3. 女神からお詫びに100倍経験値を得る。
「............えっ」
俺は何度も目を擦ったが、女神エステルは、どこか慣れているようにすら見える、ピシッと美しい土下座姿のままだった。
......えっ、てことは、これは現実?......俺今、女神エステル様に土下座されてる!?!?
「えっ、えっ、えっ、えっ、エステル様!?!?!? どうか御顔をお上げください!!!!!!」
俺は慌てて跪いて、エステル様に懇願した。
しかしエステル様は、土下座姿勢のまま、顔を床に擦りつけるように首を振る。
「いえ、いえ!! 私はとんでもないミスを犯してしまったんです! どうか土下座させてください!!!」
「......うっ、はっ、はい......ッッッッッ!??!?」
エステル様がそう望むのなら、俺程度がエステル様の土下座を辞めさせるわけには......いやいや、やっぱ駄目だろ、我ら人類の母に、こんな情けない姿をさせるのは!
「そっ、そのっ、なぜエステル様が土下座しなくてはいけないのか理解できないので、どうか御顔を上げて、説明していただければと思うのですがっ」
俺が言うと、エステル様はゆっくり顔を上げた。「......その通り、ですね。申し訳ございません」と、ずずっと鼻をすすりあげる。
そして、背筋をピンと伸ばし、ピシッと綺麗に正座をして、潤んだ瞳で俺を見る。
安心したのもつかの間、あまりの可憐さに心臓が跳ねる。
そして女神様は、上品な所作で俺に頭を下げた。
「私は、株式会社ブラックゴッドの、女神エステルと申します」
「.........っ」
カブシキガイシャ? が何のことかいまいちわからないけど、やっぱり、目の前の方は女神エステル様なんだ。
エステル様に謁見できているという名誉と恐怖に、ブルリと身体が打ち震えた。
「ティント様はご存知のことかと思いますが、こちらの世界の管理をさせていただいております」
「......あ、え、はい!?!?!?」
だから、エステル様が俺を様付けで呼んだ時、思わず飛び上がってしまった。
「そんな私の仕事内容の一つとして、十三歳以上の冒険者の方に、花冠の儀式でレベルアップの加護を贈呈する......というものがあります。ティ、ティント様も、十三歳で冒険者になられた際、ギルドの方から説明を受けたと、思います」
「......はっ、はい」
しかし、エステル様は、さも当然といった表情で話を続けてしまう。
これ以上ティント様と呼ばれたら心臓が止まってしまう。かといって、エステル様のお話を遮るわけにはいかない......耐えるしかないのか。
......ていうか今、『仕事』って仰ったか? 女神様って、『仕事』でやるようなことなの?......それだけじゃなくって、様付けや......土下座、なんて......俺が想像する神とは、正直全く違う。
現に今もエステル様は、まるで俺の方が上と錯覚してしまうくらい、ぷるぷると子犬のように震えている。
そして、エステル様はゴクリと生粒を飲み込むと、今にも泣き出しそうな顔で、俺を見上げた。
「......その時、なぜだかわからないのですが、不具合があって、ティント様に加護の方が......かからなかった、ようなんです」
「......不具合、ですか?」
「はっはい......つまり、ティント様が冒険者になられてから三年間、一度もレベルアップしなかったのは、完全に私の責任なのです!! 本当に申し訳ございませんでした!!!」
「ああ!」
再び土下座するエステル様のお顔をなんとか上げさせようと、混乱する脳みそを回転させる。
「......あっ、それじゃあ、エステル様に嫌われてたとか、そう言うことではなかったんですね!?」
「あっはい! もちろんそんなことは一切ありません!!!」
エステル様は半泣きで顔を上げた......と思ったら、また土下座だ!
「ティント様の御心中はお察しします。謝罪されたところで、ティント様の三年に渡る苦しみが消えるわけではありません。もちろん許せるはずが」
「あっ、えっ、許します!」
「......えっ」
エステル様が、ぽかんとした表情で俺を見上げる。ああ、助かった。
どうやら、エステル様を驚かせてしまったようだ。だけど、俺からしたら当たり前だ。
もちろん、どれだけ頑張ってもレベルアップできず、馬鹿にされ続けた三年間は、本当に辛かった。
が、だからと言って、直接謝罪に来てくださった女神様を許さないなんて、人間として絶対にあり得ない。
それに、てっきり嫌われてるものだと思っていたから、そうじゃなかったことが知れて、むしろ、嬉しい......今目の前にエステル様がいなかったら、泣き出してしまってただろう。
「ユルス......?」
「は、はい。あっ申し訳ありません!! 許すなんて、偉そうな言い方をしてしまいました!!」
エステル様が呆然と反芻するので、俺は慌てて謝罪する。しかし、エステル様はぽかんとしたままだ。
「いえ、あの、そう言うことではなく......ユルスって、『過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする』の許すってことでしょうか?」
「?......は、い......?」
それ以外なにかあるんだろうか?
ただでさえ混乱してる状況での奇妙な質問。良い加減頭がおかしくなりそうになりながら、なんとか頷く。
「......はっ」
すると......失礼だが、あまり生気の見られなかった瞳に、ポッと感情が灯った。
「初めてっ」
......初めて?
「初めてっ、許して貰えたぁぁぁぁぁぁぁ」
「......えっ?」
そしてエステル様は、ボロボロと泣きながら、俺の膝へダイブしてきたのだった。
「うえっ、エステル様!?!?」
「うええええええええんっありがとうございますぅぅううううう」
「......ぇぇぇぇ」
俺は急展開に次ぐ急展開に、小さく戸惑いの声をあげる。にしても、絵面がかなりまずい。
しかし、そんなこと言うわけにはいかないので、エステル様が泣き止むのを、心臓が壊れないよう深呼吸しながら待った。
※
「も、申し訳ありませんでした。あとでズボンの替えを用意させていただきます」
顔を羞恥に染めたエステル様が、すまなそうに謝る。俺は「いえいえい!」とブンブン首を振る。
確かに、俺のズボンは、このまま外に出たら恥ずかしいくらいにビッチャビチャだ。
でも、エステル様の体液だから、決して汚いものではないし、なんなら元気が出たくらいだ......いや、そう言う変態的意味ではなく、多分聖水的な効果があるんだと思う。
しかし、『初めて許してもらった』って......役立たずの俺ですら、サヴァンに一回くらいは許してもらったことがあるけど......神様ってことは、普段は天国の方で暮らされてるんだよな。
天国って、そんな地獄じみてるのか......? 死ぬのが一気に怖くなってきた。とりあえず、自殺するのは辞めよう。
「......許していただけたのは、本当にありがたいのですが」
エステル様が真っ赤っかになった目で、真剣に俺を見つめてくる。
「私としましては、当然、このまま帰るわけにはいきません」
「えっ」
帰らないの......?
いや、決して帰っていただきたいわけではないが、エステル様が俺の家の汚い床に座っているという状況に、長く耐える自信がない。
「......そ、それは、なぜなのでしょうか? やはり俺が、何か悪いことをしたとか」
「いえいえいえいえいえいえ!!! むしろ逆! 全くもって逆です!!」
エステル様は、桃色の美しい髪をふりみだす。
「ティント様は、三年間冒険者でいらっしゃったにもかかわらず、レベル0のままでした。それはそれは、大変な精神的苦痛だったと思います」
「いっ、いえ、そんなこと」
まあ、正直苦痛ではあったけど......。
「そこで......ご満足いただけるかわかりませんが、お詫びの品を準備致しましたっ」
「......お、お詫びの品?」
「はいっ」
エステル様が頷く。しかし、エステル様は見る限り手ぶらだ。どういうことだろう?
「まず、当然のことですが、ティント様にしっかりと”レベルアップ”の加護をかけ直させていただきます」
「......えっ、それって」
「はい。今日をもって、ティント様はレベルアップすることが可能となります」
レベルアップ、できるようになる......この俺が?
嬉しい......以上に、想像が、つかない。それくらい、俺にとっては縁遠いものだ。
俺が唖然としていると、エステル様が申し訳なさそうに頷いた。
「もちろんそれだけではお詫びの品としてたりませんよね、わかります......ですので、ティント様には、この三年間で本来獲得していた値×100倍の経験値を贈呈させてもらえれば、と」
......えっ。
「ひゃ、ひゃくばいっ!?」
ひゃくばいって、まともな教育を受けてない俺でも、かなり数値が増えるってわかる。
それでも、俺が得た経験値なんて、大したことないんだろうけど......もしかしたら一気に、リアと同じレベルくらいに、なるのかな。
リアの俺を見る無機質な目を思い出し、ブルリと体が震えた。
するとエステル様が、アセアセ汗をかきながら言う。
「や、やはり、100倍では足りないでしょうか? それでは1000倍で」
「! いえ、いえいえいえ! ありがたく頂戴いたします!」
俺はすぐさま頭を下げた。すると、エステル様が「よかった......それでは」と言ってから、何やらモジモジとされ始めた。
......尿意の方でも催されたのだろうか。トイレの方にご案内しようかと思った時、エステル様と視線がバッチリあって、くらりとする。
エステル様は、ふぅと甘い吐息を漏らした。
「私を、抱きしめていただけませんでしょうか?」
「......え」
だ、抱きしめるって......。
つい、今まで見ないよう気をつけていたエステル様の、華奢なわりに大きな胸に視線が行ってしまう。
鉄の意志で視線を上げると、エステル様は顔を真っ青にしていた。
「あっ、決して日々の激務と孤独から、人肌を求めているわけではありません! 経験値を与える上で必要なことなんです! だからセクハラで訴えないでくださいお願いします!」
「ああ!! 訴えるわけありませんから、どうか土下座はおやめください!!」
女神様に触れさせていただくなんて、土下座したいのはこっちだ。だいたい女神様を訴えるって、どこにどう訴えればいいんだ。この冒険都市リギアのガメツイ弁護士でも裸足で逃げ出すぞ。
「......そっ、それでは、どうぞ」
そう言って、エステル様はおずおずと両手を広げた。
......これは、ヤバイ。こんな魅力的な方と、抱き合う、なんて。
万が一、女神様相手に......劣情を催したとなったら、それこそ【神敵】として、ハラキリしないといけなくなる。
「あっ、やっぱキモいですよね。わかってますよ? 私みたいな喪女と抱き合うなんて、罰ゲームでしかないですもんね。誠に申し訳ございませんでした!!」
「いえいえいえ!! そんなことはないです!!」
再び顔を真っ青にされるエステル様。
そんな言い方をされてしまったら、抱きつかない方が失礼に当たってしまう。
「......そっ、それでは、失礼します」
俺は、深々と一礼をしてから、膝を擦ってエステル様に近づいた。
ふわりと、底辺冒険者の俺とは縁遠い、高貴な女性の良い匂いがして、久しく忘れていたトキメキに心臓が高鳴った。
「すみません、すみません......」
俺は何度も謝りながら、エステル様の華奢な背中に手を回した。
エステル様の豊かな胸が、俺のお腹のあたりに当たる......うわっ、柔らか。
「そっ、それじゃあ、いきますね......」
エステル様の上ずった声が耳をくすぐると、密着度がさらに上がった。これ、マジでやばいかも......。
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
「......あっ」
その時、頭の中で鳴り響いたその音に、俺の邪念は吹き飛んだ。
ほとんどの冒険者が、冒険の過程で聞く、レベルアップを知らせる”祝福音”。
と言っても、レベルアップしたことない俺は、トリッソの鼻歌くらいでしか、聞いたことがなかった。
......そうか、俺、ついにレベルアップしたんだな......。
「......ぐすっ」
エステル様を、俺の涙で汚すわけにはいかない。必死に堪えようとした。
しかし、この三年間の苦労が、そうさせてくれない。涙どころか鼻水までダラダラ出てきて、俺は上を見て、エステル様を汚さないよう頑張る。
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
うわぁ、待ってくれ。もっと鼻水出ちゃうから、レベル2なんて、もう一生手が届かないもんだと......。
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
うお、と思ったらレベル3! ああもう、喜ぶ暇もない!
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
やった! レベル5だ。これで、FランクからEランクの冒険者になることができる! 夢みたいだ!
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
「......えっ、ちょっ、待っ」
いや、レベルアップ自体は、続いて欲しい。でも、ただでさえ感情の起伏で疲れ切った脳みそに、この頭をぶっ叩くような大音量が連続で流されるのは、かなり辛い。
それに、一気にレベルアップしてるせいか、違和感というか、まるで自分が自分ではなくなってしまうような感覚が怖い。ちょっと、一旦止めてはもらえないだろうか。
......馬鹿、念願のレベルアップだろ。今までの苦労と比べたら、この程度の苦痛、耐えれなくてどうする。
それに、『今まで得たはずの経験値』は全然大したことないわけだし、たとえ100倍でも、もう直ぐ終わるはずだ。
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
「......えっ」
全然、終わる気配がないッ......このままじゃ、マジで頭がおかしくなる......ッッッ。
頭が割れるように痛い。『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
吐き気が津波のように押し寄せてくる『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』視界がチカチカと点滅する『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』体の内側で内臓が暴れる『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』痛い『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』痛い!『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』痛い!!!!!
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
『じゃっじゃらじゃっじゃっじゃぁ〜ん』
「う”っ、う”わああああああああああああああああ!!!!」
そして、目の前が真っ暗になり、俺は意識を失った。