元王女は父を殺した元恋人に復讐しようとするけれども。
目の前で起きていることが信じられなかった。
父が多量の血を流して倒れていて、その場には血に染まった剣を持ったマルクがいた。
「マ、」
「マルク様!これで国が救われます!」
彼の傍にいた男が興奮した様子で叫ぶ。
彼は私に目を向けることはなかった。
背を向けたまま……。
その場で私はすぐに拘束され牢に入れられるところだった。
けれども父が懇意にしていた騎士が逃がしてくれて、生き長らえた。
母も弟も処刑されたと聞く。
強欲な王とその家族が死に国民は喜んだ。
増税、横領、私腹を肥やす貴族たち。
国民の犠牲の上、煌びやかな王宮で暮らす私たち王族たち。
彼らは王、その家族を、貴族を憎み、とうとう事を起こした。
筆頭となったのが私の恋人だったマルク。
彼は私の護衛騎士だった。
王と王族を殺し、貴族たちから財産を取り上げ、王国は共和国となった。
最初の首相は、マルク。
国民の生活は改善され、貧民街の規模は小さくなっている。
「……本当に実行するつもりなのですか?」
王宮から逃してくれて私をここまで鍛えてくれた、私の恩人であり、師匠でもあるサミュエルが再度尋ねる。
「ええ。これは私のけじめ。彼のやったことは間違っていない。だけど、彼は私の父を、家族を殺した。弟はわずか3歳だった。何も知らない子供だったのに」
蜂蜜色の柔らかい髪、軽やかな笑い声。
最後に聞いたのは彼の泣き声。
ごめんなさい。私だけが生き残って。
何度何度も夢の中で謝った。
サミュエルをなじったこともある。
なぜ、私だけを助けたのか、と。
父が殺され、母、弟が処刑され、喜んだ国民たち。
恨んだ、マルクと、国民たちを。
けれども、私はこの5年ですべてを知った。
無知だったのは、私。
父がやってきたこと、何千人もの人が飢えて死に、私たちは何も知らず暮らし続けた。
事実を知って、死を選ぼうとしたこともある。
けれどもサミュエルがその度に私を止めた。
そんな日々の中、彼を遠めに見かけた。
サミュエルがずっとそばにいて、私がおかしなことをしないようにずっと腕をつかんでいた。
マルクは変わっていなかった。
茶色の髪に、茶色の瞳。
平凡な顔。だけど、その笑顔はとてもやさしくて。
国民に、彼の民となった者たちに、その優しい笑みが向けられていた。
「許せない」
思わず言葉を出てしまい、サミュエルに連れていかれた。
「サミュエル。私は死ぬのをやめたわ。あの男を、マルクを殺すまで、私は死なないわ」
口づけを交わし、将来を誓いあったこともあった。
代々男子が王位を継ぐので、彼は私の王配となることはできない。けれども、王の兄として、彼は権力を手にいられるはずだった。
「彼は、「王」になりたかったのね。だから、父を殺した」
「ソラディア様……」
わかってる。
彼は権力など望む男ではなかった。
だけど、私は自分に言い聞かせた。
「サミュエル。私を鍛えて。あの男を殺せるくらい、強くなりたいの」
「ソラディア様」
最初は乗り気ではなかったけど、生きる気力を取りもどした私に彼は稽古をつけてくれた。
そうして5年が過ぎて、20歳になった。
マルクは首相を退くことを伝え、次の代表が議会によって選ばれた。議会を構成するのか、国民に選ばれた議員たちだ。
「次の首相は、カリエルだったわね?」
「ええ」
マルクは国民にとって英雄ではあったけど、彼は貴族であり一部国民から批判が上がっていた。そうして次に選ばれたのがカリエル。
たたき上げの商人で、5年前からマルクの補佐をしていた男だ。
私も会ったことがある。
もちろん、こっそり彼の家に遊びに行ったときに偶然出会っただけだけど。
眼鏡をかけた冷たそうな男だった。
あ、冷たく見えたのは私が無知な王女だったからね。きっと。
「ソラディア様?」
「なんでもないわ」
あの、何も知らなかった頃を思い出して、思わず笑ってしまったので、サミュエルが心配そうに見ている。
この5年、そういえば笑ったことなんでなかったわね。
「サミュエル。手筈を整えてくれてありがとう。ここまでで大丈夫だから。あなたが5年をかけて鍛えてくれたのよ。心配しないで」
彼が死んでも次の代表はすでに選ばれている。すでにマルクが公式の場に現れる機会は少なくなっていて、彼がいなくなっても、この国は大丈夫だ。
私は私怨で彼を殺す。
国民の生活には影響はない。
彼を殺す。
家族を殺した彼を。
私を騙した彼を。
そして私も死ぬの。
「サミュエル。これまでありがとう」
「ソラディア様!」
顔を引きつらせて、サミュエルが私の腕を掴む。
「私も行きます」
「それはだめよ」
「なぜですか?それならば私はこの手を離さない」
彼の手に力が籠る。
本気だ。
「いいわ。だけど死なないで」
「あなたも」
サミュエルがやっと手を離してくれて、私たちはマルクの元へ向かう。
わざと大衆の目がある場所を選んだ。
それは私一人で向かうつもりだったから。
国民の目の前で、最後の王族として殺されるつもりだった。
だけど、サミュエルがついてきてしまって、簡単に殺されるわけにはいかなかった。
彼だけは、彼だけは助けなければ。
マルクを守るために兵士が立ちふさがる。
その中には見知った顔の者もいた。
驚愕するもの、憎しみを露わにする者。
サミュエルに教わった剣技を使って、前に進む。
「ソラディア……」
やっと彼の顔が見えるところまできた。
怒声は続いていて、もう腕はあがらない。剣は血で濡れていて、もう切れない。
「ソラディア様!」
サミュエルの声が聞こえて、目の前が真っ暗になった。
☆
「姉上!」
目を開けると、蜂蜜色の髪をした少年がいた。
青い瞳に、見覚えのある笑顔。
でも記憶よりかなり大きい。
「僕、ずっと待っていたんだよ」
夢?彼は……。
「僕はカウディアだよ。姉上!」
記憶の中の彼は、まだ乳児で、言葉も流暢に離せなかったはずだ。大きさも違う。
「カウディア。焦ってはだめだよ。ソラディアは目を覚ましたばっかりなんだから」
扉が開かれ、茶色の髪の男性が表れる。
「マルク……?」
どういうこと?
「君にはゆっくり説明するつもりだった。ずっと君の行方を捜していたんだ。まさかサミュエルが生きていて、彼に匿われているなんて」
目覚めて間もない私に、マルクはこれまで経緯を説明してくれた。
母も弟も公式に処刑されたことになっているが、実際は生きていること。
母は2年前に病気で亡くなっていること。
ここはマルクの母方の家であること。
「サミュエルは?!」
驚きながら一通り説明を聞いて、一番気になったのはサミュエルのことだった。
彼は、庇って、まさか……。
マルクは答えなかった。
「なんてこと!」
私はまた生き残ってしまった。
サミュエル、彼だけは犠牲にしたくなかったのに。
「マルク。意地悪しないの。本当に。姉上。サミュエルは生きているよ。別の部屋で寝ている」
「本当?!」
「本当だよ」
マルクを見ると、ひどく傷ついた顔をしていて、わけがわからない。
それよりも今すぐサミュエルに会いたかった。
「ソラディア。この5年、君のことを放っておいたのは私だ。だから自業自得だ。だけど、まだ勝負はついていない」
マルクの言っていることは本当にわけがわからなかった。
「本当、マルクって不器用だよね。姉上に関しては。姉上、マルクは姉上をまだ愛しているんだ。父上のことを残念だったけど、僕と母上を助けるために全力を尽くしてくれた。最初は僕だって、マルクのことが大嫌いで憎んだけど、色々わかったんだ。母上もそうで、最後は笑って亡くなったよ」
「母上が……」
もし生きていることを知っていたならば、亡くなる前に会いに来たのに。だけど、そんな余裕なんてなくて。
「姉上も生きていて本当によかった。これからは一緒に暮らそうね」
「ええ」
「私も一緒に」
「仕方ないなあ。ああ、だけどサミュエルも一緒だからね」
カウディアの言葉にマルクは酷く嫌そうな顔をした。それがとても面白くて笑ってしまった。
☆
「ソラディア様」
「サミュエル。もう様なんてつけないで頂戴。私はもう王女ではないのだから」
「そうですね」
私の隣でサミュエルが遠い目をしながら頷く。
彼は私を庇ったせいで、背中に酷い怪我を負ってしまった。完治するのに時間がかかって、こうして彼と一緒に散歩するのは1年ぶりだった。
マルクの手配で、私たちはここにいる。
公式には、あの襲撃で賊として殺されたことになっている私たちだ。
ここはカウディアが5年間暮らしてきた場所だ。
マルクの母方の家が所有していた家で、今はマルクの持ち物になっている。
彼は首相の場を退き、引退はこの地での生活を望んだが、議会ではまだ彼の力が必要で、数か月に一度こちらに戻ってくるくらいだった。
「ソラディア様。いえ、ソラディア。私は、隣国に行こうと思っています。あなたの傍にはもうマルクがいるので」
「サミュエル?どういう意味?」
「ですから、ソラディアは、マルクと結婚されるつもりなのですよね?」
「そんなこと、誰が?確かに私はマルクと恋人同士だったわ。でも昔のことよ」
「ですが……」
「サミュエル。あなたが隣国にいくなら、私も連れて行って。カウディアは悲しむかもしれないけど、マルクがいるから」
「……ソラディアは、それでいいのですか?」
「当たり前よ。この5年、私たちはずっと一緒にいたわ。これからも一緒に……。いや?もううんざりしてる?」
「そんなこと、とんでもない」
「だったらよかった」
サミュエルが優しく微笑んでくれて、ほっとした。
5年前、彼は私を救ってくれた。
それからずっと一緒にいてくれて、彼がいない生活は考えられないくらいになっていた。
数か月後、私たちは隣国へ出発した。
カウディアは最初泣いてしまったけど、最後は笑って見送ってくれた。
マルクは酷く怒っていたけど、見送りはしてくれた。
「サミュエル」
国を離れて、二人で船に乗った。
静かな海を横目に彼を仰ぎ見る。
「なんでしょうか?」
「私を、あなたの妻にしてくれないかしら?」
「は?えっと」
この5年ちょっと、彼の動揺した姿なんて見たことがなかった。
けれども今の彼は目を白黒させて、顔が少し赤い。
「だめ?一緒に旅をするのであれば、結婚していたほうが色々楽でしょう?」
「そうでしょうが……」
「嫌?」
「そんなこと、とんでもない。だけど」
「だけど?なに?」
「妻になるって、どういうことかわかっているのですか?」
「わかってるわ。私はあなたの子どもが生みたいの」
「ソラディア!」
サミュエルは片手で顔を覆って、そっぽを向いてしまった。
「だめ?」
「だめじゃないですが……」
「じゃあ、妻にして。隣国についたら手続きしましょう」
海を見たままの彼に腕を絡めると、顔を覆っていたはずのサミュエルがいつの間にか私を見つめていて、それがあまりにも熱っぽくて逃げるように目を逸らしてしまった。
「ソラディア。あなたが言い出したことですからね」
影が、そう思っていたら口を塞がれた。
サミュエルとの初めての口づけは、海の味がした。