はずれ
引き金を引くと同時に獣皮の悪魔は消えた。
ルディが獣皮を追う目線に沿うように銃弾が獣皮を追いかける。軌道を曲げ、飛び上がらせ、柵を構築する廃材のいくつかを撃ち抜いて止まった。が、その穴を新たな弾丸が通り抜け、獲物を追う狼のように獣皮を追跡する。
銃弾をかわし、天井を蹴って歪な爪を振りかぶる獣皮に向けて散弾を撃ち込むが、獣皮はおよそ人ではありえない反応速度と体の捻りで散弾をかわしてルディの足元に着地し、下段から爪を振るう、その顔面に向けてルディは足を振りぬくが、獣皮はこれも飛び退いてかわり、少し離れた位置に着地した。
「やっぱまだ危ねえかぁ!」
「人の周りをあっちこっちにぶんぶんと、まるでハエみたいなやつだね」
ルディの手には銃は握られておらず、代わりに口元と手足に鋼鉄の装備が装着されていた。振りぬいた足をガチャンと音立て降ろすと、鋼鉄の装備は一瞬で銃へと戻った。銃口を向けられてなお、獣皮は甲高い声でゲラゲラと笑った。
「減らねえ口だなぁ……でもなぁ、少し息上がってねぇ?」
ルディは引き金に指をかけ、僅かな動揺を悟られまいとした。襲い掛かってきた数十人の悪魔憑きに対処するため、真理矢の血の入った飴をすぐに使ってしまった。傷こそ負わずに全て処理したが、一人一人が決して弱くはなく、消耗は軽微とは言い難い。
彼女はまだ覚醒状態ではあるが、既に体の昂ぶりが冷めていくのを感じていた。早く決着をつけなければと銃を構えなおすルディと、獣皮の思惑は完全に真逆であった。ルディもそれは分かっている。時間はかけられない。
「うるさいハエにイラついたら息も上がるものだろう」
「つまんねえ挑発だなぁ、それで俺がてめえに向かってくとでもぉ? どう考えても今俺は逃げに徹したほうがいいだろぉ?」
あれだけの狂気を見せておきながら、獣皮の男は決して勝負を焦らなかった。だが、その瞳の奥に見える光は、間違いなく狂ったギラつきであり、血肉を凝り固めたような色の狂気が宿っていた。
「お前が疲れてからゆっくり悲鳴を聞かせてもら――」
ルディは獣皮の懐に飛び込んだ。彼女の口と腕に金属の光を見た獣皮は飛び退き着地した――その肩を銃弾が貫く。
「あぁ!?」
獣皮は驚愕の声をあげ、続く散弾の連射をかわしてからルディを見た。彼女の足には鋼鉄の装備はなく、代わりに単身の銃が手に握られていた。
「そんなことできんのかよぉ!」
焦った様子で吐き捨てる獣皮だったが、ルディもまた焦っていた。本来の目論見ではいまの一撃で脳天を撃ち抜くつもりだった。獣皮が咄嗟に体をずらして急所を外したのだ。
悪魔憑きの急所はほとんどが人間と同じだ。きらりや紫陽のように異なっている場合もあるが、獣皮の場合は頭や心臓をかばう動きもあったので、人間と同じとみて間違い無いとルディは踏んでおり、実際にそうだった。そうやって当たりをつけて勝負を突けようとしたのだが、結果は失敗に終わった。
焦燥が体をじりじりと焦がすのと対照的に、体の奥底から立ち上ってくるような悪魔の昂ぶりは徐々に薄れていく。ルディの頭髪は短くなり始め、頭部に生えた狼の耳もほとんど感覚は無くなり、口内の歯も鋭さを失いつつある。
「痛ってぇなあ! 傷をつけるのは好きだが傷つけられるのは嫌だぜ!!」
「腹立ったかい? だったらかかってきなよ、そんな度胸ないかい?」
「あぁ~……ま、もう少ししたらな」
獣皮がへらりと舌を出して笑うと、ルディは地を蹴り再び獣皮に迫り、今度は拳を振るが、空を切った。背を向け高笑いしながら逃げる獣皮に追いすがり、拳や足を突き出し、銃弾を撃ち込むが一向に当たらない。
「鬼さんこちらぁ~! ってかぁ?」
「鬼に例えられるのは心外だね! 筋肉馬鹿の顔がちらつく!」
撃ち出した三発の銃弾も、獣皮を捉えきれずに的外れな場所に着弾した。それと同時に、ルディの体から完全に昂ぶりが消え失せた。代わりに全身にずしりと重い疲労感が広がり、ぜえぜえと荒く息が乱れる。
「ハハハハァっ!! やっとガス欠かぁ!!」
苦し紛れにルディが撃った銃弾をかわし、獣皮は姿を消した。柵の向こう側をぐるぐると回る足音を辛うじて聞き取れるのみで、今のルディには獣皮の動きを捉えることはできなかった。
「い~ぃ悲鳴聞かせろぉ!!」
柵の隙間から飛び込み、ルディに向けて悪魔の爪を振りぬく。反応しきれず脇腹を切りつけられ、ルディは短くうめき声を挙げた。獣皮は柵の向こう側に戻り、爪に付いたルディの血をべろりと舐め上げた。
「うめきじゃねぇ、悲鳴だぁ! 悲鳴聞かせろやぁああぁあ!!」
繰り返し凶暴な突風がルディの体に吹き付ける。その突風はあたりの廃材や鉄パイプを切り裂きながら、彼女に襲い掛かる。ルディは猛攻を受けながら反撃を試みたが、銃弾も拳も足も獣皮を捉えられず、致命傷を避けることで精いっぱいだった。
「ハハハハァっ!! 外れはずれハズレェエェェ!! 悲鳴だぁ、悲鳴だヒメーだヒメイだぁああぁ!!」
獣皮はルディの背後から、側面から、正面から爪を振るい、周りの廃材とまとめて彼女の肉を切り裂く。傷つき、血を流し、ルディは切断され崩れていく廃材と共に倒れた。土埃が晴れると、崩れた柵の中心に、地べたに顔をつけ倒れ伏すルディが見えた。
「おいおぃ、悲鳴上げる前に倒れんじゃねぇよぉ」
突き出たパイプや廃材をよけながら、獣皮はゆっくりと歩み寄って行った。血濡れの皮の奥から覗く目は、嗜虐に歪み、狂気でギラギラと光を放っていた。
「久々の上物だぁ、悲鳴も聞かずに死んだんじゃ――」
獣皮は足を止めた。
見下ろしたルディが手を突き、床に額を押し付けていたからだ。
床を舐めるように頭を下げる彼女の姿。
獣皮の目には土下座のように映った。
獣皮は口角を吊り上げ、引きつるような声で笑った。
「いいねぇ! 土下座して許してもらおってかぁ! おめえはそのパターンかぁ!」
「……う…ぁ……」
「いいぜえその顔見せてみなぁ! 気に入る顔だったら許してやるかもなぁ!」
「……ほん、とうか……?」
「あぁ本当さぁ! い~ぃ顔見せてみろ! なぁ!」
ルディはゆっくりと顔を上げ、その顔を獣皮へ向けた。
不敵に笑い、血濡れの舌をべろりと出したその顔を。
「こんな顔だが、満足かい?」
怒りより先に獣皮の心中に沸き起こる疑念。
ルディの舌は血で赤く染まっていた。
地面に広がっていた血だまりに舐めとったような跡。
獣皮は一瞬で思考を巡らす。
あそこにあった血だまりはなんだ。
そうだ、あのゴブリンが噴き出した血だ。
ゴブリン、聖女の――。
「―――――ッ!!」
咄嗟に身を引いた獣皮の腹部に鋼の拳がめり込んだ。
獣皮は喉の奥から、裏返った悲鳴を血と共に吐き出した。
「やれやれ、ずいぶんありきたりな悲鳴をあげるんだねぇ」
「て……んめぇ!!」
爪を振るう獣皮だったが、覚醒状態のルディはいともたやすくそれをかわし、まだ倒壊していない柵の裏側に消えた。聖女の血の原液を口にした彼女の動きは、獣皮の目では捉える事ができなかった。
「こんの、ぉ……!」
「どうだい、狩られる側になった気分は」
ルディの挑発に頭に血が上りそうになるのを、獣皮は冷静におさえた。おさえつつ、目を閉じ嗅覚を働かせる。獣皮の嗅覚は犬の比ではなく、動き回る物体をピンポイントで捉える事さえできた。
獣皮は拳型に痕のついた腹部をおさえながら、口角を上げて鋭く醜い牙を見せた。
もう手加減しねえ、一気に距離を詰めて喉笛食いちぎってやる。悲鳴は聞けねえが穴の開いた喉から聞こえるひゅーひゅーごぽごぽって音も嫌いじゃねえ。さあ、死ね――!
獣皮は嗅覚を最大限働かせ、僅か足を止めた匂いのもとに飛びかかった。ルディの喉笛、その位置を正確に捉えていた。牙を火花が出るほど勢いよく噛み締め、喉笛を食いちぎっていた。
――そこに居たのが、ルディならば。
空を噛んだ姿勢のまま匂いの元を、足元を見下ろした。
そこに居たのは、耳と尻尾の生えた小さな女の子。
「はずれなの~!」
「んだぁ!? このガキ――」
言い終わる前に、獣皮は心臓を撃ち抜かれていた。
獣皮はぴたりと動きを止めた後、その場にずるりと崩れ落ちた。
彼の背後の柵、その向こう側でルディは銃身から立ち上る硝煙を二つ吹き消し、
「In boccaal lupo……」




