31. ベルンハルドvsティント
ライラがヒズミに攫われたのは、完全に俺の責任だ。
俺がゴブリンの森で魔族を逃さず討伐さえしておけば、こんなことにはならなかったんだから、当然のことだ。
だが、エステル様の意見は違った。
ライラが攫われたのは、本を正せばヒズミがゴブリンの森に現れたのが原因。
ヒズミがゴブリンの森に現れたのは、エステル様が結界の管理を怠ったからだ。
だから、エステル様は、ライラ誘拐を完全に自分のミスで、本来は起こるべきことじゃないと心を痛めている。
そして、ゴブリンの森の時のように、ライラ誘拐をなかったことにしたがった。
結果、エステル様は土下座で、俺にライラ救出を頼み込んだ。そして、大勢の前でもない限り、力を振るうことも許可してくれたのだった。
よって、自分の娘に剣を向けるような最低男で世間の信用度ゼロのベルンハルド相手に、全力を出すことだってできる。
「アニキ、なんでここに......この場所は、誰にも言ってないのに」
アイタナが、呆然とした様子で俺を見上げる。
「......とにかく、探し回ったんだ」
「探し回ったって......」
アイタナは信じられないという表情で俺を見る。が、事実だ。
自分の足で、この大陸の隅から隅まで、アイタナを探し回った。
俺の持久力と素早さのステータスなら、六日もあれば十分すぎるほどだった......と言っても、結構ギリギリのタイミングになっちゃったけど。
「......ふっ」
俺の頭二つ分は高い長身に、無駄のない引き締まった筋肉。短い茶髪に浅黒い肌。端正な顔立ちの、隻腕の勇者。
彫像でしか見たことのなかった伝説上の存在が、俺を見下ろし、鼻で笑った。
「お前、噂のレベル0か。通りでアイタナがおかしくなってしまっているわけだ」
「......おかしくなってる?」
俺が聞き返すと、勇者ベルンハルドは目元を引きつらせ苛立ちを見せる。
「そうだ。アイタナは、お前やライラとやらのせいで、あろうことかそのライラとやらを救うため、魔族に立ち向かおうとしている。よくもまあ、これだけの洗脳を施したものだ」
「......は?」
俺が首を捻ると、ベルンハルドは嘲笑う。
「気持ちはわかる。弱者は強者に守られるほか、生き残る方法がない。アイタナに間違った考えを植え付けることによって、自分の命を守ってもらおうと言う算段なのだろう。ライラとやらはうまくやったらしいが......強者の足を引っ張ることを恥と感じれないとは、ある意味かわいそうな奴だ」
「......何言ってんだあんた」
人の家庭に口を出すのは、なんて考えは、すぐさま吹っ飛んだ。
「自分の姉を助けたいっての、どこが間違った考えなんだよ!! ていうかライラが、そんなつもりでアイタナに接してるわけないだろ!! ライラはむしろ、アイタナを守るためにずっと頑張って来たんだ!!」
ベルンハルドが、目を見開く。俺の言葉が響いたのかと思ったが、違った。
「姉......ああ、そういえば、オレと獣人とのガキが、そんな名前だったか」
「っ......!?」
こいつ、妙な言い方をしてると思ったら、ライラのこと、自分の娘だとすら知らなかったのか......!?
「それならば、やはりおかしい。アレは完全なる失敗作だった。占いの結果、オレの血を継いでいながら、素質が大してなかったのだ。つまり今後、あいつが生き残ったとして、なんのメリットもないと言うことだ」
そして、ベルンハルドは、俺からアイタナに視線を移す......いや、初めから、俺のことなど眼中になかった。虫を見る目が、人を見る目に変わったのだ。
「アイタナ、今お前は、失敗作のために、成功作である自身を犠牲にしようとしているのだぞ。一体なぜ、そんなことをする、冷静になって考えてみろ」
どこか愛情すら感じさせる口調で、ベルンハルドは聞くに耐えない言葉を続ける。
「お前はこいつらに洗脳されたんだ。もしお前が失敗作を助けたいなどと宣うのなら、お前と関わった人間すべてを殺すことによって、お前の洗脳を解くしかなくなるが、どうする?」
......なんだ、なんなんだ、こいつ。
今まで、自分の親父をクズ扱いしていた自分が恥ずかしい。
こいつこそ、本物のクズだ。親父につられ、こんな奴を一時期尊敬していたなんて過去、今すぐ消し去りたい。
「もう一度聞こう。ここでライラを助けに行けば、お前は死ぬ。誰よりも強くなるために生きなくてはいけないお前が、失敗作のために死んでしまうのだ。それでもお前は、ライラを助けに行きたいと思うか?」
ベルンハルドが、高圧的にアイタナに聞く。アイタナは、彼女にはあまりに似合わない、いまにも泣き出しそうな悲哀の表情で、言った。
「......助けに、行きたくない」
アイタナの気持ちを既に聞いていなくても、言わされているのがわかる。吐き気を覚えた。
完全に、こいつのせいだ。こいつのせいで、アイタナはライラを心配することに、罪悪感を覚えてしまうんだ。
「そうだな。お前は、そうでなくてはいけない。なぜならお前は冷血な殺戮人形なんだ。強くなることだけを求め、姉の命など一切顧みない。それが本来のお前なんだ」
「おい、これ以上喋んな、クソ野郎」
満足そうに笑うベルンハルドに、いい加減限界がきた。ベルンハルドの胸ぐらを掴み、睨みつける。
「......ふん、事実を言われて逆上か。醜いな、洗脳男」
「醜いのはアンタだろ......アイタナは、凄く優しい娘なんだ。お前なんかと一緒にするな」
「っ。アニキっ」
アイタナが制止の声をあげるが、悪いが止めることはできない。
「アイタナは、既にヒズミに立ち向かってる......ライラに魔法をかけられて、その魔法を解かせるために、格上相手に戦ったんだ」
「......ふん、当然知っている」
それを知っててこんなこと言ってんのかと、煮えたぎった怒りが口から飛び出る。
「知ってんなら分かるだろ! 一体アイタナのどこが冷血な殺戮人形なんだよ! そんなお前の勝手なもん押し付けないで、優しいアイタナを見てやれよ!」
「何度言わせる。そのアイタナは、お前たちの洗脳によって生み出された。オレがいる時のアイタナこそが、正当なアイタナなのだ」
「......このっ」
こいつとは、マトモな会話ができないことを確信する。俺は脚にまとわりつく冷水に集中し、体温を冷やす。そして、ベルンハルドを睨みつけた。
「......そうやって娘の足ばっか引っ張って、さっきから偉そうに言ってるけど、本当はヒズミが怖くて魔界に行きたくないだけなんじゃないのか?」
俺の挑発的な言葉に、ベルンハルドはピクリと眉を揺らす。しかし、虫を見る目は変わらない。
「なんだ、貴様、ライラを助けたいのか?」
「......ああ、そうだ」
「ハハッ。井の中の蛙も、ここまでくると片腹痛いな」
ベルンハルドはニコリともせずにそう言うと、続ける。
「もしお前の狂言に乗り、アイタナがライラを助けにいくなどと言う馬鹿げた決断を取ってしまったら、お前はどう責任を取るつもりだ」
そして、神経質に目を引きつらせると、アイタナの方に視線をやった。
「アイタナはいずれ魔族にも届きうる力を持っている。そのアイタナがこんなところで命を落とせば、人類全体への大きな損失になるんだぞ」
「責任も何も、アイタナは死なせない」
俺は、はっきりと言い切る。ベルンハルドの焦げ茶色の瞳が、キュッと小さくなった。
「アイタナは、俺が守る。だから、なんの問題もないだろ」
「......ハハハッ」
ベルンハルドは、嘲笑にすら満たない、乾いた笑いを漏らした。
「レベル0のお前が、アイタナを魔族から守る? オレの剣を受け止めたから勘違いさせてしまったか?......本気で娘に刃を向けるはずがねぇだろうが」
そして、ベルンハルドは、俺の身一つはありそうな大剣を振り上げて、「これが本気だ」と、俺めがけ音速で振り下ろした。
アイタナから与えられた剣は、ブランド品と言っても市販品。あのベルンハルドの本気の攻撃を受け止めるには、脆すぎると思う。
結論は、アイタナとの決闘で出ていた。
「!」
ベルンハルドの表情が、驚愕に歪む。
自分の攻撃が、レベル0に素手で受け止められたんだから、当然だろう。
俺はそのまま、アイタナの方を見て、言う。
「アイタナ、今から俺が、こいつを完膚無きまでに倒す」
「っ」
アイタナは息を飲み、俺を見る。その眼差しには、期待の感情が滲んでいるように、俺には見えた。
「もう二度と、アイタナに酷いこと言わないよう、ボッコボコに、だ。だからもう、こいつの言うことは気にしなくていい」
「......テメェ」
ベルンハルドが、怒りに声を震わせる。彼の片腕に太い血管が走り、川底にズブズブと足が嵌っていくが、別に構わない。
「だから、安心して、アイタナは自分の気持ちを大事にすればいい」
俺は、手のひらに走る激痛など完全に無視して、アイタナになるべく優しく笑いかける。
「アイタナは、どうしたいんだ?」
俺の問いに、アイタナは目を見開く。
「......けたい」
そして、震える唇を動かし、ポツリと呟く。
「アイタナ!!!」
ベルンハルドが怒声をあげると、アイタナはびくりと肩を揺らす。
俺は「アイタナ、大丈夫だから」と、手に持つ大剣を、ブンブンと振り回した。ベルンハルドはびしゃびしゃ水音を立てながら、情けなく右往左往する。
俺はもう一度、アイタナに笑いかける。すると、アイタナの白銀の瞳から、ポロリと涙が溢れた。
「......ライラを、助けたい」
そして、か細くも、はっきりと、そう宣言した。
「......洗脳もここまで来ると、流石に容認できねぇな」
その時、尋常じゃない殺気を感じて、俺はすぐさま飛び退いた。
「......零度の炎」
ベルンハルドがそう唱える。すると、蒼ではなく、黒色の炎が、ベルンハルドの剣に灯る。
......いや、灯る、と言うより、剣そのものがぼうぼうと音を立てて燃えているのだ。
ベルンハルドの炎が、水流の強い川に触れる。すると、川にボッと黒い炎が燃え移った。
「アニキ!! パパの炎はオレの進化系!! オレの炎とは格が違うんだ!!」
アイタナが、涙をぬぐいながら叫ぶ。
「パパの零度の炎は、相手の炎に対する耐久力をゼロにして、どんなもんでも平等に燃やし尽くすんだ!! 食らったら、アニキでもただじゃすまねぇ!」
「......ああ」
なにせ、うちの親父が熱烈なファンだったんだ。そこらへんの知識は頭に入っている。
特に、この魔法は、ベルンハルドの代名詞。無差別に敵を燃やし尽くすこの魔法は、八十年前の人種戦争で、敵国を震え上がらせた。
本来だったら、魔族すら無関係に燃やせる、誰もが恐れ羨んだ、凄い魔法。
一目散にライラを助けに行くべき力を持っているくせに......とさらにムカッ腹が来る。
ベルンハルドはというと、燃え盛る大剣を軽く振った。
すると、黒炎がまるで生きた蛇のように、俺に向かってくる。
炎なら、単純に避ければいい。
だけど、それじゃあ俺が満足いかない。
このクソ親をぎゃふんと言わせるには、どうすればいいか。
「アッ、アニキッ!?」
アイタナが戸惑いの声を上げる中、俺は盾を両手で構えた。黒炎が空気を焦がしながら、俺に牙をむいた。
俺は、黒炎が盾に触れるか触れないかで、ヌボンチョを相手にしていたライラの姿をイメージし、ぐにゃりと体を曲げる。
そして、黒炎を包み込むように盾を動かした。
黒炎は、その体をくの字に曲げ、俺の斜め後ろに流れて火をつけた。
「こうやって攻撃を受け流すのは、あんたの娘、ライラがやり始めてから、技術として冒険者間で流通し出したんだ。おかげで、非力だった俺でも、盾役を続けることができたくらいだ」
俺は、呆然とするベルンハルドを睨みつけ、嫌味ったらしく言ってやった。
「お前の炎は、ライラの技術に敗れたんだ。どうだ、ライラのこと失敗作って言ったこと、後悔したか?」
......まあ、正直、炎を受け流すなんてのは、ライラでもできないのかもしれないけど。
「......調子に、乗るなよ」
ベルンハルドはと言うと、この異常事態に動揺こそ示せど、クソ親らしく一切反省の色を見せなかった。
額に青筋を立てて、俺に詰め寄る。
そして、四方八方から、黒炎に燃え盛る大剣を、自身に黒炎が燃え移らないよう華麗に操りながら、俺が一番攻められたくないところを攻めてくる。
きっと、アイタナやライラに愛を注ぐ時間を犠牲にして、身につけたんだろう。これまた非常にムカついた。
俺は、その剣をすべて受け流してやった。ベルンハルドは、俺の受け流しがまぐれじゃないことに、明らかに動揺を見せる。
と言っても、受け流しているとはいえ、黒炎が触れてはいるので、着実に盾に黒炎が移って行く。
しかし、それよりも先に、ベルンハルドの剣の方に限界がきた。
ベルンハルドは燃え尽きそうな大剣を放り投げ、今度は傷だらけの巨大な拳を俺に振り下ろす。
黒炎を纏っていないのなら、何一つ怖くない。せっかくアイタナにもらった盾、心苦しいけど、手に燃え移る前に手放す。
そして、あえて一つの防御もせず、顔面で拳を受け止めた。アイタナが「アニキ!?」と悲鳴をあげるが、俺は悲鳴ひとつあげない。
無抵抗のまま、勇者の拳に殴られ続ける。当然死ぬほど痛いが、痛みを消すのもムカつくのでやらない。あいにく、火龍の火球なんかと比べると、そよ風みたいなもんだ。
俺は、全く効いていないとベルンハルドを嘲笑ってやる。
「もう満足したか? それじゃあ今度は俺から行くぞ」
そして、俺は、ベルンハルドの腹に、拳をねじり込んだ。
「ぐがバラァァァッッッッ!?!?!?」
ベルンハルドは奇妙な声をあげて、うずくまった。そして、デカイ図体をびちゃびちゃ水に浸しながらなりながらゴロゴロと転がる。ベルンハルドの口から出る血まみれの汚物が、川を汚した。
俺はベルンハルドを、しばらくの間見下した。そして、ベルンハルドが落ち着いたところで、引っ張り起こして言う。
「わかってくれたか? 俺はあんたよりよっぽど強いんだよ」
まさか、ベルンハルドにこんなことを言う日が来るとは思わなかったな......。
「......ふざけるなぁっ!?」
すると、ベルンハルドは口から汚物を垂らしながら、アイタナの方へと飛んだ。
そして、川底にあったアイタナの剣、『くず鉄』を拾い上げると......アイタナの首に、突きつけた。
ベルンハルドが、瞳孔の開ききった目で俺を見る。
「これ以上近づくな、この魔族が!!」
「......何を言ってんるだ、あんた。今すぐアイタナを離せ」
「この化け物のような力、人間ではありえない! それなら貴様は魔族ということだ! 自分の娘が魔族の手にかかるくらいなら、オレが直々にアイタナを殺してやる!」
「......本当に、何を言っているんだ」
いい加減、頭が痛い。本当になんなんだ、こいつ。
「それが嫌なら、近づくな!」
「......この、クズ親が」
子供を守ろうとしないどころか、子供を盾にするなんて......やっぱりこいつ、アイタナのこと、一つも大切に思ってないんだ。
こんな奴に、何一つの敬意も払ってやる必要はない。よし、無理やり連れて行こう。
「......最後の忠告だ。アイタナを離せ」
「失せろ!! この魔族が!!」
「あっそ」
俺は瞬時に間合いを詰め、ベルンハルドの一本の腕を掴み、そのまま握りつぶした。ベルンハルドが絶叫する。
そして、俺はベルンハルドを、そのまま天高く振り上げると、思いっきり川底に叩きつけた。