2. 女神からのまさかの土下座。
「......つつ」
俺は痛む身体を庇いながら、冒険都市リギアの外れ、貧民街の掃き溜め通りを歩く。
『パーティを抜ける人間に、回復魔法をかけてやる義理などない』
これが、サヴァンのお別れの言葉で、リアはそれに従った。
おかげで、ブラックバックに負わされた怪我をそのままに、俺は帰路につかなくてはいけなくなった。
全身の痛みは、おさまるどころかズキズキと増してきている。
回復薬を使うか、回復師の元に行って治療を受けないと、まずいかもしれない。しかしあいにく、俺にはそんな金がない。
......そう、金だ。俺が今まで受け取っていた給料は、他のメンバーの三十分の一にも満たなかった。日々の生活が精一杯で、貯金なんてゴブリンの涙ほどもない。
だから、明日からの生活のため、たとえ心身ともにボロボロでも、必死に働かなきゃいけないんだ。
問題は、どんな仕事にするかってことだけど......。
......冒険者、続けようかな。
「......馬鹿」
俺は、よく揶揄われるオレンジ色の頭を、ブンブン振った。
冒険者になってから今日までの三年間、俺はこれでも、身を粉にするつもりで、必死に努力して来たつもりだ。
だけれども、レベルは0のまま。それでも、二年目くらいまでは、いつかはこの努力が報われ、レベルアップできるんじゃないかと思っていたが......流石にもう、そんな希望は抱けない。希望が抱けないなら、現実を生きていくしかないんだ。
......そう、現実を生きていかないといけない。
だからこそ、冒険者を続けるべきじゃないのか。
確かに俺はレベル0だが、同時にこの三年で、冒険者としてある程度の知識と技術は身についた。
さらに言えば、俺は冒険者以外の職に就いたことがない。となると、冒険者を続けるのが、案外現実的なのかもしれない。
......いや、ないだろ。
俺の二つ名が【神敵】であることからわかるように、俺がレベルアップしないことは、この街の冒険者ならほぼ全員知っている。
恥ずかしい話、【勇者の娘たち】よりも、知名度だけで言ったら上かもしれないんだ。
そんな俺が入団を希望したって、どこのパーティからも門前払いを受けるのがオチだ。今年から冒険者になった新人たちですら、俺と組むのを嫌がるだろう。
となると、ソロプレイをするしかないんだが、レベル0の俺がソロなんて自殺行為でしかない。
自殺行為でしかないから、冒険者ギルド側としても、俺がクエストを受けることにいい顔をしないだろう。それどころか、引退勧告をされるに違いない。
ならば冒険者ギルドを通さずに、冒険者のようなことをしてしまえば、なんていうのもダメだ。そんなことをしてしまえば、冒険者ギルドの本拠地リギアでは、まず生きていけない。
女神エステルからの『レベルアップ』の加護は、冒険者ギルドが主催する『花冠の儀式』を通して受けることができる。その恩恵のおかげで魔物相手にも戦えるというのに、冒険者ギルドに利益を与えないとなれば、怖い顔したお兄さんが俺のボロ屋に雪崩れ込んでくることになるだろう。
......と言っても、俺はその恩恵をほとんど受けていないわけだから、見逃して欲しいところではあるんだけど。
ま、と言うことで、サヴァンにクビにされた時点で、俺の冒険者人生は終わってしまったんだ......。
俺は、深くため息をつき、その拍子に痛む身体に悲鳴をあげる。
心残りがあるとすれば、親父の遺言を守れなかったことか......。
......いや、ぶっちゃけ、そうでもないんだよなぁ。
正直言って、俺は親父のことがそこまで好きじゃなかった。
俺が生まれてすぐ、嫁に逃げられ、酒、タバコ、ギャンブルに溺れ、建築の仕事をクビになった。
そっから更生して真面目に働こうともせず、いい歳して勇者ベルンハルドみたいになりたいとか言い出して、冒険者になった。
で、魔物から逃げる時に、ずっこけて頭を強打し死亡。借金を残して死んじまった。
『俺を超える冒険者になれ』という遺言を伝えに来た冒険者仲間が、思わず吹き出してしまうような親父。尊敬なんて、当然できない。
だいたい、バックパックに詰め込んだボロボロの形見の盾だって、俺にくれた理由は本当にしょうもなかった。
男の憧れの魔物といえば、ドラゴン。そのドラゴンから剥ぎ取った素材で作られた武具は強者の証で、特に勇者が使っていたらしい【火龍の盾】なんかは、冒険者なら誰しもが憧れるもんだ。
勇者信者だった親父も、例に漏れず火竜の盾に憧れていた。
そんな親父が貯金を全部はたいて買ってきたのが、”果粒の盾”だ。
果粒の盾は、『火龍のうたた寝』という木の実から作られた盾だ。
『火龍のうたた寝』......それこそ、今日行ったヌボンチョの密林でも取れる木の実で、その見目が丸まった火龍に似ていることから、その名がつけられたそうだ。
その『火龍のうたた寝』のかなり丈夫な外果皮を使って作られたのが、『果粒の盾』。
見た目だけでいえば、火龍の盾そっくりだ。そして火龍の盾の何百倍も安値で買える。
つまり、親父はなけなしの金を使って、見た目が似てるだけのパチモンの盾を買って来たのだった。
親父が『火龍の盾』なんて持てるわけがないので、即パチモンだとバレる。
それを散々馬鹿にされた親父は、その帰りの日、「やるよ」と投げ捨てるように果粒の盾を俺によこしたのだった。
俺としても、親父と同じくパチモンの盾なんて使いたくなかったが、金はないし性能自体はそれなりなので、仕方なく使っていただけのこと。
大した思い入れはない......とは言えないけど、でも、今日のサヴァンの盾に対する攻撃だって、別に怒るようなことじゃなかった、はずだ。
そう、だから、早く、忘れないと......。
「......うげ」
しかし、俺の意思に反して、頭の隅に追いやっていた今日の出来事、そして、パワハラを受けた日々がフラッシュバックして、俺は思わず悲鳴を漏らした。
......神から愛されていない、親父の遺言を守る義理もない、そして、冒険者という仕事にロクな思い出がない.......うん、客観的に見て、冒険者を続ける理由なんてない。
「......はぁ」
......それなのに、なんで、冒険者、辞めたくないんだろうなぁ。
そんなことを悶々と考えているうちに、俺はもう一つの親父の形見である、貧民街の中でもボロっちい家へとたどり着いた。
親父が仕事で出た廃材を使って一から作ったものだ。親父は単純に腕がなかったからクビになったんじゃ、と思うくらいには歪な形をしているのが、傷心に染みる。
ともかく、今日は心身ともに限界を迎えてるから眠って、これからのことは明日考えることにしよう。
俺はドアノブを捻り、倒れるように家の中へ入った。
「......えっ」
そして、一人の少女が、椅子にちょこんと座っているのを見た。
桃色の髪が、艶やかに流れ、うちの汚い床に落ちるほど長い。伏し目がちの瞳は長いまつ毛に隠れながらも、この世のものとは思えない輝きを放っていて、物憂げながら美しい。
彼女が身に纏う、一切の汚れを知らない純白で荘厳なドレスが、彼女の美貌に完全に脇役に追いやられていた。
「..................ッッッッッッッッ!?!?!?!?!?!?!?」
もちろん、うちのボロ屋にとんでもない美少女がいたこと自体、驚きだ。
だけど、この鳥肌の原因は、それだけじゃない。
なぜだかわからない。だが、彼女を見た瞬間理解できた。
彼女は、我々人類の母であり、我々を守るため魔物避けの結界を張り、我々に『花冠の儀式』を通じて、レベルアップの加護を与えてくださるお方。
間違いない......。
このお方は、女神エステル様だ......。
気づけば、俺の目からは滂沱の涙が溢れ出し、身体が感動にブルブルと打ち震えていた。
「............」
女神エステル様は、俺に視線を向けると、無言で立ち上がった。
背は俺の頭一つ低いが、その存在感は、今まで戦って来たどんな魔物と比べ物にならない。
そして、女神エステルは、どこか強張っているようにも見える無表情で、俺に歩み寄ってくる。
「......あ」
俺は自分の状況を理解し、乾いた声をあげる。神に謁見できたという感動は、すぐさま真っ黒な恐怖に塗り変わった。
そう、俺は【神敵】だ。レベルアップの加護を受けながら、神から愛されずレベルアップできない嫌われ者。
そんな奴の前に、神が現れたのなら、その所以は、一つ。
女神エステルは、俺を裁きにきたんだ。
女神エステルが、俺にゆっくりと迫る。
彼女にかかれば、自分の生死など、こともげに奪われてしまうことを肌で実感し、涙の代わりに、全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出た。
今すぐ跪いて、許しを乞わないといけない。
だけど、体が雷に打たれたように麻痺して、全く言うことを聞かない。
俺は許しを乞う代わりに、ぶるぶる震えて、神への畏怖を示した。
そのうちに女神エステルは俺の眼前まで来て、複雑な色彩を放つ瞳で俺を覗き込んだ。
その瞳に映る俺はあまりにちっぽけで、なんともくだらない存在だった。
......ああ、そうか、俺、死ぬのか。なんだ、尊敬してない親父なんかより、よっぽどしょうもない人生だったな。
......まぁ、でも、神様に幕を下ろしていただけるなら、それはそれでいいのかもしれない......。
そして、俺は死を覚悟し、瞼を閉じた。
「......こっ、この度は誠に申し訳ございませんでしたぁあああああああ」
「......えっ」
目を開くと、女神エステル様は忽然と姿を消していた......あっ、いやっ、下だ。
女神エステル様は、平伏して地面に頭をこすりつけている......いわゆる、土下座、をしていたのだった。