62話 対処してみた(三)
十一月六日、金曜日。
午後十一時半。二人は、中津江家に設置し続けている監視カメラの映像を観ていた。
真っ暗なリビング、そして寝室の映像がずっと映し出されている。
ずっと観ているが、父親の大悟が帰宅した様子は見られない。
ここ一か月、二人は大悟の行動を監視していた。
すると、ほぼ毎週、金曜日には帰宅しないことがわかった。
愛人、それか別の女と遊んでいるのであろう。帰宅するのは、いつも土曜日の午前十一時頃だった。
午前二時まで待機すると、夫は近くの月極駐車場へと向かう。駐車していた車に乗り込むと、中津江家へ向かった。
家を出て約四十分後、「これから中津江家を出る」という、夫からの電話を受けた恵子は、大荷物を手に空き家を出た。
久しぶりの外の空気の中、自宅へと歩く。
空き家の契約は、十一月七日、土曜日――今日までとしていた。
当日は所用があるとして、家の鍵はリビングのテーブルの上に置いてきた。
手続きは郵送でのやり取りで既に済ませている。
いじめ現場の撮影のために設置したカメラは、当日のうちに既に撤去していた。
動画上、『富田家が仮住まいする』としていたので、生活していた痕跡等は気にしなくてもいい。
カメラとパソコン、猫の被り物、そして最低限持ち込んでいた衣服を入れた袋だけ、持ち出した。
六分後、自宅に到着する。
防犯灯が作動しないよう、こちらは遠隔操作済みであった。
玄関には既に起爆装置が設置してあるため、裏口から出入りする。
当然ながら裏口の戸も厳重であり、三か所の鍵を開ける必要があった。
中に入ると、戸を開けたまま、暗闇の中で夫を待つ。
電気自動車の静かな停止音を聞くと、車に向かう。
トランクに入った大きなキャリーケースを、夫と一緒に家の中へと運んだ。
リビングで、中身の少年と携帯電話を取り出すとソファに置き、夫は車を戻すためにキャリーケースを持って外に出た。
恵子は、少年の携帯電話の電源を入れる。
カメラを起動し、ソファの上に寝かせた少年の写真を撮影した。
その傍らには、猫の被り物が写り込んでいる。
メッセージアプリを起動すると、いじめっこ達のグループトークを探し、他の二名に先ほどの写真を送信した。
続け様に、『次はお前らだ』『安心しろ、殺しはしない』とメッセージを送ると、電源をオフにして自分のポケットに入れた。
約十分後、夫が帰宅した。
ソファに寝る少年を一瞬だけ確認すると、二人で二階の真ん中の部屋に入った。
「うまくいったね」
「あぁ。全然起きそうな気配無かったぞ。こんなに薬が効くなんてな」
中津江将太を眠らせる、あるいは気を失わせる。
その手段として、最初は、クロロホルムを染み込ませた布で口を覆うとか、催眠ガスを充満させるとか、よくアニメや小説で見聞きするものを考えた。
だが、いずれも現実的ではない手法であり、そもそも入手ができそうになかったのだった。
そこで、処方されるもののうち、比較的強力な睡眠薬を使うことにした。
これも監視カメラで知ったことだが、中津江将太が父親のお酒を隠れて飲んでいることに気が付いた。
そこで、昨日、金曜日の日中。家に誰もいないことを確認すると、仁井田から返却された鍵を使い、夫が普通に玄関から侵入。
こっそり飲んでいるウイスキーを、薬を仕込んだものへとすり替えた。
念のため、冷蔵庫に入っていたペットボトル水や、カップ麺をつくるためにお湯をわかすであろうケトル等にも薬を仕込んでおいた。
「結局、薬入れたやつ、全部飲んでくれたな」
「そう、ね。一応処方されたやつだし、後遺症は無いと思うけど……さすがに、あんなに摂取して大丈夫かな。なんて、興味ないけど」
午前四時。
二人は息子の部屋で、最後の交わりを終えた。
計画どおり、夫は先に地獄に行くことにする。
夫が睡眠薬を水で流し飲んだのは、三十分前のことだった。
どうやら、効果が現れてきたらしい。
二人は、最後に口づけを交わした。
最後と言っても、死んだ夫に恵子が一方的にすることはできるのだが。
「あなた、何か言い残すことはある?」
「やりたいことは全部やったし、言いたいことは全部言ったよ」
「じゃあ、わたしから。ねぇ――言ってもいい?」
「いや、ここで聞かなかったら、もう二度と聞けないんだけど」
「ふふっ。あ、今はわたし――壊れてない方だからね。
えっと、たぶん――ていうかほぼ確実なんだけど。今、五か月目なの。
――地獄で出産って、大変かな?
ねぇ、名前考えといてね。性別はわからないから、どっちともとれるやつがいいかな」
夫は、Kが初めて現れたときの『あの表情』をした。
「その表情も三回目、か。ごめんね、わたし、ぶっ壊れちゃって」
「……地獄で出産、か。ほんと、恵子は面白いな。その明るさに、何回助けられたかわからない。恵介の性格、お前に似れば良かったのにな。
あぁ、最後に言っておくけど。
恵子、ぶっ壊れたって言ってるけど、本質は前とそんなに変わってないよ。
あと、俺の『あの表情』ってやつ? 恵子に見せるのは、三回目じゃないんだけど――まぁ、これはどうでもいいか」
夫よ、最後に気になることを言うんじゃない!
え? それって、もともとのわたしがKで、今のわたしが新たな人格ってこと?
何それ? あーっ、でも、今こんな雰囲気で聞けないわ!
「じゃあ、そろそろ、お別れかな。恵子、そして恵介――愛してる。今まで、ありがとう」
「うん、わたしも。ずっと、ずっと、愛してる。じゃあ、おやすみ――」
夫は安らかに、眠りに就いた。
だが、このままでは数時間後、普通に起床してしまう。
また『おはよう』からの繰り返しだ。
恵子としてはもちろんその方が良いのだが、もちろん、そうはいかないのだ。
クローゼットから縄を取り出した。
息子が首を吊るときに使ったものだ。
夫を天井から吊り下げるのは難しい。
恵子は、夫の首に巻き付けた縄をベッドボードにかけた。
滑車の原理で、ベッドの上でうつ伏せで寝ている夫の首を持ち上げると、マットレスから五センチほど浮かせた。
安らかな顔が苦悶の表情へと変わり、呼吸が失われた夫の口からは唸り声が漏れた。
数分後、夫は動かないモノへと変わった。
エアコンで冷えきった部屋に、恵子一人だけが残った。
でも、夫も息子も、ただ動かないだけで、ここにいる。
なんならKだっている。淋しくはない。
それに、もう少しでわたしも後を追うのだから。
そう、もう少しで――
……だよね? 頼みますよ、警察の方々?




