私が殺した
後ろ手にドアを閉めて、千晴はその場にずるずると座り込んだ。
床に体が落ち着くと同時に全身から汗が吹き出し、心臓が跳ねあがった。一気に鼓動が早まり、冷え切った全身に血液が巡るのが分かった。そんな中、彼女の口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。汗が浮かんだ顔で口角を引き上げ、体を震わせて笑った。
よかった、死んでなかったんだ。
私の勘違いだったんだ。
そうだ、そうに決まってるんだ。
千晴の脳裏には、姉と過ごした日々が浮かび上がっていた。いつもはぼんやりと思い浮かべるだけの日々に、色が付き、動き出し、音が沸き起こる。
まり姉ぇはいつでも優しかった。いつも自分を守ってくれた。どんな時でも傍に居てくれた。だから、そんな姉のように強くてかっこいい人になりたかった。だからこうして体を鍛えて誰かのためになることを――。
『まり姉ぇ……まりねぇっ!!』
『ちぃ、ちゃ………』
「――――――ッ!!!」
千晴の頭に浮かんでいた映像が、朱に染まった。
自分の腕の中で息絶える最愛の人。
誰が殺した。
私だ。
村の人たちも一緒に殺した。
私が皆を殺した。
私に悪魔が憑いて、それに気が付いた村の人たちが私を蔵の柱に縛り付けた。怖くて怖くて、何が何だか分からなかった。まり姉ぇも助けてくれなかった。縛り付けられた私を暗い蔵の中に残して、村の人たちと出て行ってしまった。いつも私を守ってくれていたお姉ちゃんが私を置いて行ってしまった。
見捨てられた。
そう思った瞬間、腹の中が渦巻くような感覚を覚えた。熱くてどろどろしたものが腹の中にとぐろを巻くように動き回り、体が弾け飛びそうなほど震えた。その渦が腹から頭に上って来た、そう思った瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
そして気が付いた時には、皆を殺していた。
まり姉ぇを――殺していた。
そうだ、あの時確実にまり姉ぇは死んでいた。だから、いまさら生き返るだなんて都合のいい事は起きない。それに姉が生きていたとして、村の皆を殺したことに変わりは無い。ああそうだ、私は薄汚い人殺しの――悪魔だ。
「…………」
どれくらい座っていたのだろうか。顔を上げて窓を見ると、朝はあんなに晴れていた空が黒雲に厚く覆われていた。薄暗い部屋に、千晴は一人きりだった。
「…ぁ……っ」
暗い部屋に一人きり、暗い場所に、暗い。蔵、ここはあの時の蔵。暗い。嫌だ、臭い、やめて、気持ち悪い、どろどろ、ぐるぐる、熱い、熱い、お姉ちゃん、どこ、やめて、血だ、血、赤、血、嫌、いやだ、嫌、いや、嫌――。
「うぁ……ああああああっ!!」
千晴は駆け出し、倒れ込むようにベッドに飛び込み、薄い布団を頭から被った。目をきつく閉じても、どれだけ叫んでも、姉を殺した時の映像が頭から離れない。
こんな時、昔なら姉が抱きしめてくれた。怖い夢を見た時、学校で嫌な事が会った時、姉はいつも優しく体を寄せて、少し乱暴に頭を撫でてくれた。それで安心できた。自分の中から恐怖が溶けだした。
でも今は、姉は居ない。
自分が殺したのだから。
「ちがう、ちがうぅう……ッ!」
違わない、何も違わない。お前は自分で自分の姉を殺した。あれだけ自分を愛してくれた人を殺した。お前は悪魔だ。
自分の中の何かが声を挙げて千晴を責め立てる。その度に叫び声を挙げて否定するが、その声は無くならない。いつもは閉じ込めていた罪の意識が、とめどなくあふれ出る。悪魔の罪を突き付けられ、人間の千晴は壊れる寸前だった。
「やだ…やだやだぁ!いやだぁああああっ――――」
ふわりとした布団の感触と共に、何かが千晴を包み込んだ。優しく、けれどもしっかりと彼女の体を何かが抱きしめた。錯乱したまま声も出せない千晴の耳に、聞きなれた優しい声が届いた。
「大丈夫ですよ――御鬼上さん」




