常夜之桜
薄色の花片が舞っている。
最期の時を懸命に舞った花片は地に落ち、土へと還る。
舞い散る花は、辺りを薄桃色に染め上げていた。
見上げるほどの桜の巨木が花を咲かせていた。
辺りの人工物とは比にならぬほどに強靭な幹。
地中に張り巡らされた根は、深く深く伸びて脆弱な人間の建造物を押し退ける。
空を覆うほどに枝を伸ばし、薄く美しい色の花を咲かせている。
巨木に人間は畏怖を覚えるものである。
だが、その樹は美しさ以上に怖気を感じさせた。
人智を超えた――悪魔のような気を立ち昇らせていた。
それもその筈。
この巨木が根を張る場所は、魔素の噴出口。
俗に『魔屍画』と呼ばれる、その一角だった。
季節を外れて咲く大桜。
その幹の元に、ひとつの影があった。
影は血に濡れた青い剣を携えていた。
その剣は長く、刀身が柄の十握り分ほどもあった。
影は――女は、その剣を大桜の幹に突き立てた。
数舜の後、木の幹が音を立てて伸び始めた。
その音は、数多の生物が悲鳴を挙げているかのようだった。
本能的な恐怖を呼び起こし、体を掻き毟りたくなるような悲鳴。
それが、幾百も重なり合うような音。
悲鳴は長く長く尾を引きながら薄桃色の空間に消えて行った。
女が剣を引き抜くと、刀身を濡らしていた血は一滴も残されていなかった。
長剣を鞘に納め、女は大桜を見上げた。
「もう、すこし……」
ぽつりと呟かれた女の声は、まるで生気がなかった。
喉を締められたかのようにか細く、それでいて心の臓にまで響くような声。
全身の臓腑が凍り付くような、冷たく暗い声。
およそ人が発せられる音ではなかった。
女は大桜から虚ろな視線を外し、踵を返して歩き始めた。
長剣を携えたまま、薄桃色の空間の外へと向かった。
その空間から離れる瞬間、女は再び口を開いた。
「待っててね……ちぃちゃん――」
蒼き鬼が、薄く笑った。
ここから魔屍画編となります。
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