神嚢
刀と角が鍔迫り合う。
千晴は全身の力を刀身に込めて、じりじりと牛男を押し返す。もう一息、突き飛ばそうと踏ん張った瞬間、がくりと体制が崩れた。その隙をついて牛男は頭を突き出し千晴を吹き飛ばした。
突き飛ばされながら千晴は、先ほどまで自分が居た場所の床がひび割れていることに気が付いた。人が使うために造られた床では悪魔の脚力に耐えきれるはずもなかった。そんな当たり前のことを失念していた自分に、小さく舌打ちした。足元に気が回らないほど、牛男と千晴の実力は伯仲していた。
千晴を追撃しようと更に踏み込んだ牛男だったが、足に力を込めた途端に床が割れて足をとられ、前のめりに倒れ込んだ。今度は千晴がその隙をつき、ホルスターからリボルバーを引き抜いて数発牛男に向けて放った。
「ぬうがああ!」
牛男は飛び起きたが避けようとはせず、咆哮と共に全身の筋肉を引き締めた。正面から受けた弾丸は牛男の筋肉にめり込んだが、皮を裂く事すら叶わずそのまま床に落ちた。千晴の銃は並みの悪魔憑きの装甲ならば薄板のように貫く。だが、牛男は生身の体でそれを防いでしまった。
「ふぅー……痛ぇ……」
「痛ぇで済ませんなよ」
千晴は鼻で笑うと銃をホルスターにしまい、両手を引き絞るように刀を握りしめ、一息で牛男の懐に踏み込んだ。千晴は角を避け、牛男の左肩から右の腋へ袈裟をかけるように、斜めに刀を振り下ろした。
初っ端、牛男が刀を角で受けたことから、斬撃なら通ると見込んでの一振りだった。千晴の目論見通り角を通り過ぎ、肩に刃が触れる。そう思った瞬間、刀身からしびれるような衝撃が千晴の手に伝わった。何か硬いものを誤って打ち据えてしまったようなしびれだった。
「それは流石にこっちじゃねえとなあ」
「……お前どこまで黒くなるんだ?」
千晴の言葉通り、牛男の手首から先が黒く染まっていた。タトゥーや肌の色ではなく、牛の蹄のような黒く硬質な輝きを放っていた。その見た目通りの硬度のようで、千晴の刀の一撃をやすやすと受けていた。
牛男は刀を払いのけると、千晴に向けて黒く光る拳を突き出した。すぐに体勢を立て直し拳をいなした千晴だったが、牛男の勢いは止まらない。そのまま両の拳をやたらめったらに突き込んでくる。
「おらおらおらぁ!!」
「……っ!」
技術もなにもない力押しは、野生の猛牛が暴れ回るかの様だった。黒く硬い拳が、はち切れんばかりの筋肉に乗って襲い掛かる。千晴の刀は悪魔の力が込められた一振りであり、刃こぼれが起きることはなく、折れる事もまずありえない。
だが、悪魔じみた衝撃を受け続ける使い手の方にはダメージは蓄積する。千晴は襲い来る牛男の攻撃をいなし、受けていたが、僅かずつその反応が遅れ始めていた。反対に牛男の攻撃は止まる気配はなく、むしろ興が乗った牛男の攻撃はさらに苛烈さを増した。
「どうしたんだよ! 受けてばっかじゃつまんねえ……だろがぁ!!」
牛男の拳を正面から受け、腕の痛みにほんの少し気がそれた一瞬、男の筋肉で固めた丸太の様な足が、千晴の脇腹に振りぬかれる。骨が軋み筋肉が断裂する不快な音が内側から鼓膜を揺らし、その直後に千晴の体が横っ飛びに吹き飛ぶ。
背中から壁に激突した千晴は、詰まった息と共に血を吐きだした。足元がふらついたが、刀を杖に何とか倒れずに踏みとどまった。
「おいおい、終わりじゃねえよな?」
「……当たり前だろ」
千晴は不敵に笑い、懐から飴玉を取り出した。訝しげな顔をする牛男の前で、千晴は聖女の血が入った飴玉を口に放り込み、がちんと音立てて噛み締めた。
潰された甘い飴玉の隙間を、聖女の血がどろりと通り抜け、千晴の喉の奥へと堕ちていく。体の真ん中の奥底から湧き出る熱が、水面に垂らした墨汁のように体中に広がって行く。千晴の額から角が二本、天に伸び上がり、瞳の色は血のように赤黒く変わり、肌は薄く朱に染まる。
「なるほど、てめえ鬼か」
「ああ、かっこいいだろ?」
「強そうではある。いいじゃあねえか……!」
「お前、さっき殴り合うのが好きって言ってたよな」
「だったらなんだ?」
「……神嚢」
千晴は刀を笏を持つかのように両手で握り、目を閉じると刀が震えだした。すると、刀身がまるで縄がほどけていくかのように空中へ広がり、千晴の体に巻き付き始める。
「一人、ムカつく奴がいてな。銃使いのくせに殴るのもうまいと来てやがる。この顔の傷もそいつにつけられた……これは次そいつとやると時のために考えたんだが、てめえにつかってやるよ」
「そいつは光栄だね。そのムカつくって奴も強ぇんだな? てめえを倒した後にそいつとも戦りてぇからよ、俺にぶっ飛ばされる前に名前だけでも教えておいてくれよ」
「悪いがてめえはお友達紹介したいタイプじゃないんでね。それに教えても無駄だ。どうせお前はここであたしに負ける」
千晴の腕は銀に輝き、脚は金の輝きを放っていた。金と銀の繊維が絡まり、交わり、彼女の体を美しく彩っていた。美しさと同時に、今までとは別種の闘気が千晴から放たれ始めた事に牛男は気が付いた。
「期待させてくれるじゃねえか……」




