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聖女ゴブリン 今日も嘆く  作者: 海光蛸八
田中真理矢 という人間
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黒と銀と、金

 重い、悪魔の足音が重なる


 限界まで鍛え上げられた肉体から発せられる堅牢さと、煌びやかな装具から発せられる音楽にも似た重厚さという対極にあった。だが、その重みが意味するところは同じ。人並外れた、悪魔じみた強者の発する音。その音がひとつまたひとつと重なり、そして止まった。


「だらだらやんのは好きじゃねえ、手っ取り早くインファイトでいこうぜ牛さん?」

「上等だ……」


 千晴と牛男は互いの手の届く距離まで近づき、睨み合った。足音の代わりに空気が重く張り詰める。外の音も、階下の音も上階の音も、今の二人の耳には入っていなかった。


「……―――らアァッ!!」


 口火を切ったのは牛男だった。黒色に輝く拳が顔面にめり込む前に、千晴は上体を屈めるようにしてかわした。大振りの一撃にカウンターを決めようと拳を構える千晴だったが、巨体に見合わぬ体の戻しと攻撃の速さに、またも体をひねってかわした。


「――だあぁっ!!」

 

 だが、振りの速さは千晴が上回っていた。牛男の振り回す拳の隙間を縫って、叫びと共に銀色に輝く腕を牛男に叩き込む。咄嗟に腕で防いだ牛男だったが、覚醒した千晴の拳は見た目以上の威力があり、ガードの上からでも十分な衝撃を与えていた。それが証拠に喜色一辺倒だった牛男の表情が、ほんの僅かに痛みで歪んだ。


「ぐっ……んのヤロォがあああ!!」

「だらあああああああ!!」


 互いの拳が交差し、互いの顔面にめり込む。相手の顔が潰れる感触、自分の顔が潰れる音。それでも二人はまったくひるむことなく再び拳を突き出す。黒い輝きと、銀と金の輝きが、幾度も交差する。


「くたばれやぁ!」

「が……ッ!」


 黒光りする拳が千晴の頬を潰す。ミシミシと不快な音を立てる首を無理やり引き戻し牛男の拳を突き返し、銀の拳を牛男の頬に打ち込む。


「てめえがくたばれ!」

「ぐぉ……ッ!」


 牛男も千晴と同じように首で衝撃を支え、一歩下がった足を無理やり戻してもう一度拳を突き出す。


「なめんじゃねえ!!」

「んぎ……ッ!!」


 顔面を潰され、鼻の奥からどろりと血が垂れるのを感じながらも、千晴は踏ん張り押し返し、リピート再生するかのように牛男の顔面を銀色の拳で潰す。


「うっせぇボケェ!!」

「んごぉ……ッ!!」


 牛男は血の臭いで鼻腔が溢れる感覚を味わいながらも、なんとかその場に踏みとどまって体をひねり、正面へ戻すと同時に下から突き上げるように黒拳を放った。


「吹き飛べぇ!!!」

「ぐ、ぶ……ッ!!!」


 首と頭蓋の骨が軋む音と共に意識が薄れる。が、千晴は鬼の歯を噛み締め意識を無理やり引き戻し、首の力だけで牛男の拳を押し下げる。血走った目で牛男を舌から睨み上げ、体を捻って肘を曲げ、牛男の顎を殴り上げた。


「んだばっ…だぶれるられぁああ!!!」

「ごぉ、ぶ……ッ!!!」


 もはや意味の無い叫びを吐き捨てながら放たれた千晴の拳は、その言葉とは裏腹に正確に牛男の顎へと命中した。顎の先端から脳天にかけて衝撃が突き抜け、一瞬意識が薄れる牛男だったが、すぐさまはね上げられた首を意識と共に引き戻す。


「だぁああああああ!!!!」

「がぁああああああ!!!!」


 二人の拳は人間なら間違いなく一撃で、並みの悪魔でも簡単に叩き潰せる威力のものだった。そんなパンチをお互いほぼノーガードで叩き込む。自分の体のことなど気にも留めない。ただ目の前の相手が先に倒れればそれでいい。ここへ来て二人の思考は完全に同一のものとなっていた。

 互いの顔面に、腹に、胸に腕に足に、互いの拳を叩き込む。鼻や口、切れたまぶたの上から鮮血が流れ出る。黒と銀の鈍い煌きの中に、赤い飛沫が混じる。


「――ッあああああっ!!!!!」


 咆哮とともに拳を振りぬいたのは――千晴だった。牛男の横っ面に銀の拳を突き入れ、そのまま全身の力を込めて殴り飛ばした。牛男は地面を滑り、転がり、階下が見える穴の手前まで吹き飛んだ。

 だが、牛男はすぐに飛び起き、狂気と血に濡れた顔を持ち上げた。その視線を受けて、千晴も血まみれの顔でニヤリと歯を見せた。二人の間に荒れ狂っていた暴力の波は一旦は静まったが、すぐにまた不穏で張り詰めた空気が階層全体に広がる。


 二人はまた、重い足音立てて歩み始めた。

 初めの時の何倍も空気はひりついていた。

 おそらく次が最後の一撃になるであろう。


 二人は数歩歩みを進めると、同時に地面を蹴った。床が割れ飛び巻きあがり、二人の距離が一瞬で縮まる。二人が最後の一撃を、全身全霊の力を込めて目の前の好敵手に向けて放った。

 牛男は感謝した、これほどの強者と戦う事が出来たことを。そして残念に思った、これほどの強者との勝負が終わってしまうことを。


 二つの輝きが交差し、そして決着した。

 圧倒的な強者である牛男。

 その漆黒に輝く拳は千晴の銀の拳を、力でも速さでも上回っていた。


「ぐ、ふ……!」


 一閃、漆黒の輝きより速く煌いたのは、金の輝き――千晴の蹴り。

 千晴は牛男の拳が襲い掛かるその刹那、体を捻って金の脚を振りぬいた。

 

 脚の筋力は腕の三倍。悪魔の脚力に、千晴の能力も上乗せされた一撃。

 金色の一閃は、牛男の意識を刈り取るのに十分だった。


「ここで…蹴り、かよ……」

「無しなんていってねえだろ……?」


 牛男は倒れながら無意識に拳を振るが、その黒い拳は誰を捉える事もなく空を切った。背中をつけ、大の字に倒れた牛男を見て、千晴はがくりと膝を折った。角も肌の色も元に戻り、金銀の装甲も元の刀の形へ戻った。


「あ~ちっくしょう…痛ぇなあ……!」


 千晴は息も絶え絶えに悪態をつくと、刀を支えにして立ち上がった。そのままふらふらとした足取りで牛男に歩み寄ると、その首に刀を当てた。


「……」


 僅かに刃が触れたのか、牛男の首筋から一筋血が流れた。おそらく、首を落とすことは容易いだろう。千晴は醒めたような、昆虫のような無機質な瞳で倒れた牛男を見下ろしていた。数秒、身も凍るような冷たい瞳をしていた千晴だったが、やがてふっと息を吐いた。


「……いいや、めんどくせえ」


 千晴は刀を鞘に戻し、天井を――その上に居る少女を見上げた。


 穢れを知らないと思っていた少女にも、暗い過去があった。

 自分と同じように、心の奥底に染み付いて取れない悪夢があった。

 その悪夢に立ち向かうなんて、きっと恐ろしい事だろう。


 力になれるなら、なってやりたい――。


 千晴は「よし」と小さく呟くと、ぼろぼろの体にムチ打った。

 そして前へと――悪夢のような過去に相対している少女の元へと、その足を踏み出した。


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