我らが加護で眠れ
男の悲鳴が貨客船の上に響き渡る。
翼を生やした悪魔が乗組員の腕を掴み、曇天の空へと運び去る。下卑た笑い声と共にもう一匹同形態の悪魔が飛来し、乗組員の脚を掴んだ。二匹でひっぱり、胴体を引きちぎろうというのだ。
乗組員は悲痛な叫び声を挙げて命を乞うが、それは悪魔を煽る事にしかならない。悪意がそのまま形を持ったような醜悪な二匹の悪魔は、より大きく裏返った笑い声を挙げて乗組員を思い切り引き裂いた――。
――かと思われたが、胴体が裂かれたのは悪魔たちの方であった。驚き、墜落していく悪魔の目に最後に映ったのは、乗組員を抱え空を飛ぶ巨大な猛禽の爪だった。猛禽の爪は悪魔の顔面を捉え、細切れに引き裂いた。
「遅れてしまってごめんなさいね~」
甲板に降り立ち乗組員を下ろしたのは、猛禽ではなく白い肌をした女であった。女は何度もお礼を言って船内に駆けて行った乗組員の背に向け、おっとりとした動作で手を振った。彼女の背には闇に溶け込むような大きな翼が、その手足には猛禽に似た爪のような武器が取り付けられていた。
走り去る乗組員と入れ替わりで、黒肌の男が現れた。身の丈は2メートルを超え、その体は衣服の上からでも分かるほどに鍛え上げられていた。持って生まれた黒い肌と、狩人のような鋭い眼光が男の精強さを更に際立たせていた。
「船内は片付いた、そちらは」
男は低く通る声でそう言うと、肩に担いだ巨大な槌の様な物を振るい、悪魔のものと思われる体液を払った。
「さっきの人で全員避難できたわ~」
「……見ていた。危うく人死にが出るところだ。気を引き締めろ」
「ごめんなさいね~」
人智を超えた悪魔達を殺した後にも関わらず、二人はまるで平常時のような声色で話していた。更に奇妙なのは、どちらの人物も聖職者を思わせる衣服を身に纏っているところだ。聖歌隊のような最新鋭のものではない、どこか古典的な装いだった。
「残りは空と海中か。上は任せた」
黒肌の大男の言葉に、「は~い」と女は答え、暗い空へ向かって音もなく飛び立ち、羽虫のように空を覆う悪魔達の群衆の真っただ中に、するりと飛び込んだ。悪魔達は彼女が自分たちの中心に来たことに気が付く事すらできなかった。
「あらあら~、悪い子がこんなに沢山」
女がゆるりとした口調でそう言った時、ようやく悪魔達は彼女の存在に気が付いた。奇声を上げて一斉に悪魔達が飛びかかるが、女は焦りもせずに緩慢な動作で構え、
「Lamasilenziosa……」
小さく呟くと同時に、十数体の悪魔が音もなく切り裂かれ宙を舞った。並大抵の銃火器では傷をつける事もままならない悪魔たちが、何も抵抗出来ないままただの肉塊へ、塵へと変貌していく。悪魔を葬る片手間に、女は耳に取り付けられた機械をいじくり、応答を待った。
「もしもし~? 兄様~?」
『何か問題か』
「空に居るのは低級悪魔ね~だからたぶん、海に居るのが――」
女の言葉を遮るように水しぶきが上がり、その奥から巨大な蛸のような悪魔が現れた。海上に姿を現した体の天辺には、人がへばりついていた。半身が巨大な蛸と同化した、悪魔憑きだ。
「せっかく悪魔を従えられるところまできたというのに! 邪魔をするな!!」
悪魔憑きは叫ぶと空中に居る女に向けて蛸の脚を伸ばしたが、捕らえる事ができずに苛立たし気に海面を叩いた。その衝撃で波がうねり貨客船が大きく揺れ、船客の悲鳴が大海原に小さく聞こえた。
「ごめんなさいね~貴方の相手は私じゃないの」
女はおっとりとした口調でそう言うと、ちょいちょいと眼下の貨客船を指さした。船体が大きく揺れ動いているにも関わらず、甲板の上の男は微動だにしていなかった。あまつさえ、平坦な陸地を歩くかのように、まっすぐ悪魔憑に向かって歩き始めた。
黒肌の大男が手にした巨大な槌を振るうと、頭の部分がガチリと重々しい金属音と共に開き、内部の赤く熱された機構が覗いた。揺れ動く船体に降りかかる飛沫が当たり、ジュウと音を立てて蒸発する。
「人の身に産まれながらその魂を売った外道。貴様のような悪魔に生きる価値なし……」
男は走り出し、甲板から飛び出し悪魔の頭上にその槌を大上段に構え、
「Martello del giudizio!!」
咆哮と共に振り下ろした。悪魔憑きの人間部分を真ん中に捉え、火を吹く槌が悪魔の何体にめり込み、焼き焦がす。巨大な悪魔憑きは叩き潰された蛙のような断末魔を残して絶命した。
塵となる前に悪魔憑きの体を蹴って、男は甲板に戻った。その隣に女が降り立つと、ちょうど二人を照らすように陽の光が差し込んだ。揺れが収まり、様子を見に出てきた乗組員や船客の眼に、神々しいまでに輝く二人の姿が映った。
当然、船の上は狂喜乱舞。諦めかけた命が救われた歓喜の叫びは船を揺らした。乗組員や乗客は、二人を神か何かのように崇めた。そんな人々を一瞥してから、女は空を、男は海へと視線を向け、
「「In boccaal lupo……」」




