ありがとう
「自分で割った床を踏み抜き、その下にこれか……外道には報いがあるものだ」
お姉ちゃんの言葉で、何が起きたか理解した。シュナは自分で踏み砕いた床から落ち、そしてたまたまあった鉄パイプで串刺しになったんだ。
「あ…が……なに、なにっ…がふっ……!!」
今、目の前に広がる光景。
胸を貫かれ、己の血で自身の体を汚すシュナ。
私をいじめた子が、もがき苦しんで死にかけている。
何度この光景を思い浮かべただろう。
頭の中で、夢の中で、何度も何度も私は彼女を殺した。
恨みを込めて、惨たらしく、何度も何度も。
何度も。
そうやって夢にまで見た光景が、目の前にあった。
「おい、どうした……」
「真理矢……?」
気が付けば視界がぼやけていた。
零れ落ちそうな涙に困惑した。
ただただ、自分が情けなかった。
私はこんな惨いことを彼女にしたかったのか。
こんな酷い事を妄想して、うっ憤を晴らしていたのか。
そうやってうすら笑って自分を慰めていたのか。
私は、なんて醜い人間なんだろう。
素敵な人に出会えたのに。
綺麗な世界を見せてもらったのに。
幸せに、してもらったのに。
こんな姿になったのも納得だ。
私はどうしようもなく、醜い存在だったんだ。
「あはは~☆ 危ないよ~☆」
「……猫に鰹節」
気が付くと、私は彼女の元へと歩み寄っていた。
シュナは自身に何が起きたか理解していないようだった。
「ふざけんじゃないわよ……私はこんな、こんな…あんたなんか……牛窪!! 早く来なさいよ!! 牙! 毒棘!! 鉄屋!! 誰でもいいから、はやく…こいつを……!!」
ああ、この子も同じだ。
あの時から変わってない。
自分の歩んできた道を何度も振り返ってしまう。
私も彼女も、そんなどうしようもなくちっぽけで醜い人間。
悪魔に憑かれても、聖女になっても変わらない。
このままじゃ駄目だ。
過去から逃れられない。
私の未来が救われない。
私は月明かりに足を踏み入れた。彼女の胸から伸びた赤い管を目で追い、彼女の顔を見た。私の視線に気が付いたのか、シュナと目が合った。
「あ、あんた……」
「…………」
「その、目……その目をやめろ!!」
彼女は血反吐を吐きながら叫んだ。
「その目が気に入らなかったのよ! 私はクラスの中心で、どいつもこいつも私の御機嫌取りをしたわ。私がやれって言ったことは男子も女子も平気でやった! なんでも、なんでもね!! ……でも、あんただけはいつもその目で私を見てた。哀れなものをみるような目で、その目が、その目がうっとうしかったのよ!!」
止まらない怨嗟の言葉。
ぶつけられる言葉は毒液のようにじわじわと私に浸み込んでくる。
私の内側からふつふつと嫌な熱が湧き上がってくる。
「なんであんたは馬鹿にされないのよ! お料理が好きだお菓子が好きだお花が好きだって、幼稚園児みたいなこと言ってるのに何であんたはそんなに楽しそうなのよ! なんでそんな子供みたいに、そんな…なんで……真っすぐでいられるのよ……ッ! 私は、あんた、みたいに……!」
彼女の口からこぼれ出る言葉を聞いても、どうしても可哀そうだとは思えなかった。彼女の瞳には涙がたまっていたけれど、少しも心は動かなかった。
「言っておくね……私はやっぱり貴女を可哀そうだなんて思えないよ。貴女のせいでいったい何人の人が不幸になったと思ってるの。それを反省もしないで、またこんなことを繰り返して……許せるわけないよ……」
湧き上がってきた嫌な熱がお腹から喉へ上がってきて、蒸気のように怨毒が口から漏れだす。私は口を一度閉じ、頭や胸の中でぐるぐると渦巻く感情を抑え込んで、大声で叫んだ。
「でも――私はあんたを許したい!」
勝手に涙が瞳からぽろぽろ落ちていく。悔しいのか、悲しいのかもう分からなかった。ただ、ぼろぼろ涙を流すごとに私の中の汚い怨嗟の毒が流れ落ちていくように感じた。流し出しても次々湧き上がってくる毒に負けないように、私は声を張り上げる
「あんたなんて大っ嫌い! でも、許さなきゃ私は駄目なの!」
私はゴブリン姿のまま跪いてシュナの手を握った。
「だってもう、死んじゃうんだもん……! もう二度と許せなくなっちゃう。だから、本当はまだ許したくないけど……私はあんたを許す…許すよ……!!」
私の言っている事が理解できない、そんな顔でシュナは私を見ていた。でも、その顔は今まで彼女が私に向けた顔の中で、一番人間らしい顔だった。
「だからあんたも……次、生まれ変わったら――周りの目なんて気にしないで真っすぐ生きようよ……!」
「……なんでよ……なんであんたはそんな姿になっても……」
胸から塵となって消えていく彼女は、最後に涙を一筋流し、
「綺麗な目、してんのよ――」
そう言い残して跡形もなく消え去った。
「……」
「よお、終わったな」
ぽん、と御鬼上さんが私の頭に頭に手を置いた。私は黙ったまま立ち上がり、涙を拭って御鬼上さんの顔を見上げた。
「お前は優しいな」
「……あの人のためを思って許したんだって、そう思いますか?」
「違うのか?」
「違います……私は教わったんです。人を恨むってことはその恨んだ人と生きてく事なんだって。許せない限りいつまでもその人と離れられないって……私はせっかく教えて貰ったその事を忘れてました。だからあんな夢をみたんです。何度も、何度も……だから私の恨みを、今ここに捨てただけです」
淡々と言う私の頭を御鬼上さんはもう一度撫で、
「……ま、なんにしてもすっきりできたんだろ?」
そう笑顔を見せてくれたので、私は黙って頷いた。すると、皆が続々と私に駆け寄ってきた。無事を喜んでくれる声、勝利を讃えてくれる声、自分勝手に皆を巻き込み、自分勝手に解決した私にはもったいない言葉の数々。
私はさっきまで流していた涙とは違うものが流れるのを感じた。
皆に「本当にありがとう」と泣きながら伝えた。
ふさがっていた視界が思い切り開けたような気持だった。
こんな気持ちになったのはあの時以来だ。
あの人と初めて会ったあの時以来。
皆に、貴女に会えて私は本当に幸せでした。
ありがとう、菊さん――。




