スプリンクラー
建物に近づくほどに目の辺りが強張るようで、私は何度も瞬きをした。お姉ちゃんが心配そうにこちらを見ていたので、大丈夫だと伝えるように小さく頷いた。
「念のため、私の部下も周辺に待機させている。何かあったら援護してくれるはずだ」
「あはは~☆ それは心強いね~☆」
「ちなみに何人だよ」
「……二人、だ」
「……九牛の一毛」
「大部隊で来ればいいものではない。指揮が乱れれば逃げられる可能性もある。それに今回は……少々私的な目的もある」
お姉ちゃんはちらりと私を見た。
「私の直属の部下しか連れてこれなかった。だがいるといないとでは差は大きいだろう」
「我々が居れば援軍は必要ないと思いますがね」
王狼さんの言葉に、小さな狼少女たちがうんうんと頷く。
「よく言う、昼間やつらに打ちのめされただろう」
「ちょっと油断してただけだ、よくあるだろ」
「私の大切な妹を預けているんだ、常在戦場、といった心持ちで居て貰わねば――」
建物の前まで到着すると、会話が途切れた。中から悲鳴が聞こえる。女の人の声だ。「助けなきゃ」と私が扉に手をかけると、お姉ちゃんがそっと止めた。
「待つんだ。中がどうなっているかわからない。ここは慎重にいこう」
「そ、そうだね。でも急がないと」
お姉ちゃんは大きく頷き、さっと扉を開けてすっと中に入った。
「え、あれ。お姉ちゃん? 慎重に行くんじゃ……」
「もちろんだ、足音を忍ばせて行くぞ」
いや、それってなんの考えもなしに突っ込むのと大して変わらないんじゃないかな。などと思っていると、私の脇を御鬼上さんたちがすり抜けていく。
「何やってんだ置いてくぞ」
「お先に」
「いくよ~☆」
「……疾風迅雷」
皆のひそひそ声が途切れると、私はため息を吐いてから後に続いた。
◆
見つからないよう身をかがめ、足音を忍ばせて進んでいくけれど、見張りどころか普通に過ごしている人も居ない。おそらく、前に見える広い場所に皆居るのだろう。広間からは悲鳴に交じって身震いするような熱気が私たちに襲い掛かる。
少し足を速めて広間に出ると、目の前に鉄パイプや廃材で造られた壁が現れた。壁の外周は大きく弧を描いており、ぐるりと円形の柵のようになっているようだ。その壁の周りには悪魔憑きが何人も居て、ぞっとするような歓声を挙げている。
その柵の真ん中で、獣の皮をかぶったような悪魔憑きがいた。昼間やってきた奴らの一人だ。獣皮は自身の長い爪に付いた血を舐めとりながら、血に濡れた女の人に近づいていく。彼女はほとんど全裸体で、露出した肌は傷だらけだった。早く助けないと。
「たまんねえなぁ……」
「お願い、やめて、助けて……」
「やめてだぁ? これから解体ショーの始まりだろうがぁ!!」
女の人が引き裂くような悲鳴を挙げると同時に獣皮の男は彼女に飛びかかった。かと思われたが、獣皮はその場でぴたりと体を止め、瞬時に体を反り上げた。一瞬前まで獣皮の頭があった場所を三つの弾丸が通り過ぎ、柵として立てかけられた上等な家具を貫通し、その向こう側で下卑た笑みを浮かべていた悪魔憑きたちの頭に穴を開けた。
「相変わらずちょろちょろと動き回る畜生だね」
「おいおぃ……寸止めは嫌いだぜぇ……?」
王狼さんが硝煙をたなびかせる銃を下げると、御鬼上さんたちも構えていた武器を降ろした。彼女の弾丸をかわした獣皮の男は、血に濡れた皮の下でぎょろりと目を動かしこちらをにらんだ。
柵を囲んでいた悪魔憑き達も私たちに気が付いたようで、何事かを喚き散らしている。数で優っているせいか、その言葉は余裕や嗜虐が感じられるものだった。建物全体に不快な熱が広がる中、獣皮だけは静かに不気味に佇んでいた。
そんな中、お姉ちゃんが一歩前に歩み出て、声を張り上げる。
「動くな、聖歌隊だ! 大人しく投降すれば――」
お姉ちゃんの目の前で火花が飛び散った。それからバラバラと音を立てて不気味な色をした棘が地面へと落ちた。驚くお姉ちゃんの周りには、無数の刃のついた触手のような物が浮いていた。触手を目で追うと、蛙田さんの元へと繋がっていた。
「あはは~☆ 常在戦場じゃなかったっけ~☆」
「うぬ……すまない、助かった」
「どういたしまして~☆」
天井の大きな穴から、棘だらけの服を羽織った女が飛び降りてきた。
「本当に来るなんて、バカなのね……あんた達ぃ!!」
棘女が上着を思い切り振ると、いくつもの棘が四方八方へ飛んでいく。獣皮の男は難なくかわしたが、他の悪魔憑き達数名が棘を受け、うめきながらその場に倒れ、ぐずぐずの肉塊になってしまった。
こちらに飛んできた棘は、全て蛙田さんがスマホから伸びる触手でつかみ取ってくれた。蛙田さんは触手で掴んだ棘をつんつんと指先でつつく。
「あはは~☆ 毒の棘なんだ~☆」
「そういえば、なんであんた生きてんのよ。昼間私の棘喰らってたでしょ」
「私も毒持ってるからね~☆ この程度の毒は抗体作れちゃうんだ~☆」
「そう、だったら次はもっと強力なの喰らわせてやるわよ」
棘女がまた棘を飛ばそうと構えると、上階からまた別の悪魔憑きが飛び降りてきた。男が着地すると地面が割れた。かなりの重量があるようで、その体は見上げるほどに大きかった。大柄な悪魔憑きがどもりながら「やめろよ」と言うと、棘女は馬鹿にしたような視線で男を見上げた。
「なに? 私に指図してるわけ?」
「せ、せっかくの手下がへる、へるだろ?」
「こんな雑魚ども後からいくらでも補充できるでしょう? アンタって本当にバカね」
「いやぁ、今回はそいつに賛成だぁ。棘飛ばしまくられちゃ、やりにくくてしかたねぇ」
「アンタまで何よ!」
彼らが言い争っているうちに、女の人に駆け寄った。
「大丈夫ですか!!」
「い、痛い…たすけ、て……」
「すぐに待機している援軍を呼ぼう」
「お願いお姉ちゃん!」
出ている血の量が多そうだ。このまま普通に治療して助かるだろうか。……そうだ、こんな姿でも私は聖女だ。ハカセは正の力が私にあるって言ってた。だったらきっと。私は女の人の傷口に手を当て、深呼吸してその手に意識を集中させた。
「なに、なに…いや……!」
「動かないでください……」
手のひらに熱を感じると、ふわりと白い光が掌から放たれた。すると、女の人の傷は瞬く間にふさがった。ここまで来てようやく聖女らしいことができた。喜んでいたのもつかの間、私の鼻から滝のように血が噴き出た。
「いっだぁあああ!! なにこれぇえええ!!」
「傷を肩代わりする感じなのか……」
「だからってなんで鼻から!?」
「耳からも出てるぞ」
「ほんとだいったあああああいい!!」
私は鼻と耳の痛みに悶えて転げまわった。
血のゴブリンスプリンクラーである。
意味不明である。
「なんなんだぁ……?」
「さあ、バカなんじゃないの」
「や、やかましいな……」
お姉ちゃんの部下の人たちが女性を保護してくれたころで、敵にまでドン引かれたゴブリンスプリンクラーの血はようやく止まった。
「あんた、相変わらずダサいわね」
頭上から声が聞こえて、反射的に上を見ると、あの人が――瀬川和珠奈がこちらを見下ろしていた。




