32. 自分の気持ち。
「こ、殺しちゃったのか......?」
川辺に引っ張り上げたベルンハルドは、ピクリともしないので、アイタナの心配もわかる。
俺はベルンハルドの厚い胸板に耳をやる。心臓はしっかりと動いていた。
「うん、大丈夫......でも、やりすぎちゃった。ごめん、まずいよな」
俺はベルンハルドのひしゃげた右腕に視線を落とす。アイタナが「いや、大丈夫。このくらいの怪我なら、パパはすぐ治る」と首を振る。
『回復力強化』のスキルをマックスまであげているベルンハルドには、無用の心配だったか。
「あ、ああ......アニキ、その」
するとアイタナが、先ほど父親に向けていたのと同じ、まるで俺を畏怖しているかのような目で、俺を見た。
そして、何か言いたげに口をモゴモゴさせる。
俺はなるべくアイタナを怖がらせないよう優しく、「アイタナ、どうしたの?」と聞いた。
するとアイタナは、少しの間躊躇いを見せてから、「前も、言ったと、思うけど」とポツポツと喋り出す
「オレ、ライラのことを助けたい......でも、おんなじくらい、そんなこと思ってる自分が、嫌になるときがある」
俺は一瞬、それはこのクソ親のせいだと言いそうになったが、すぐに口を閉ざす。
「パパのためっていうのもあるけど、やっぱりオレ、強くなったら嬉しいし......だから強くなるために、いろんなもんを犠牲にしてきた......これからも、そうするつもりなんだ」
そして、一つ息を飲んでから、思い切ったように聞いてきた。
「オレって、間違ってんのかな」
「間違ってないよ」
俺はすかさず否定した。
俺は別に、”家族のためなら自己犠牲を払ってでも守るべき”なんて考えを、アイタナに押し付けたいわけじゃなんだ。ていうかそれじゃあ、ベルンハルドと大差がない。それは絶対に駄目。危ないところだ。
「俺はただ、アイタナに、自分の気持ちを大切にして欲しいだけだよ。家族を助けたいっていう気持ちと、強くなりたいって気持ち、どっちも大事にすればいいと思う」
「......でも、どっちか取らないといけない時だって、あるだろ? 今だって、ヒズミのところに行ったら、全員殺されちまうかもしれない。殺されたら、強くなれない......」
そしてアイタナは、そんな自分の言葉を嫌悪するように俯く。俺はアイタナの肩に手を置いて、顔を上げたアイタナの目をまっすぐ見て言う。
「そう言う時は、アイタナ自身が考えて、より大事にしたい方を選べばいいんじゃないかな」
もちろんライラを助けに行って欲しいが、それはあくまで俺の意見。アイタナの行動は、アイタナが決めるべきだ。
「......うん」
アイタナは、白目を剥いたベルンハルドに視線を落として、考え込み始めた。
俺はそんなアイタナを見ながら、偉そうなことは言えないなと思った。
なにせ俺は、レベル0でありながら、自分の気持ちもロクに考えず、三年間も冒険者を続けていた大馬鹿ものだ。
なんなら今回の件だって、エステル様に命令されて来たくらいで......。
ブンブン首を振る。
命令されなくたって、俺はライラを助けに行ったはずだ。
うん、だから、たとえアイタナがライラを助けにいかないと決断したとしても、俺は自分の意思で、このクソ親をヒズミに受け渡しに行く。たとえそれが無駄でも、そうする。
しかし、なんでベルンハルドとアイタナなんだろう。普通に考えたらヒズミとしては、俺に復讐したいところなんじゃないのか?
それなのになんで、俺は呼ばれていないんだろう。ライラと俺では、関係が希薄すぎるからだろうか。
その時、アイタナが顔を上げ、俺をまっすぐ見た。
その瞳には、先ほどまでの怯えはなく、決意に満ち満ちていた。
「このままライラを見捨てたら、自分が嫌いになって仕方がねぇ。そんな状態じゃ、強くなることに集中できねぇ」
「......うん」
「だからまず、ライラを助けに行く。で、なんとか皆で生き残って、そっからは強くなることに集中する......うん、そうする」
「......そっか」
俺は頷いて、笑った。
「それじゃあ俺も、できる限りの協力をするよ。邪魔じゃないなら、魔界にも連れてってほしい」
するとアイタナが、戸惑いの表情を浮かべる。
「......いいのか? アニキでも、やばいかも知んないんだぞ」
「うん、そうだね。でも、できればついていきたい。やっぱり、ヒズミは化け物だから」
ヒズミとアイタナとベルンハルド。全員と戦ったことのある俺は、はっきりとわかる。この二人でかかっても、ヒズミを倒すことは絶対にできないだろう。
「アイタナが魔族の手に落ちるって考えただけで......死ぬほど辛いから」
「......死ぬほど辛い? なんでだ?」
アイタナが首を捻る。
「......それは、俺が魔族を逃したせいで、ライラが攫われてしまったから」
「いや、それなら、アニキがいなかったらオレたちは魔族に殺されてたぞ」
「......うーん」
まあ、そう言われたらそうなのかもしれない。でもエステル様の結界がなくなったのは......一応、エステル様の問題か。
少なくともアイタナからしたら、俺が罪悪感を持っているというのは、違和感のある話らしい。
「オレがライラを助けたいって思うのは、ライラが血の繋がった家族だからだ。でも、アニキは、契りは結んだけど、結局他人だろ?」
「......うん」
こんなことで悩む時間は......あいにく指定時間までは、ワープを使うことを考えたら、まだある。
アイタナがやけに真剣だし、自分の気持ちを大切に、なんて言ったやつが、できないんじゃ説得力が全くない。罪悪感以外で、何かないのか......。
その気持ちにたどり着くのは、意外と時間がかからなかった。
「......単純に、アイタナのこと、好きだからかなぁ」
うん、そうだ。短い付き合いだが、俺はアイタナにちゃんと好意を抱いている。だってアイタナは、俺なんかにとてもよくしてくれた人だ。
もちろんアイタナからしたら、あくまで強くなるためであって、俺自体のことはなんとも思っていないだろう。
それでも、すごく嬉しかった。実際、アイタナのおかげで、ここ三年ボロボロになった俺の自尊心は、かなり回復したように思う。
「それに、やっぱり俺のせいだって罪悪感は拭えないし、ライラだって、関わった時間こそ短いけど、助けたいっていう気持ちに嘘は......アイタナ?」
アイタナはというと、目を白黒させて俺を見ていた。
そして、「そうか、それじゃあ、とっとと魔界にワープしよう」と、ふいっと視線を逸らした。
......あれ、これってもしかして告白みたいに取られてしまったか? そういう男女のアレではなく、人として、というつもりだったんだけど。
これから魔界に行くという時に、アイタナを混乱させてしまったのでは、と焦る。訂正の言葉を言う前に、
「......許さないぞ」
ポツリと呟く声があった。ベルンハルドだ。
ベルンハルドは、勢いよく上体を起こした。
そして、何気ない様子で、アイタナの胸に、いつの間にかまっすぐになった太い腕を、勢い良く突っ込んだ。
突然のセクハラに固まっていると、ベルンハルドがアイタナの胸から太い手を引き抜いた。
ベルンハルドの手には、翠玉色の宝石が握られていた。
ベルンハルドは、それを軽く握りつぶした。
「これで、魔界に向かうことは不可能になったな」
「......そんな」
アイタナはわなわなと震える。ベルンハルドは一安心と言った表情で、「これが正しい判断だ」と言い放った。
「失敗作は処分される運命にある。これでよかったんだ」
「......っ、ふざけんなよ!!!!」
「アイタナ、大丈夫」
俺は、今にもベルンハルドに殴りかかりそうなアイタナの肩に手を置く。突然の蛮行に怒りを抱いたのは俺も同じだが、対策はある。
「俺が連れて行く」
「......?」
一転、ぽかんと俺を見るアイタナに胸当てをつけさせると、俺はアイタナをお姫様抱っこした。「......はっ?」とアイタナが惚けた声をあげる。
エステル様と違って、二人はどちらも高レベルの冒険者。耐久力もステータスも優秀だろう。
それならば、ある程度のスピードを出しても大丈夫なはずだ。
「俺が、今から二人を魔界に連れて行く......ベルンハルドなら、ヒズミの城の場所、わかってるんだよな?」
「ちょっ、待ってくれアニキ。こっから魔界に行くまで、最低でも二週間はかかっちまう......期限は、今日なんだ。だから、着く頃には、ライラは......」
「大丈夫だよ、アイタナ」
口で説明するよりも実際に体感してもらったほうがいいだろう......俺は、ベルンハルドの方を見やった。
「ベルンハルドさんは、俺の背中に掴まってください」
「......ふざけるな。そんな馬鹿げた真似ができるか」
「本当にライラのこと、覚えてなかったんですか?」
俺が聞くと、ベルンハルドは鼻白んだ。
まあ、よく考えたら、自分の娘の名前を忘れるってのは、幾ら何でも無理があると思う。
それなら、今までの態度も、もう助けられない娘を必死に忘れようとしている親父に見えなくもない......どう考えても好意的すぎるな。まだ親父に毒されている部分があるのかもしれない。
「......どのみち、あなたがどう思おうと、俺は化け物じみた力であなたを無理やりにでも連れて行きます。どうせならこの機会に、少しは親父としてマシになって見たらどうですか?」
「......チッ」
俺の言葉が効いたかしらないが、ベルンハルドはしぶしぶと俺に歩み寄る。そして、彫刻のような筋肉美の片腕を俺の体に回した。
なかなかカオスな状況だ。不安そうに俺を見上げるアイタナに、とりあえず笑いかける。
「それじゃ、しっかりつかまってくれ」
「......おっ、おう」
アイタナが頷くのを確認してから、俺は足にめいいっぱい力を入れて、魔界に向けて飛んだ。




