千晴VS黒牛の悪魔
「お待たせ~」
千晴は階段の最後の一段を上ると、両手を広げて笑った。挑発するような笑顔のまま近づいてくる千晴に、牛男は鼻で笑って返した。彼の顔に浮かぶ感情は、怒りではなく期待。これから始まる戦いが待ち遠しくてたまらない。そんな感情が抑えきれず滲みだしていた。
千晴はそんな牛男から視線を外し、その背後に居る少女を――真理矢を見た。自分の過去へ立ち向かうその姿を見て、千晴は小さく笑った。
見た目がゴブリンだからではない。
……おそらく。
そのゴブリンは女の悪魔憑きに促され、その後を追いかけるように歩き始めた。牛男の横を通り過ぎるが、男は千晴しか見ていない。女の悪魔憑きが通り過ぎ、ゴブリンと聖歌隊が自身の横に来た時に、千晴は「おい」と声をかけた。
「負けんなよ」
「そっちこそな」
凛とした声で答えた聖歌隊に頷いて見せ、千晴はゴブリンを見下ろした。
「……お前も、負けんなよ」
ゴブリンの少女は千晴の目をまっすぐに見返して、力強く頷いた。千晴はふっと笑って緑で毛のない頭をがしがしと撫でた。彼女は少し迷惑そうな顔をしてから僅かに微笑み、再び歩き始めた。
階段を上る二人の背中が見えなくなると、千晴は前方の牛男に向き直った。また両手を広げて挑発するように短く息を吐き出す。
「ちゃんと『待て』ができるんだな。思ったより賢い牛さんだ」
「てめえ、野郎が一番興奮するときっていつか分かるか?」
「あぁ?」
牛男は一歩前に足を踏み出した。瞬間、千晴は刀を構えた。構えさせられた、と言う方が正しいかもしれない。数多くの悪魔憑きを屠ってきた千晴でも、数度しか感じたことのない気配。同格かそれ以上の存在が放つ圧力。
「うめえ飯や酒かっ喰らってる時か? 最高のマシン全速でぶっ飛ばしてる時か?」
牛男が近づくごとに、空気が重くなる。
肌がびりびりと突っ張るような感覚がする。
階下や外から聞こえる声や音が小さくなっていく。
「それとも、てめえの性癖にドハマりの女抱いてる時か?」
牛男は千晴の数メートル手前で足を止めた。
「全部ちげぇ――」
牛男は上着を脱ぎ捨て、鍛え抜かれた上半身をあらわにした。浅黒く頑強な筋肉は岩から切り出したかの様だった。その剛筋には禍々しいタトゥーが刻まれ、半身から右腕を威圧的に飾り立てていた。
無論、そんなファッションの延長の様な彫り物では千晴は動じない。だが、衣服を脱ぎ捨て臨戦態勢に入った牛男本体から放たれる殺気には、千晴も体が強張るのを感じた。
「野郎ってのはな、てめえと同等かそれ以上のやつと戦り合ってる時が一番興奮すんだよ……形はどうあれ、な?」
全神経を目の前の悪魔憑きに集中させる千晴に向けて、牛男は拳を突き出した。
「俺の場合は拳だ……男も女も関係ねえ、強ぇやつと殴り合うのが一番興奮する……なあ、おめえ強ぇえんだろ? そうなんだろ?」
牛男の顔が狂喜に歪み、その声は語尾が興奮で震えるように上がっていく。
千晴は額から汗が一筋流れるのを感じ、それでも不敵に笑った。
「わけわかんねえよ、とっととかかってこい」
「そうだよなあ……もう――我慢できねえもんなあ!!」
突進してきた牛男の角と、千晴が脳天に向けて振り下ろした刀がかち合い、建物全体が軋んだ。擦り合う刀と角から火花を散らしながら、二人の悪魔憑きはお互い歯を見せながら睨み合った。




