで。その誤解こそが人をダイアモンドの外に追い出したのだ。
現実とは動く絵画である。そこに前後などない。鳥が飛ぶと同時に人は話すし、星は廻る。それと同時に人は話すし、星は廻り、鳥が飛ぶ。現実とはそういうものであった。過去の人々は時系列とは事実の前後だと考えていた。しかし果たしてそうなのだろうか。現在の行動の根拠が未来にあることなんて珍しいことではない。その人が憎いから殺す。その人がいないと幸せだから殺す。そこに差などないだろう。そこには前後や論理などない。あるのは様々な色で適当に塗られたくだらない絵画。それが気持ち悪くぬるぬると動いてるに過ぎない。
名探偵は皆死んだ。彼らはあまりに遅すぎたのだ。人が死ぬとまずは警察が走った。大体の事件は。それ以外の事件において名探偵が呼ばれた。彼らは虫眼鏡片手に妄言を語った。そのうちもう一人死ぬ。また一人。4人くらい死ぬとやっと一部屋に人を集める。そこから長々と。欠伸。指をさす。
「よって犯人はA、あなただ」
彼女の声が聞こえてくる。ペコリとお辞儀。事実を語り。犯人はAではなかった。
「ど、どうしてBが犯人?説明してみろ!」
「何をおっしゃってるんですか。じゃあどうしてあなたはそこに立っているの?もう1ミリ右でもよかったのでは?」
人々は名探偵を嗤った。彼らは事務所をたたむ。文字通り死んだ奴も少なくなかった。
またとある日、事件が起こった。しかし謎はなかった。いや、謎どころか何もなかった。いつもの広場でいつも通りの日常。老夫婦が歩き、子供は走り、ピエロ。暖かい日だった。噴水の水。植木の土。そこには何もなかった。ただ人が死んでいた。文字的に。そこに遺体があったわけではない。人が。運ばれたわけでもない。死んでいる。誰かが書いた。
「死んでいるぞ!」
それに呼応し、1人がそう叫ぶ。
「死んでいる!」
また一人。そしてまた一人。その声は瞬く間に増えていき、最後は合唱となった。
「死んでいる!死んでいる!」
僕は思った。死んでいると。誰かが。僕かもしれない。足元が抜けるような感覚。誰かが死んでいる。それは事実?ダイアモンド事件で事実は現象を超えた。これまでは事実に現象が追い付いていただけ。人が死んだという事実があるなら、人が死んでいるという現象。それが追い付かない。死んでいるのだ。人が。
彼女はいつの間にかそこに立っていた。その姿はやはり気高く、美しく、そして孤独であった。お辞儀。目を瞑る。それが、彼女が事実にアクセスする方法なのだ。そうすることで彼女の身体は事件が起こった場所に空間的に移動、そののちに事実を話し出す。一般市民たちは声を上げた。
僕は広場の隅でミステリ片手にコーヒーを飲んでいた。僕たちは名探偵を殺してしまったのだ。ポワロも、ホームズも、金田一も。彼女の姿が消える。これもいつも通り。シナリオ。彼女は語りだす。私はいま、事件の現場に来ていますと。
「雨?」
僕は顔を上げる。青空。水色。白。透明。雨など降りそうもない快晴。気のせいか。コーヒーを口に含む。彼女の背中がいつもより小さく見えたなとふと思った。雨。
その日以降、彼女が僕たちの目の前に姿を現すことはなかった。一般市民はその事実に恐れ慄いた。警察は彼女の出現によって規模を縮小させていた。当然である。謎はなくなったのだから。世間は事実をどのように処理するかという司法が整えられた。可能性というものは既にそこにない。いくつかの国は冤罪の可能性がなくなったことから死刑制度を復活させていた。
彼女は忽然と姿を消した。皆が事実を知ることができない事実に震える中、僕はふと思った。
「なぜ彼女は消えてしまったのだろう」
世間から推理は消えていた。誰も僕と同じ施行をしない。ミステリ片手にコーヒー。僕は問う。なぜ。何故。彼女はどこに?僕はだれ?彼女はだれ?本当は知っている。僕は。理由を。なぜ。知っている理由?そんなものはない。ただ知っていた。
誰かが死んだと書いたから。そう誰かが。
僕は丘を歩く。さっきまでの広場とは違う星にいた。なぜそんなことができるんだろう。書いてあるから。僕は二酸化炭素で呼吸した。なぜ。書いてあるから。
書いてあるということが事実を超えてしまった。現象としても事実としても人は死んでいなかった。ただ死んでいると書かれた。だから人が死んだのだ。このミステリの解。それは作家が「人が死んだ」と書いたから。丘の上で飲むコーヒーは美味しい。そのように書いてくれる作家に僕は感謝しなければならない。僕は死んだ。
彼女は存在しない事実に向かって飛んだ。無に向かって。果てしない旅になるだろう。今回の現場はどこにあるのだろうか。それは数字を零で割ってしまうくらい寂しい質問だった。
ありがとうございました。ちょっと長くなってしまいました。楽しかったです。