ハカセと千晴の出会い
御鬼上さんは離れた場所の私に聞こえるほど大きく息を吸い込むと、腰の刀を引き抜いた。突然の事に何もできずに固まっていると、御鬼上さんは大股でこちらに近づき、刀の切っ先を毬音に突き出して叫んだ。
「てめえいったい誰だ!! タチの悪い変装しやがって!!」
腹の底から出たような。いや、それ以上の深いところから叫ばれた声に、私は肌がビリビリとひりつくのを感じた。すさまじい怒りが彼女の眉を吊り上がらせ、瞳すらも鋭く尖らせ、正に鬼の形相だった。
けれど、つり上がった眉にはどこか恐れのような歪みが、鋭い目つきにはどこか怯えのような揺れがある、ように私には見えた。かといって何ができるわけでもなく、私は何もできずに座っている事しかできなかった。
他の皆も、突然の出来事に私と同じように体を動かすことができないようだった。
「……」
対照的に毬音さんは己に突きつけられた刃先を、ただじっと眺めていた。眼前の刃物も、御鬼上さんの怒気も意に介していない様子で、その視線を切っ先から御鬼上さんの顔に向けた。
「あの……どちら様でしょうか」
「な……っ」
御鬼上さんは裂けてしまうのではと思うほど目を見開いた。瞬間、御鬼上さんから発せられていた怒りの気配が緩み、とっさに私は立ち上がった。
「お、落ち着いて下さい!! いったいどうしたんですか!」
「なんでだ……なんで生きてるんだ!!」
「どういう意味ですか?」
「そんな、こん、な……ありえねえだろうが!!」
「私、なにか気分を害することでも?」
何を話しているのか分からなかった。こんなに取り乱した御鬼上さんは見たことがなかった。とにかく、毬音さんはここにいない方がいい。
「ごめんなさい、今日の所はお引き取りを……」
「そうですね、ではまた後日」
毬音さんは何でもないように立ち上がり、そのまま出て行ってしまった。閉じられたドアの上で鳴るドアベルの音がやけに耳に残って、体が固まるようだった。ベルの音が消えると御鬼上さんの荒い息遣いが聞こえ、我に返った。
「御鬼上さん、一体どういう……」
「待って、危ないよ」
私が御鬼上さんに近づく前に、王狼さんが割って入って来た。王狼さんは刀を握った御鬼上さんの手を掴むと、そのまま降ろすように促した。半分強制されるような形で、御鬼上さんはそのままゆるゆると刀を降ろした。
「あはは~☆ 預かっとくね~☆」
「……火中の栗を拾う」
間違ったことわざを呟きながら、花牙爪さんは刀を受け取った。蛙田さんが鞘を外して刀身を刃に納めたところで、御鬼上さんはふらりとよろめいた。王狼さんがとっさに支え、バーカウンターのスツールに腰掛けさせた。
「まずは落ち着け、いいな」
「ああ、悪い……」
御鬼上さんの顔は真っ青だった。先ほどまで怒りで赤らんでいたぶん、その色の悪さが更に際立つようだった。私は急いでキッチンに飛び込み水を持ってきた。それを手渡すと、御鬼上さんはほとんど聞こえない掠れた声で「ありがとう」と言って口をつけた。
「落ち着いたか」
王狼さんの言葉に、御鬼上さんはぎこちなく首を振って答えた。
「さっきの事、話せるか」
「ああ、大丈夫だ……さっきの女がな、身内に似てたんだよ。それでちょっと取り乱しちまっただけだ。もう大丈夫だ、だから……悪い、ちょっと休ませてくれ」
とぎれとぎれ言葉を口にした御鬼上さんは立ち上がると、ふらふらと階段に向かって行った。事情は全く分からなかったけど、これ以上聞くのは今は難しいだろう。手を貸そうとしても「大丈夫だから」と青い顔のまま笑って、階段を上って行ってしまった。
どういうことだろうかと皆に視線を向けるけれど、王狼さんは険しい顔のまま首を横に振り、蛙田さんと花牙爪さんも同時に首をかしげるだけだった。
「なんか騒いでたがどうした」
御鬼上さんと入れ替わりでハカセが現れた。相変わらずコーヒーを啜りながら首や肩を鳴らしている。さっきの御鬼上さんの様子を説明すると、ハカセは表情を曇らせた。
「なんだ、何か知っているのかいハカセ」
「あはは~☆ そうなの~?」
「知ってる、わけではないがまるきり心当たりがないわけでもないな」
「……二階から目薬」
「もし、知っていることがあるなら話していただけませんか。御鬼上さんの口から聞くのが一番だとは思うんですが、あの様子じゃ……さっきの御鬼上さんは明らかに変でした」
ハカセは長く息を吐き出すと、話し始めた。
「もう何年前だ、5年かそこらか……私は悪魔研究の足しになればと田舎の風習なんかを調べてた。この御時世、政府や大企業の庇護が受けられる都市以外に住んでる奴らなんざ、碌でもない犯罪者か、『別口』で悪魔に対抗する術を持っている連中しかいない」
私が思わず「別口?」と繰り返すと、ハカセはコーヒーを何度か啜ってから続けた。
「怪談話でもよくあるだろう、田舎の怪しげな祭りやらなんやらで訳の分からん存在を呼び寄せたりな。九分九厘ろくでもない作り話だ。だが、ほんの一部だけ本物がある。私が調べて調査した範囲だけでも『羹ヶ陀多螺』『阿真摸女』『ミマツガヱヤ』なんかはマジもんだった……ああ、こういうマジなやつはネットで調べても出てこないぞ」
ハカセに指をさされて、蛙田さんは唇を尖らせてスマホをしまった。
「それで、その訳の分からない怪談話があいつとなんの関係があるんだい」
「焦るな王狼……御鬼上と出会ったのはそうやって私が地方の伝承を調べている時なんだ。その時私が調べていたのは『燼鬼』と『常夜之桜』だった。」
「それで、その二つと御鬼上さんに何の関係が?」
「さあな、はっきり言って全く分からん。なにせ集落は全部焼けちまってなあんにも残っちゃいなかったんだ。まだ火が燻る灰の山がいくつもある真ん中で、あいつはひとりで座り込んでいた。血まみれの刀を握りしめてな……顔覗き込むと、血と泥と灰で汚れた顔に泣いた跡がはっきり見えたよ。涙と一緒に感情も全部流れ落ちちまったみたいな顔しててな。流石にビビったね」
ハカセは乾いた笑いをひとつあげ、またコーヒーで口を湿らせた。
「その後は御鬼上を連れてさっさと逃げちまった。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだからな」
「だったら、毬音って人はもしかしてその人たちを、御鬼上さんの家族を殺して逃げた悪魔憑きなんじゃないですか? だから御鬼上さんはあんなに取り乱して……!」
ごきりと肩を鳴らし、ハカセは「それならいいんだがな」と言って、そのまま黙り込んでしまった。少しの間沈黙が続き、ハカセは空になったコーヒーカップをバーカウンターに置いた。
「真理矢が言った通りならそれでいい、これからその女を追いかけて戦えばいい。ただ……ただな、私は泣いてるガキをなんの理由もなしに引き取るほどお人よしじゃないんだ。その時の御鬼上はな、今まで見たこともない魔素を体に宿していた、だから連れて帰ったんだ。だから、もしかすると……」
じわ、と体に嫌な汗がにじむのを感じた。
頭が勝手に断片を繋ぎ合わせ始める。
死屍累々の中、御鬼上さんだけが生き残っていた。
握りしめていた血まみれの刀。
御鬼上さんはハカセが驚くほどの魔素を宿していた。
さっきの御鬼上さんの顔。
浮かんでいた感情は怒りだけではなかった。
怒りの裏に、怯えや恐怖が滲んでいた。
「そ、その亡くなった人たちは悪魔憑きだったんですか?」
「ほぼ間違いなく人間だろうな。悪魔憑きは死んだら灰になる」
ああ、そんな。
だったらその人たちを。
人間を。
御鬼上さんは、殺してしまったのか――。




