ゴブリンの頭
月明かりを避けるようにシュナは再び姿を消した。
周囲に視線を向けても、その姿は見えない。
「危ない!」
お姉ちゃんの声が聞こえたと思った瞬間、急に体を引っ張られた。突然の事にふらつき地面に転がると同時にまた刃が交わる音。倒れたまま振り向くと、お姉ちゃんがシュナに向けて武器を振るっているのが見えた。でも、お姉ちゃんの攻撃は彼女を捉える事はなく、また闇に消えた。
「あはは、惜しかっ……」
「もう喋るな! 貴様の声を聞くと腸が煮えくり返る!!」
大声を張り上げると、姉ちゃんは武器を構えた。今まで聞いたことの無いような吐き捨てるような叫び声。歯を食いしばり、つり上がった眉や鋭い視線には憎悪すら感じられた。
「貴様のせいでこの子がどれだけ苦しんだと思っている! それにこの戦い方……悪魔が憑いても貴様は卑怯者のままか! 正々堂々正面からかかってこい!!」
「あんた何言ってるわけ? それに私の方こそ……まあいいわ、正面から行ってあげる」
シュナは両手を開き、金属の脚を鳴らしながらお姉ちゃんに近づいた。歩きながら、彼女は挑発するように爪をくいと動かした。その挑発に乗った形でお姉ちゃんは武器を振るい、青白い奇跡が空を切る。
シュナの姿はすでになく、周りを見渡してもどこにもいない。さっきまでシュナがいたところは大きくひび割れ、一部が下の階に崩れ落ちそうだった。ふと、月を隠していた雲が流れ、月明かりが周囲を照らす。お姉ちゃんに被る影。
「お姉ちゃん上!!」
「――ッ!!」
彩芽お姉ちゃんが咄嗟に上段に武器を構えると同時に、シュナが上空から爪を振り下ろした。
「この翼飾りだと思ってんのぉ!?」
「こ、のぉっ!!」
爪をはじき返して上空へ押し戻すが、またすぐに大きな爪がお姉ちゃんに襲い掛かる。何とかしのいでいるお姉ちゃんだけど、このままではまずい。
聖歌隊の装備は稼働するのにエネルギーを消費する。背骨に沿うように見えるエネルギー残量は、既に半分ほどにまで減ってしまっている。普通はこんなに減りは激しくない筈だ。シュナの攻撃は見た目以上に重いらしい。
「油断してると……こうよ!!」
「……ッ!!」
時折私に狙いを変え、それを庇うためにお姉ちゃんは無駄にエネルギーを消費してしまう。逃げようにもシュナの動きは早く、こんな短い脚ではどうすることもできない。そのうちに装備のエネルギーはどんどんと消えていく。
「邪……魔ぁ!!」
「うぐっ!!」
私を庇ったお姉ちゃんは、装備の出力が足りずに吹き飛ばされてしまった。壁に当たりうめくお姉ちゃんの背中に見えるエネルギー表示は、ほとんどゼロに近かった。お姉ちゃんを気に掛ける暇もなく、シュナが私の前に立つ。私は骨ばった緑の腕を構えるが、鼻で笑われた。
「さあて、どうしてあげようかしら」
「……っ」
「一思いに殺しちゃつまんないし……そういえばあんたの血は悪魔憑きの利益になるのよね?」
すぱん、と空気を斬るような音の後、頬に感じる鋭い痛み。シュナが爪についた私の血を舐めとった。姿こそ変わりはしなかったものの、その身から放たれる殺気は比べ物にならないほど鋭くなっていた。
「ああ、悪くないわね。余計な思考がそぎ落とされていく感じ……いいじゃない。殺さないでいてあげる。でもそうね、逃げられたら面倒だし……手足をもいでつるしておこうかしら?」
そう分かる嗜虐的な笑みを浮かべる彼女の瞳は、恐ろしい色に染まっている。この人は本気だ――。恐怖でぶるりと体が震えると同時に、がつんと何かが私の頭にぶつかる。よろめきながらも顔を上げると、シュナが金属の脚を持ち上げていた。蹴られたのか。
「たっぷりいじめてから吊るしてやるわ」
もう一度襲い来る脚を咄嗟に腕で防ごうとしてしまう。振りぬかれた脚はゴブリンの腕を簡単にへし折った。あまりの激痛に私の口から勝手に叫び声が挙がり、目の前がチカチカした。
「あはは、アイツじゃないけど……いい声出すじゃない」
頭以外で受けちゃいけない、私は三度襲い掛かってきた彼女の脚を、頭で迎え撃った。痛みは腕ほどではないけど、脳を揺らされふらつき、その隙にまた頭を蹴り飛ばされる。
「いいじゃない、何発持つかしら」
「や、やめろ……!」
「待って!!」
背後で立ち上がろうとするお姉ちゃんに向けて叫び、振り向いて無理やりつくった笑顔を見せた。
「大丈夫、私も戦うから……!」
「まり、や……」
前に向き直る前に、頭をボールのように蹴りつけられる。踏ん張り、踏みとどまった頭にもう一度。ぐらぐらと歪んだ視界に振りぬかれる脚が見え、また衝撃と痛みが私の頭を襲う。頭に傷が付いたみたいで、流れ落ちてきた血が片方の目に入った。
「う、ぐ……」
「これが戦い? これはねえ、いじめって言うのよ!!」
襲い掛かる脚に頭を突き出す。がつんと大きな音がして私ばかりにダメージが通る。何度も、何度も何度も蹴りに合わせて頭を振る。立ってるのか、倒れてるのか、どっちが上でどっちか下なのか 分からなくなってもひたすらに頭で迎え撃つ。
「まだ、まだぁ……ッ!!」
「~~っ! とっとと倒れなさいよ!!」
シュナは思い切り脚を振り上げ、その鋼鉄のかかとを私の頭に向けて振り下ろした。風を切る音に体が強張ったけど、精一杯背伸びをするように頭を突きあげた。ひときわ大きな衝突音が響き渡り、シュナは体勢を崩した。
「なっ……」
「ぐ…うぅ……」
でもそれだけ。
少しよろめいただけのシュナに対して私はもう限界だった。ふらふらと二、三歩後ろによろめき、倒れてしまった。なんとか上半身を起こすけど、そこからはなにもできない。ぼやけた視界でシュナを見上げる事しかできなかった。
「あ…ははは! やっと倒れたわ! いい加減アンタも――」
瞬間、私の後ろ――お姉ちゃんが倒れていたところから空気が噴き出るような音がした。ぼやけた視界を上に向けると、青白い光が。私が時間を稼いでいるうちに、エネルギーが回復したのだ。
お姉ちゃんは武器を構えて叫び、一気に急降下してきた。シュナは一瞬焦ったような顔をしたが、すぐに体制を整えた。迎撃は間に合わないと判断したのだろう。また闇に紛れようと地を蹴った。その時だった。
「な――ッ!」
彼女の鋼鉄の脚が、音立ててひび割れた。何度も、何度も私が硬い頭をぶつけた脚は限界が来ていたらしい。ひびが入っただけで、壊れたわけではない。でも、一瞬の隙を救るには十分。
「はぁああああ!!」
叫びと共にお姉ちゃんは武器を振り下ろした。息を吐き、膝をついたお姉ちゃんの装備から光が完全に消える。それと同時にシュナの体、その中心の線から一文字に血が噴き出した。
「が、あ……ッ」
よろめき、血を滴らせるシュナだったが、倒れ伏す寸前のところで踏みとどまった。そして血に濡れた顔を持ち上げた。倒しきれなかった。お姉ちゃんの装備はすぐには使えない。
「あ、あんた達……ッ!」
「今だ! 真理矢!!」
私は飛び起き、膝をつくお姉ちゃんの背を蹴り、飛んだ。血濡れの顔を持ち上げ、目を見開くシュナ。空中で無理やり体を反らせ、十分に反動をつけて頭を振り下ろす。
「だぁあああああああ!!!!」
ぐちゃ、という嫌な感触と共に、私の頭はシュナの顔を潰していた。受け身も取れずに私は地面に落ち、なんとか動く顔だけを上げて彼女を見上げた。
彼女は瞬時固まってから、顔面から血を噴き出させた。そしてそのままよろよろと後退していく。踏みとどまろうと足に力を込めるが、ひび割れた脚では彼女の体を支えきることはできず、その場にどさりと倒れ込んだ。




