34. 【最後の大魔王】ウルリーカ。
僕たちが一目見ただけで恐れ、接触を避け続けていた魔物たちは、メイドを見た途端、怯えたように頭を垂れる。
こんな魔族が従者だという事実に、思わず僕まで頭を垂れてしまった。
僕たちは、歪な魔城を囲む高く分厚い城壁をくぐって、敷地内に入る。紫の大地から一転、広大かつ美しい庭園に息を飲んだ。
この庭園を維持するのには、それなりの人員が必要だろう。他の従者こそ見当たらないもの、相当数の魔族がいる可能性を示唆している。
他の従者が、僕たちを先導する彼女ほどの魔族かはわからない。が、どの道、無用な戦闘は避けるべきだろう。
「............っ」
しかし、眼帯のメイドに導かれたどり着いた客間まで、魔族は一匹たりとも見当たらなかった。
「......なぁ、誰もおらんみたいやけど、まさかあんたとそのヒズミって娘しか住んでないんか?」
ダーリヤの異様なコミュニケーション能力に、怒りを通り越して感心してしまう。
眼帯のメイドは、ダーリヤの率直な疑問に、自然に笑う。
「はい、そうですよ」
「!」
たったの二人なら、勝つこと自体は無理だとしても、ライラを含めた団員たちが、この城から逃げるまでの時間稼ぎくらいは、僕とダーリヤで、できるかもしれない......。
僕は、乾いた唇を舐めてから、メイドに聞いた。
「ライラは、無事なんですか?」
「......ライラ様は、今お嬢様のお側にいらっしゃいます......それ以外、私にはわかりません。しかし、お嬢様はお約束は守る方です」
「......そうですか」
......ヤン、頼んだよ。
ヤンの魔法【陰の者】は、自身の影に、自分の本体を移す魔法。影以外透明人間になれる魔法、と言った方がわかりやすいが、正確ではない。
透明人間と違い、本体はそこにはないのだ。あくまで自分の影の中に、ヤンが隠れている、というのが【陰の者】という魔法の本質だ。
なので、足音がすることもなく、体臭もしないし、気配自体もない。気配に敏感な魔物でさえ、本気で隠れたヤンを見つけることはできないんだ。
また、本体を移した時点で、影の形は固定される。つまり、この光が指している所の方が少なく、色濃い影だらけの城なら、彼は自由自在に隠れながら移動することができる......。
メイドの声がする前に、ヤンは僕の目の前から消えた。メイドに気づかれないよう団員の影と合わさりながら、ついてきているはずだ。
今の質問は、その実、ヤンに急襲ではなくライラの安否確認をするよう伝えるためだったのだ。ヤンなら、確実に意図を汲んでくれるはず。
「......ただただ待つだけでは、退屈ですものね」
その時、メイドが理解を示すように頷く。そして、彼女は、何もないはずの部屋の隅を、ジッと見つめた。
「しかし、お嬢様のお部屋には、招待を受けた方以外通すなと言われています。申し訳ありませんが、ここでお待ちいただけませんか?」
まるで、そこに誰かがいるように話しかける......まさか、ヤンの存在に気づいているのか......?
「......なかなか優秀な魔法ですが、私たちから身を隠したいのなら、魔力の残滓まで気配を消すべきですね」
メイドはそう言いながら、ゆっくりと部屋の隅に歩み寄る。そして、スカートを正しながら屈んで、ゴミでも拾うように、影に紛れていた人型の影をつまみ上げた。
その影は苦しげに形を変え、色づいていく。そして、完全にヤンの姿形になった影が、「ぐあぁあああああああああ!!!!!!」と苦痛の叫び声をあげた。
すると、カランという軽妙な音がした。
ダーリヤの魔法【賽子】。魔力を賭け、出たサイコロの目によって、付加魔法の強度を決める魔法。
出目はゾロ目。しかもダーリヤのスキル【独女】の効果で、自分にかけた魔法の効果は増大する。
続けて、ダーリヤはサイコロを転がす。一二三。最高の形だ。
「あら」
メイドが目を見開く。
マイナスの出目の組み合わせだと、付加魔法もマイナス効果になる。しかし、掛ける相手は、ダーリヤが選択できる。
ダーリヤは、メイドにマイナスの付加魔法を掛けたのだ。
ダーリヤが、僕でも微かな残像しか捉えられない速度で魔族の元へ飛ぶ。
これだけの好条件が揃えば、ダーリヤは普通負けない。
「ダーリヤ、止めろ!!」
しかし、僕には、ダーリヤの剣があっさりと魔族に受け止められる光景が、ありありと想像できた。
「......これまた、無駄の多い魔法ですね」
メイドは、片手であっさりとダーリヤの剣を受け止めた。ダーリヤの動揺が背中越しに伝わったが、彼女も百戦錬磨。すぐに上体を逸らし、射線を開ける。
「......ん」
その時、メイドの顔が仰け反った。ドワーフ隊が室内用の矢倉を魔法で組み、メイドに弓を射ったのだ。
しかし、ヤンの叫びは一向に収まらない。メイドの顔にはかすり傷
「ふふ、魔法が不完全な分、こうやって協力しあって戦うのですね。涙ぐましい限りです。
......駄目だ。やはり、彼女に敵うイメージが、一切湧いてこない。こんなこと、初めてだ。
「う、うわあああああああああああああ風に吹かれてええええええええ!!!!!!」
すると、ここまで硬直して戦況を見守っていたサヴァンが、自身の魔法名を素っ頓狂に叫んだ。
重厚感のあるペルシャ絨毯がはためき、棚の上の調度品が床に落ち割れた。
その時には、サヴァンの姿はどこかに消え失せていた。
「あら、随分と怖がらせてしまいましたね」
メイドが微笑む。
サヴァンが、逃げた......ワープポイントは、往復分しか使えない。
サヴァンに使われてしまえば、アイタナたちがこちらにワープしてきた時点で、魔界から逃げることは難しくなる......。
その時メイドが、無造作にヤンを離した。ヤンは四つん這いになって、うめき声をあげる。
僕は森の精霊を呼び出して、蔓をヤンに巻きつけ、身体を癒しながらこちらに引っ張る。
ヤンの体に、特に怪我らしい怪我はなかった。ならば、なぜあそこまで苦しそうだったのか。
「......ヤンに、何をしたんですか?」
「ああ、彼の身体に刻まれた魔術式を書き換えただけですよ。魔力の残滓も、影の中に落ちるように、ね」
メイドが微笑みながらそう答える。僕は攻撃の意思を見せるダーリヤに「戻れ!」と叫んでから、もう一度ヤンの体を調べる。
しかし、彼女の言っていることが本当かどうかなんて、もちろん分かりっこない。
その時、魔族の姿がふっと消え失せた......いや、影だけ、残っている。
「ふふ、これはいい魔法ですね。魔力の消費が激しく、魔力の残滓こそ消せませんが、影の中なら気づかれません。これならお嬢様に気付かれず、お嬢様を見守ることができます」
瞬きのうちに、メイドは僕の前にいた。妖艶な笑みを浮かべる。
全くもって隙だらけのその姿からは、戦意を一切感じない。僕を守ろうとする団員たちを、視線で諌める。
そう、彼女の目的は、僕たちをそのお嬢様とやらのところに行かせないこと。
ライラの安否を確認できないのは痛いが、この強大な魔族が、僕たちの足止めのためにここに留まってくれるなら、アイタナたちからしてみれば大きなメリットのある話だ。
「......相手の魔法を模倣する魔法、と言うことですか」
僕は、恐る恐る聞く。彼女の意識を戦闘から切り替えたいというのもあったが、単純に気になって仕方がなかった。
彼女は確かに、ヤンの魔法を使ったのだ。
「いえいえ、そのような大層なものではありませんよ。ただ、彼の体に刻まれた魔術式を読んで、同じように使って見せただけです」
......何を言っているんだ。
「......ありえない。魔法は、神からの授かりもので、自由自在に使えるようなものではないはずだ」
僕はあえて声を荒げてみせる。メイドは、まるで初めて言葉を発した子供を見るような目で、僕を見た。
「ふふ、神からの授かりもの......そうですか、あなた方はエステルなどと言う不浄の存在に支配された世代。無知は罪ではありません」
メイドは、スカートの端を少し持ち上げ、一礼した。
「それでは、不肖ウルリーカが、皆様の起源についてお話しさせていただきます。それが、あなたの疑問に対しての、一番の解答になるでしょう」
「......ウルリー、カ」
......どこかで、聞いた名前だ。どこだ?
その名を思い出すことに頭を使うか、彼女の話を聞くことに頭を使うか......後者を選ぶのに、時間はかからなかった。
「人間と魔族、なぜこの角を除いて、見た目形が似通っているのかわかりますか?」
「............」
そんなものに、答えなどあるのか?
口を閉ざして答えを待つと、ウルリーカは不出来な生徒を見守る先生のように、微笑み、言った。
「答えは単純。あなた方が、魔族と似た形に作られたからなのです」
「......は?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、ウルリーカは微笑みを絶やさず、流麗に語り始める。
「まず、大前提として、私たち魔族は、自身の体内で魔術式を構築し、そこに魔力を流し込むことによって、魔法を出現させます。魔術式を作る得手不得手こそあれど、基本自由に魔法を作り出すことが可能なのです」
生唾を、吞み込む......それが事実なら、僕たちが魔族に勝てる可能性はゼロと言っていい。
「しかし、昔々、あなた方と同じように、一つ二つの魔法しか使えない呪いを背負った魔族たちがいました......私たち魔族の間で、『対象の身体に魔術式を刻む』魔法が隆盛を極めたことが原因です」
「『対象の身体に魔術式を刻む』......」
「はい......魔法というものは、自身の体内で魔術式を展開し、魔力を注ぎ込むことによって成立します。しかし、すでに体に魔術式が刻まれている場合、体内で魔術式を構築する際に邪魔になります。役に立たない魔術式を相手に刻むことにより、相手に自由に魔法を使わせないことができるこの魔法が流行ったのも、頷けるのではないでしょうか?」
「ここからが本題です」と、メイド・ウルリーカが、どこか過去を懐かしむような遠い目をした。
「ある変わり者の魔族が、『対象の身体に魔術式を刻む』魔法を、二匹の猿に使いました。その変わり者の魔族は、虚弱で毎日を家の中で過ごし、孤独だった......だから、魔族の友達が欲しかったんでしょう」
そして、ウルリーカは、ゾッとするような美しい笑みを浮かべた。
「その魔術式の内容を端的に表すなら、『魔族と似た形に姿形が変わる』......と言ったところでしょうか」
「......んなアホな」
察したダーリヤが、つぶやく。
その通りだ。我々人間は、女神エステルの涙が海に流れ、その海から陸に上がった祖先が、進化し別れた結果だ。
決して、魔族の子供の孤独を埋めるため、なんていうくだらない理由で、生まれたわけではない。
......もちろん、それを証明する手立ても、我々にはないけれど。
「身体に刻まれた魔術式というのは子に受け継がれることがあるのが、相手に直接魔術式を刻み込む利点の一つでもあります。二匹の猿は子を成し、その中の何匹かに、魔術式は受け継がれました。その猿がさらに子供を作っていくうちに、猿はその魔族の庭園に、一つのムラ社会を作り出しました」
僕たちの動揺など無視して、ウルリーカは続ける。
「そのうち、魔術式は完全に猿の一部分となり、肉体に完全に溶け込み、魔力を必要としなくなりました。しかし、魔術式が体に残した跡までは消えません。そして、その跡地に流れ込んだ魔力が新たな道を作り、結果として違う魔術式を作り出した.....それが、あなた方が言う、神からの授かりもの、魔法です」
そして、「少し話が長くなってしまいました」と微笑む。
「あなた方はエステルという女をあなた方の創造神として崇めているようですが、それは大きな間違いです」
そして、まるでギルドに飾られる女神エステルの聖母像と同じように、両手を大きく広げた。
「あなた方を作ったのは、あなた方が恐れ憎む魔族なのです」
「......っ」
そんな馬鹿げた話、当然、信じられるはずがない。
だいたい、彼女の口ぶりからして、その病弱な魔族とやらはウルリーカなんだろう。
それなら彼女は、一体何千年生きてるって言うんだ。魔族は確かに長寿らしいが、そんな個体は今まで確認されていない......。
その時、僕はふと、あの話を思い出した。
「......【最後の魔王】、ウルリーカ」
「あら、お恥ずかしい。若い人間が、私のことを知っているだなんて」
ウルリーカが、ポッと赤く染まった頬に手を当てる。
【最後の大魔王】ウルリーカ。
人間社会が構築される以前、まだ魔族が世界に蔓延っていた頃、女王としてその魔族たちを支配していた魔族だ。
......ありえない。【最後の大魔王】の話は、僕がまだ子供の頃、年老いて完全にボケたノームが、村の端にある切り株に座りながら、虚空に向けてブツブツ語りかけていたような、夢物語だ。
人間がまだ文化を成していない時の話、否定しようもなかったが、やはり僕も含め、老人の戯言と疑わなかった。
......そうだ、戯言に違いない。彼女が本当に【最後の大魔王】なら、なぜこんなところで従者などをやっている。あり得ない。
「......ああ」
無理だ。どれだけ否定しても、僕の心が、彼女が夢物語の大魔王であることを認めてしまっている。
そして、【最後の大魔王】が言っているのなら、この話も事実なんだ。
「......あら」
重苦しい沈黙の中、ウルリーカが天井を見上げる。
「......!?」
続いて、重厚なガラスが割れたような音が聞こえる。
僕はウルリーカが何かしたのかと警戒したが、ウルリーカはウルリーカで、不意をつかれたような表情をしている。
「......神に楯突く反逆者にふさわしい登場ね」
......ベルンハルドが来たのか!? 嘘だろ!?
しかし、全くもって信じたくない話が続いた今、ベルンハルドが父親としての義務を少しは果たす気になった、くらいのことは、起こったってなんら不思議なことではない。
「もちろん、お嬢様の復讐の邪魔をさせるわけにはいきませんので、皆様はここにとどまっていただきます」
そして、ウルリーカはスカートの端を持ち上げ、一礼する。全身を突き刺す威圧感に、否が応でも戦闘準備をさせられる。
ごめん、ライラ、アイタナ。あんなクソ野郎に頼るのは腹立たしいけど、僕たちは助けにいけない。
僕は植物の精霊を呼び出しながら、二人の無事を願った。




