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彼はどんな気持ちだっただろう。
怒鳴ることも無く、何も言わずうちで唯一綺麗な自分の部屋の真ん中に座り、一息ついた。
僕が無邪気にそのあぐらの中に座ると、僕の頭を撫でてくれた。
そして一言。
「わしの育てかたが悪かったかの、、、」と言ったのを覚えている。
これが覚えている、曾祖父さんの最後の言葉だ。
曾祖父さんが亡くなるまではその家に住んでいた。兄は不登校ではあったが、優しい人だった。よくガンダムのプラモデルを一緒に作ったりしていた。
母はスナックのママをしていた。朝帰って来てはひっくり返って昼過ぎまで寝ていた。家事はしないにしろ、愛のない人では無かった。だからこそ、タチが悪いのだが。
おばあちゃんは曾祖父さんの看病と仕事で、別の場所に住んでいたと思う。
兄は夜、母の居ない家でお腹が空いたとぐずる僕に何か作ろうとしてくれていた。
僕はスクランブルエッグが食べたいと言った。
兄が小学校6年、僕が5歳の頃の事だ。兄とは7歳離れていた。
家に油が無く、兄が買ってくると出かけた。そして兄は数人の大人と帰ってきた。
兄は万引きをして、補導されたのだった。