残念でした~☆
「お願、い…助け、て……!」
棘女は膝をついたまま、哀れを誘う声をきらりに投げかけた。
「すご~い喋れるんだね~☆ ワタシの毒くらったのに~☆」
そう言って首を傾けて笑うきらりの表情からは、なにも読み取ることはできなかったが、棘女は必死に訴えかけた。
「わ、わたし…あの女に脅されてたの……! あんなやつ仲間でもなんでもないの!」
「あはは~☆ 貴女って嘘ばっかり~☆」
「嘘なんて、ついてな……もう酷い事しないから……約束、するから…助け、てぇ……」
「ん~……そうだね~☆ チャンスをあげようかな~☆」
きらりが感情の読めない笑顔でそう言うと、棘女は安堵したような笑顔を顔面に貼りつけ、その下できらりの甘さをせせら笑った。
馬鹿が。てめえが毒使うのは分かってたんだ。そのうえ仲良しごっこが大好きとくれば、仲間用の解毒剤を常備している。そう踏んで、戦っている最中にてめえの少ないポケットを『声』で漁っておいたんだよ露出狂。
そしたらドンピシャ、瓶を二つ持ってやがった。
あたしの能力は毒だけと思ったか? 残念、あたしの能力はそれだけじゃない。コウモリみたいな特別な音波を出せるんだよ。反射した音波を読み解いて瓶の中の液体の成分もわかっちまうんだよ。
戦いながらあんたの瓶の中身を探らせてもらった。紫の瓶が解毒薬だ。緑の瓶は他の毒、今体に入ったクソ毒の成分も解析したから間違いない。それに間違えないよう蓋の部分にこっそりと傷をつけておいた。中身が零れないくらいの小さな傷を。
心の中の罵詈雑言を抑え込む棘女の前に、ふたつの瓶が現れた。それは棘女が確認した二つの瓶。緑と紫の小瓶を、きらりは指で挟んで差し出した。
「どっちかを飲めば助かるよ~☆」
「ど、どっちかって……?」
まるで初めて見たかのように装う棘女に、きらりは片方が解毒薬でもう片方は毒だと伝えた。ゆったりとした調子で喋るきらりに内心苛立ちながら、棘女は黙って話を聞いていた。
「そ、そんなの……」
「あはは~☆ 二分の一の確率で助かるよ~?」
棘女は瞬時ためらう素振りを演じてから、絞り出すような声で「紫のをちょうだい」と言って瓶を受け取り、心の中できらりを嘲笑った。
ばかが、バカが、馬鹿が! 大ボケのクソ甘ちゃんが! 解毒したら逃がすとかそんなつもりだろうが甘いんだよクソガエル。あたしにこんな恥かかせといてただで帰れると思ってんじゃねえぞ。すぐてめえに毒をぶち込んでやる。舐めるなよ、あたしの体の中のてめえの毒を尾っぽの毒腺にぶち込んでおいた。てめえの毒と私の毒をぐちゃぐちゃに混ぜた特別製の毒をくらわせてやる。悲鳴をあげる暇もなく……いや、じわじわ死んでいく毒にしてやる。私に恥かかせた分苦しんで苦しんで苦しんで死ね! 許すもんか百回狂って死ね!! そしてそのクソ哀れな死に顔をコレクションしてやる!
腹底で煮えたぎるどす黒い感情を隠し、棘女は解毒薬の蓋に手をかけた。
だが、彼女の手は、はたと止まった。
見覚えのない絵が、彼女が付けた傷に書き足されていた。一文字の傷を閉じた口に見立て、カエルが舌を出している絵がそこには描かれていた。反射的にきらりの顔を見上げてしまう。天井の照明で影になり、にこりと無感情に笑うきらりの口元しか見えなかった。
「あれぇ~☆ どうしたの~☆」
私が目印を付けた時にこんな絵はなかった。こいつ、気が付いてやがった。だとしたらこの瓶の中身は解毒薬じゃない。蓋を入れ替えやがったな。アバズレが何てことしやがる。なんて性格の悪い奴だ。
「ま、待って! やっぱりそっちの……!」
彼女は音波を飛ばし、きらりの持つ緑の瓶の成分を解析した。入れ替えたのならそっちが解毒剤だ。そう思って心の中でほくそ笑んだ彼女の笑顔は、すぐに引きつることになる。緑の液体は、解毒薬ではなかった。
ならばどちらも毒か、解毒薬は隠したか、戦いの中で壊してしまったのか、時間経過で毒になるのか、それとも……と、色々と思考をめぐらせた彼女だったが、手の中の紫の瓶を解析して、その思考の流れは絡まり、止まった。
紫の瓶の中身は、解毒剤だった。
「は…あぁ……?」
「あはは~☆ 変な顔~☆」
なんだ、なんだこれは、訳が分からない。傷の事に気が付いたのならば、私がつけた目印だと気が付いたのだろう。それなのに何故傷を放置して、無駄な絵まで描いたんだ。そうまでしておいて、なんで中身が解毒剤のままなんだ。
「早く決めないと~☆」
そうか、私を混乱させて絵の無い方を選ぶように仕向けやがったな。そうやって毒の方をあたしに飲ませる気だったんだな。馬鹿が、なんて浅知恵、大馬鹿女が。そうだ、こちるは私が中身を知ってるなんて想像もしてない。残念ながら私は中身が何だか分かって——。
「そっちが解毒剤って知ってるのに、なに悩んでるの~?」
「な……ッ!」
「ぽわわ~ん☆ って、音の波みたいなので色々調べてるよね~?」
「――――ッ!!??」
こいつ、そこまで気が付いていやがった。
私が音波を出してることを。
そしてそれで中身を解析できることまで。
だとしたら、解毒薬と思っているこっちが毒なのか。そもそも解毒薬なんてないのか、まさか、コイツの毒は私の音波を、解析能力を狂わせるような効果も……いやまて、解析したのは毒をくらう前だ。違う、今見てるこの瓶の中身を解析……なんだ、ああ待て何がどうなっている。
考えろ、こいつは今これが解毒剤だと言った。わざわざ敵に正解を教えるか? そうやって安心させて飲ませるつもり……だとしたら緑の方が解毒薬という事だ。まて、その逆も考えられる。そうやって怪しんだ私に緑の方を選ばせて……。
そもそもあの絵はなんなんだ、目印をわざわざ目立つようにするなんて。私だったら蓋だけ変えてそのままにする。なのにこいつは、まて、そもそも紫と緑に……なんだ、体が震える、汗が止まらない。まずい、まずいまずい。毒が回ってきた。
「早く決めないと死んじゃうよ~☆」
クソがクソがクソが。頭が回らない、震えが止まらない、息が苦しい。どっちだ、紫なのか緑なのか、絶対罠を張ってる、だからこんなチャンスを、解析しろ。でも解析しても罠だったら。緑か、紫か。罠ってなんだ。わからないわからない。
ああでも、でも。
何度解析しても、この紫の瓶が解毒薬なんだ。
少なくとも、私の目にはそう映るんだ。
「さ、決めて~☆」
きらりの言葉に、棘女は弾かれるように顔を上げた。
その顔は汗にまみれ蒼白で、十年以上も老け込んで見えた。
棘女はごくりとつばを飲み込み、ためらいためらい――緑の瓶を選んだ。
「はい、どうぞ~☆」
大丈夫だ、私が解析できると知っていながら、馬鹿正直に解毒薬をそのままにしておくはずはない。それが棘女の下した決断だった。瓶を開け、中身を飲み干す棘女を尻目に、きらりは薬品と腐敗臭のする部屋の出口へ向かった。
「大丈夫、だいじょうぶ……だい、じょ……」
棘女の体は、みるみるうちに紫色に染まり始めた。自分が内側から壊れていく恐怖に悲鳴を挙げる間もなく、彼女の体はぐずぐずになって崩れ、後に残されたものは紫色の肉塊だけ。おぞましい部屋の主は、自身が手にかけてきた人々と同じ屍となって、冷たい薬品に浸っていた。
自分を偽り、中身のない媚びを繰り返し、利用価値がなくなれば見捨てて乗り換える。そんなことだけを繰り返し生きてきた人間の当然の末路。
彼女は誰一人信じてこなかった。
だから最後の最後、自分すら信じる事ができなかった。
「あはは~☆ 残念でした~☆」
きらりは感情の読めない笑顔でそう言うと、背後で塵になっていく肉塊たちの気配を感じながら、ドアノブに手をかけたまま数秒動きを止めた。ドアノブを握った手にじわりと汗がにじむ。惨たらしく悪魔憑きを――人を殺した自分の狂気を顧みて、すこしだけ動きが止まった。
だが、やがて彼女はドアノブを握りしめた。
そして扉を開け、彼女の元へ――自分の過去と向き合っている少女の元へと向かった。




