5. 化け物になってしまった......。
ともかく、俺の部屋と台所には仕切りがあるので、背後に女神様の圧迫感を受けながらも、一人になることができた。
俺は迷ってから、戸棚から、包み紙に包んだなけなしの干し肉と乾パンを棚から取り出した。
貧乏人の俺にできる最大のおもてなしは、干し肉を乾パンで挟んだサンドウィッチくらいのもの。参ったな、本当にこんなものでいいのか?
とりあえず、そのままかぶりついてしまってるので、その部分は切って捨てないといけない。
しかし、包丁なんて......リアが、まだ家にきてた頃、彼女が使って以来だから......やっぱり。
案の定、奥にある包丁は錆び付いていた。そこに、俺とリアが疎遠になった年数を感じ、切ない気持ちに胸が疼いた。
俺は頭を振る。そして研ぎ石を取り出し、左手で包丁を握り、右手で研ぎ石を包丁にあて、軽く力を入れた。
キィィィィィン............ッッッッ!!!!!
甲高い金属音が鳴り響いて、俺は思わず顔を顰めた。そして、恐る恐る足元を見ると、俺の足元に、包丁の刃の部分だけが転がっていた。
手を見ると、砥石も左手に握った柄の方も、粉々になっている。
......そうか。
なにせ今の俺の”力”のステータスは、ドラゴンや魔獣、なんなら、勇者ですら倒せなかった魔族よりも、高いんだ。
力を抜いた状態ならまだしも、いつもの感覚で力を入れてしまったら、こうなって当然だ。
......現実。
血の気が、さぁっと引いていく。
現実なんだ、あの化け物じみたステータスは。
つまり、俺は一夜にして......。
この世界で、最強の存在になったんだ。
寝起きの頭が一気に冷める。ぶるりと大きく震え、震えることすら危ないんじゃないかと、必死になって凍りついた。
女神様から経験値の話を聞いたときは、そりゃ、リアのレベルを超えて、彼女に見直されたらいいな、くらいのことを考えてた。
でも、レベル2198って、もうそんな規模間の話じゃない。俺がその気になれば、この国を滅ぼすことだって、可能なレベルだ。
俺、これから、一体どうすればいいんだ......?
「...............っ」
このままこの感情に向き合うと、壊れてしまう。
そう思った俺は、地面に転がる刃を、慎重に慎重に拾い上げた。
そして、新しい砥石で、撫でるように包丁を研いだ。さらに慎重に干し肉をスライスすると、乾パン二枚で挟む。
おかげで、干し肉のサンドウィッチは不格好なものになってしまった......でも、あの力のステータスにしては、うまくやった方だと思う。
「ずっ、ずみません、人の手料理を食べるのって、本当に久しぶりで......」
どうやらエステル様もそう思ってくれたのか、俺の失敗作サンドウィッチを一口食べると、ボロボロと大粒の涙をこぼした。いや、そういうレベルじゃないか。
しかし、俺よりもよっぽど高位のお方が、ここまで庶民的だと、なんだか俺も普通でいていい気がして安心する。おかげで、少し平静を取り戻せた。
「そっ、その、ティント様は、これからどうなさるおつもりでしょうか」
サンドウィッチを食べ終えたエステル様が、こう聞いて来た。俺は、ある程度冷静になった頭で考える。
昨日までは、普通の仕事を探す予定だった。だけど、こんな化け物じみたステータスを引っさげて、普通の仕事をする方が怖い。
俺が何かの拍子にちょっと力んでしまえば、それだけで周りの人たちを怪我させてしまうかもしれないからだ。
......だったら、ソロで冒険者を続けるしかない。
結果、続けたい冒険者を続けることになった......ちょっと、話が違うけど。
「......とりあえず、このステータスになれるため、ゴブリンの森にクエストに出ようかと思います」
お金のことも考えると、それが一番安パイな気がする。
本当ならもうちょっとお金儲けできるフィールドに行きたいが、冒険者ランクFの俺が受けられるクエストは、薬草の採取とゴブリンの討伐くらいのものだし。
エステル様も「それが、いいと思います」と大きく頷いてくれた。そして、口をモゴモゴ、何か言いにくそうになさる。
そして、平伏したくなるほど可愛らしく上目遣いで、こう言った。
「その、二つほどお願いがあるのです」
「............」
俺は、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
お願い? この強大な恩恵の代償としてされるお願いって、一体どんなものなんだ?
「まず、そのステータス、最初のうちは、周囲にバレないようにしていただけないでしょうか?」
「......周囲にバレないように」
乾いた口で繰り返す。エステル様は、申し訳なさそうにこうべを垂れる。
「実は、今回の謝罪は、私の独断でやらせてもらってるんです」
「......はい」
まあそりゃ、女神様なんだからそうじゃないのか、とも思ったが、女神様が『仕事』で、複数人でやってることなら、独断だとちょっとまずいのか。
それこそ、他に辞めさせる理由こそあったが、俺がクビにされたのもそれだしな......。
「その、うちの会社本当にブラックで、とにかくミスを隠蔽する体質なんです。だから、私が上に報告しても、『ティントなんて冒険者はいなかった』でおしまいになってしまうので......流石にそれは罪悪感が凄くて、どうにかしなきゃって」
つまり、エステル様は、それほどのリスクを、俺のために冒してくれたのか......鼻の奥がツーンとなる。
エステル様は苦しそうな表情のまま、続ける。
「それで、その、例えば、昨晩までレベル0だったティント様が、いきなりトップ冒険者として名声を得たとなると、うちの怠け者どもでも気づいて、私の関与が疑われてしまう可能性が高く......なので、徐々にレベルアップした、という体をとっていただけないかと......結局私も隠蔽体質、同じ穴の狢って話なんです。汚い大人でごめんなさい」
「きっ、汚くなんかないです! 承知致しました!」
一礼してから、思っていたほどの条件でないと、とりあえず一息つく。
だが、厄介は厄介か。人類は四桁レベルになんてなれないというのが通説だから、俺がこのステータスを全力で振るうことは、基本できないってことだ。
サヴァンたちの前で力をふるい、クビにしたことを後悔させる、なんてことも、やるやらないを置いといて、それなりに遠い未来になるだろう。
二つ目のお願いは、一つ目のお願いより驚かされた。
「それと、そのゴブリンの森に、私も同行させていただけないでしょうか?」
「えっ!?」
「そ、その、ステータスに慣れるまで苦労もあるかと思いますので、その間、ティント様のお側にいさせていただければ、と」
「......で、ですが、エステル様にそのようなお時間を取らせるわけには」
「あっ、大丈夫です。ティント様に謝罪するため、有給をとってるので」
「......有給ですか?」
「あっはい。約100年間連続出勤してましたので、二週間ほどおやすみをいただけました」
「............」
マジで、天国の労働環境ってどうなってるんだ?
しかし、二週間......100年連続出勤のエステル様にとってはあまりに短いが、俺には結構長い。
女神様と、二週間行動を共にする......やっとレベルアップしたのに、気を使いすぎて死んでしまうぞ。
「あっ、そりゃやっぱ嫌ですよね。男の人に初めて優しくされてテンション上がっちゃってる喪女なんて厄介極まりないですもんね。気をつけます」
すると、俺の戸惑いを敏感に感じ取ったエステル様が、これまた女神らしくないことを言う。
俺は頭が取れんばかりに首を振った。
「いっ、いえいえいえ! 全くそんなことはないです! むしろお美しすぎるというか!!」
「お”っ!?」
エステル様が.......失礼だがゴブリンが潰されたような声をあげ、顔を真っ赤にした。
エステル様ほどの美貌の持ち主には、当然の誉め言葉のはずだが、もしや褒められ慣れてないんだろうか?
......そう、そうだ。エステル様の美貌は、人間のそれじゃない。俺も一目見て、女神様だとわかるレベルだ。
「ただ、その、俺のような学のない人間でも一目で神様だと分かったので、エステル様が外を歩けば、大騒ぎになってしまうのではないでしょうか?」
「......あっ、全然大丈夫です」
耳を真っ赤っかいけにしたエステル様が、何やらドレスのスカート部分をゴソゴソし始めた。
チラチラ覗く白い太ももを眩しく思っていると、いつの間にかエステル様の手に黒い板があった。
エステル様が「へい、しり」と唱える。すると、その板がぴかりと光った。
「神聖をゼロにして」
「はい」
「うおっ!?」
すると、板から棒読み口調の女の声がした。驚く俺を少し笑って、エステル様が言う。
「これで、私のことを神と気づく方はいないと思います」
「............」
確かに、今までエステル様から発されていた、圧迫感のようなものがなくなった気がする。
もちろん、絶世の美少女は美少女のままだが、なんか幸が薄そうというか、不幸が似合うというか、虐めたくなる......。
とんでもなく不埒な考えがよぎり、俺はブンブン頭を振った。
「......ティント様、その、それで、私、帰らなくてよろしいでしょうか?」
エステル様が、嗜虐心がそそられる上目遣いを俺に向けてくる。
どうやら、俺が心配とか以前に、帰りたくないようだ。そりゃそんな地獄のような天界には、帰りたくないだろう。
だったら、俺は受け入れるだけだ。
「もちろんです。どうか、よろしくお願いします」
俺が頷くと、エステル様の顔がぱあっと華やいだ。うっ可愛い......駄目だ駄目だ。